※ヒロ玲←晴矢

八神玲名は、俺の大嫌いな男の隣で凛と立つ女だった。同じ背番号を負いながら、背負う役割は一つと被らないような、それ程に遠い。
敗北と云う概念は絶えず死にも似た脅迫観念となって俺達の背後に立っていた。
限りなく頂点に近い場所で、自分の為ではなく、たった一人の為に戦っていたアイツの瞳に、一瞬でも俺の存在が入り込んだ事なんかあるんだろうか。きっと無いんだろう。
今、玲名の背には何もない。只の少女に戻った彼女は、あの頃と変わらず凛と立ち、あの頃より少し柔らかく笑う。
ありのままに戻った筈の俺達の間には何もない。ゼロ地点から、何も生み出しようがない。そんな距離だったのだ。俺達の在り方が歪むずっと前から、玲名はたった一人、俺が負かしたいと願い続けたヒロトだけの物だった。

「お帰り、晴矢」

敗北者に向けるには、その音色は優しすぎる。帰るべき場所は、いつだって残酷で俺の古傷を穿つ。だけど何時までだって此処にいたい。いつか、その内。この共同の場から、玲名はきっとヒロトに手を引かれ浚われて行くに違いない。そんな日が来るくらいならば。
瘡蓋にもなりきらない恋の残骸に一々傷つきながら玲名を眺めている方がよっぽど幸せだろうに。

「負けた、ヒロトに」

周知の結果は、とっくに受け入れた。世界は遥か遠く。ヒロトはその遠くに向かって振り向きもせず突き進む。此処に玲名を残して。奪うなんて、出来ないだろう。威勢のいい言葉は簡単に吐けど行動は相手を伴う。玲名は確実にヒロトだけを想い揺らがない。

「いい試合だった」
「でも負けた」
「勝負には結果が出る。拘り過ぎても次に支障をきたすだけだ」
「割り切れるかよ」

何もかも、そうやって大人みたいに割り切れていたならば。こんな負け戦みたいな恋だって、最初からなかった事にして。ヒロトにだってこんな屈折した対抗心だって抱かずに、もっと純粋にライバルだと胸を張っただろう。
昔から。自分に似た赤い髪をちらちらと視界の端に捉えてはその隣りに立つ青に焦がれた。燃える炎の色にすら抗わず離れず、玲名はその存在を刻んでいた。
ずっと、欲しかったのに。
七夕もサンタクロースも晴矢の一番欲しい物を与えてはくれない。それに気付いてから、思えば随分夢のない子供に育ったものだ。
目の前の玲名と共に歩くもしもの未来すら、夢に見れない程に。

「ヒロトは世界に行く」
「そうだな」
「良かったな」
「……?」

玲名は、ヒロトのこの不在をどんな気持ちで待ち続けているのか。測るのは、無粋だろうか。
誇らしさと寂しさと。涙など流さず幾つもの夜を越えていつかヒロトは戻り玲名を当たり前の様に抱き寄せるんだろう。
不意に、視界に自分の前髪が映りその赤を捉える。一瞬よぎった赤は自分の髪ではない渦中の男の色だった。
そして次に玲名の青を捉えては妙な虚脱感に苛まれて唇を噛む。
玲名の隣に立つには、やはり俺は弱すぎるらしい。
目の前の青に、俺は一体いつまで焦がれ続けるんだろう。






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