「馬鹿だなあ、」と確かに震わした筈の声帯は予想以上に掠れた音にしかならなかった。尤も、誰かに伝える為に出した音ではないのでそれはそれで一向に構わない。
一之瀬は、馬鹿だと思う。出会った頃は純粋に凄い奴だと思った。サッカーも、人柄も。
だけど、一之瀬が半田に向かってごめん、と俯いたその日から、半田は一之瀬を馬鹿だと思っている。
奪ってごめん。返せなくてごめん。好きになってごめん。置き去りにしてごめん。
事ある毎に一之瀬から寄越される謝罪を、半田はどこか他人事のように聞いていた。

「許されたいから謝るのか」

以前一之瀬に直接尋ねた言葉を、半田は今も覚えている。あの時、一之瀬は許さないでと言った。それだって馬鹿だ。許されたくない人間がいるものか。
奪われてなんかいない。だから返すものなんてない。
好きなんてきっと一時の気の迷いだから。だから置き去りになんてされてないんだ。
気付けば言い訳を重ねていたのは半田の方だった。
憧れがいつしか恋情に変わって、劣等感が嫉妬に変わっていくのを、きっと気付いていた。
それでも認めれば一之瀬の謝罪を受け入れなくてはいけない気がして結局色々な事を中途半端に放り出してきた。
最初から立ち位置が違うと思っていた。それが海を挟んだ距離まで一気に開いて漸く気付いた。何も違わない、時間にも距離にも抗えないただのひ弱な子ども同士だったと。


突然音もなく着信を告げる光に何となく沈鬱な気持ちを抱いて携帯を開けば画面には件の彼の名前。見間違う筈のない名前はしっかりとフルネームで表示されている。
思考は絶えず何故どうすてどうしようとぐるぐる廻るのに指は何の動揺も見せずにあっさりと通話ボタンを押す。最早反射的に耳に携帯を当てて通話する体制になってしまった。

――もしもし?
「一之瀬?」
――うん、調子はどう?

調子はどうって何だよ。調子を気にしなきゃいけないのはお前の方だろう。以前ならば呆れ気味に気楽に吐き出せた卑屈じみた軽口すら上手く言葉に出せなかった。言葉を長く紡げば紡ぐだけ音は震え惨めに一人泣くだけだ。
寄り添えない温もりがあって初めて恋しいと思う。気持ちはすぐ傍にあるのに他は全てが遠いのだ。


――ねえ、半田
「何」
――ごめん。
「何が」
――俺やっぱり

馬鹿みたいに君が好きだよ

直接耳元に囁かれたかのように耳朶を震わした言葉は徐々に半田の内側に沈み脳が理解する。要した時間は一瞬か、数十秒かは半田にはわからなかった。
それでも電話越しの一之瀬が真剣なことだけはわかるから自分も覚悟を決めなければならない。
たった一言、逃げ続けた気持ちを受け入れて吐き出す勇気はたった今受け取った。
瞳を閉じて、小さく息を吐いて、そして――。


「俺も、好きだよ」


距離も時間も越えて、やっと、繋がった。








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