小さな姿を見失って早数分、表面上はいつも通りの涼しげな表情を装いながら、歩く速度は明らかに競歩ペース。音村は校舎を出てサッカー場への道を急ぐ。まだ学校は終わっていないのだから、キャンの行くところと云ったらそこしかないと思えた。彼女は何処かのサーフィン馬鹿とは違って、学校を脱走して海にダッシュしたりはしないのだ。
サッカー場へ着いて視線を廻らす。探していた彼女はフィールド脇のベンチではなく観客席のはじっこに見つける事が出来た。特徴的な貝殻の帽子が、俯いているキャンの顔に影をつくってすっぽりと覆っている。同級生の女子に比べても小柄な体系のキャンの足はベンチに腰かけたとして地面に届かない。そんな不安定さを取り除くかの様にキャンは両足を腕で抱え込んでいた。
音村が気配も殺さず、足音を立てて近付いて行ってもキャンは視線を音村に向けない。その無関心は音村を少しへこませた。それと同時に戒めた。成程、キャンも自分の所為で、ついさっき今の自分と似たような気持になったのだろう、と。
それはちょっとした音村の悪癖とも呼べるものだった。新しいCDを買った翌日、また音村がその内容を気に入っていたりすると、音村は学校でも休み時間になれば構わずヘッドフォンの電源を付けて音楽に聞き入ってしまう。今日も偶々そんな日だった。音漏れしない程度に、けれどその中での最大音量でリズムを取ったりしながら音楽を聞いていた。丁度その時、キャンが音村に声を掛けた。しかし音村は気付かない。最初は何度も根気強く音村に話しかけていたキャンも段々機嫌を損ねて、悲しそうな顔をしながら教室を飛び出して行ってしまう。それでも音村は気付かなかった。さすがに見かねたクラスメイトが音村に声をかけ、それでも気付かない音村に業を煮やした綱海が力尽くでヘッドフォンを取り上げた事により漸く音村はキャンを傷つけたかもしれないと気付いて急いで教室を飛び出した。次の授業は二人そろって欠席だろう。背中に綱海の保健室って事にしといてやるよー、と呑気な掛け声が降ってくる。同じクラスの二人の男女が同時に保健室なんて怪しいだろう、教室からどんどん離れながら考える。でもきっとこの学校の教師は信じるだろう。そして今、やっとキャンを見つけたというのに、キャンの機嫌は一向に良くなる気配を見せない。

「悪かったよ、キャン」
「……」
「教室ではなるべく音楽は聞かないようにするよ」
「別に、構わないです」

やっと言葉を発したキャンはやはり音村の方を見ない。そんなに重要な用件だったのだろうか。だから、それを無視した自分にこんなに怒っているのだろうか。普段、ここまで露骨にキャンが機嫌を損ねた事は今までなかったから、音村もどうしていいか戸惑ってしまう。ただでさえ、口数の多い方ではない音村だから、他人のましてや異性の機嫌を上手く回復する話題や手段なんて、持っている筈もなかった。

「キャンは俺に何の用だったの?」
「大した事じゃないから、もういいんです」
「そんな事無いよ。キャンが俺に用があるんなら、それは大した事だよ」
「……音村君は天然ですね」
「天然はどちらかといえば綱海だろう?」

呆れたように、今日初めて音村の前で笑ったキャンはその小さな拳を音村の方に向って差し出す。一瞬殴られるのかと思ったが、「手、出して下さい」と言われて大人しくキャンに向って自身の手を差し出した。そこに乗せられたのは淡い水色の小さな貝殻。色も形も綺麗なそれを、キャンは音村に手渡した。

「くれるの?」
「今朝海に行って見つけたんです。音村君と同じ色でしょう?」
「そうかな、」
「そうです。すごくきれい」

そう言って、満足そうに笑うキャンの方がすごくきれいだと思った。他の人間は、キャンは可愛いのだと言う。音村だけがキャンを綺麗だと言う。それが何よりの、音村の中でキャンが大切な女の子というポジションを占めている証拠なのだけれど、音村は気付いていないから、二人の関係は曖昧なままだった。けれど、キャンは。音村が自分のあげた貝殻を持つ手が、その指先が、彼が何よりも大切にしているヘッドフォンに触れるのと同じくらい優しいものだと気付いているから、二人の関係は曖昧なままだけれど、それでも幸せだとキャンは思うのだ。







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