冬の朝の気温は何年たっても冷たくて慣れない。昼間の気温に期待しながらも先程から絶えず顔に吹き付ける冷たい潮風に心が折れそうになる。

「侑士、海だ!」
「海やなあ」

感動しきりな岳人の気持ちを気遣いながら、内心帰りたくて仕方なかった。海はやはり夏に来るものだ。正常な思考が仕切りに訴えても足は此処から動けない。
次の予定を立てない限り、無邪気に走り廻る岳人の気をこの海から反らすことなど出来ないのだろう。


珍しく、部活のない休日だった。前日の夜遅くまで恋愛小説を読みふけっていた侑士は昼前まで惰眠を貪る気でいた。
だが腹部に妙な圧迫感を覚えて開いた寝ぼけ眼に映り込んだ時刻は午前七時。普段とそう大差ない時刻に目覚めてしまった。次に寝ている自分の目線を下に向ければ自分に馬乗りになっている岳人がいる。疑問よりも先に溜め息が出る。突拍子がないのはいつものことだ。

「侑士朝だぞ!早く起きろ!」
「朝やなあ。だから寝かしてや岳くん」
「キモい呼び方すんな!」

朝っぱらから他人様の家で元気の宜しいことだ。侑士よりも岳人に甘い母親に上げて貰ったのだろう。この際、自分の上に馬乗りになっていることには敢えて触れまい。
それは幼子が父親を起こす図によく似ている。
告げればきっと岳人の機嫌を損ねるだろうから。

「今日は部活休みやろ」
「知らなかった!」
「はあ?」
「だから今日休みって連絡俺に回すの忘れただろ馬鹿侑士!」
「……すまん」

確かに、昨日の夜に突然やってきた部活中止のメールを、自分は誰にも回さなかったが、それは当然跡部なら全員に一括送信している筈と思ったからだが、どうやら違ったらしい。
それにしたって他の奴らは岳人に連絡しなかったのか。それはきっと忍足が向日に送るか若しくはその逆が当然と周囲が思っているからだろう。
意気揚々と外に出て、丁度ジョギング中の宍戸に会わなかったら学校まで行っていたと愚痴る岳人は未だに侑士の腹の上。流石に苦しくなって腹筋を使い一気に上体を起こす。少しバランスを崩した向日に頭突きをしないよう注意しながら。
すぐ近くのカーテンを開けば、昇りきったばかりの太陽が随分と眩しく感じられた。

「遊びに行こうぜ!」
「まだ何処もやっとらんやろ」
「じゃあもうやってる所行こうぜ」

この時ちゃんと行き先を岳人に尋ねていれば、人気のない真冬の海辺に男二人で佇むことなどなかったろうに。
理想では、今日は昼前まで寝て、朝食兼昼食を済ましたら買い物に行って。帰ったら少し勉強をして終わればまた読書をして。そんな緩やかな予定を立てていたのだが。
それはあっさり無邪気な侵略者によって破壊された。

「岳人そろそろ次行こうや」
「次どうする?」
「岳人行きたいとこ無いん?」
「別に。侑士と一緒なら何処でも良いよ」

海に行きたいと言い出したのは岳人。だけど口実さえ整えば、本当はどこだって良かったのだ。
当たり前のように告げる岳人が、何故か妙に格好良く見えてくる。
嬉しさと恥ずかしさの合間。珍しく侑士の方から岳人の手を引いてゆっくり歩き出す。

「何処行く?」
「歩きながら決めよか」
「無計画」
「悪くないやろ」

気付けば吹き付けるような風は止んでいる。気温も徐々に上がり始めた。砂浜を抜け横断歩道に辿り着く。
信号は、丁度青に変わった。






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