拙い言葉が、自分の気持ちをねじ曲げる。率直な物言いは、きっと相手を傷付ける。ジレンマは焦燥を生み掴もうと伸ばした腕が空を切る瞬間、マークはいつも此処で目が覚めるのだ。

「おはよう」

自分しかいない部屋でポツリと呟けばやはり自分の内側からしか返事はないのだ。お寝坊さんだねマーク、でも遅刻はしないで済みそうだから、さっさと顔を洗っておいで。
まるで夢の続きを見ているみたいだった。窓から入り込む朝日が目に痛い。掴めなかった何かがまだ掌にその存在を求めさせようとするかのようだった。見詰める掌はいつもと変わらず何も手にしていなかった。

「マーク、」
「おはよう、リカ」

開け放したままの扉の近く。なかなか起きないマークを様子見に来たのか、入口付近から部屋を覗き込むリカがいる。
おはようの挨拶に返答はなくリカは部屋に足を踏み入れようとはしない。マークが決してベッドから降りようとしないように。
奇妙な二人の対立があって、マークはリカの様子がおかしいと気付く。

「どうかした?」
「……」
「リカ、おいで」

促せばリカの足は一歩だけ踏み出される。だけどそれ以降が続かない。
不審に思うからマークは黙ってリカを見詰める。
まだ朝だと云うのに、リカは既に何処へでも出掛けられるくらいに整った身嗜みだった。
未だ寝間着でベッドに座っているマークとは何処までも対照的だった。
ふと、リカから視線を外してもう一度自分の掌を見る。
何も手にしていないこの手が、目覚める直前に掴もうとした物について考える。
いつだってあと少しだと感じる。きっと掴めると思っている。だけどそれがいつまで経っても達成されない。求める物を引き寄せる言葉を、マークは知っている筈なのに。夢の中のマークは一言も喋らずにいつも尻すぼみな結果しか得られない。

「しんどい、」
「リカ、」
「なあマーク、ウチもう疲れた」
「…………」
「追いかけるのも寄りかかるのも待つのも、もう嫌や」

知っている。マークはリカがそう思っている事を知っている。だから、マークは。自分ならそんな事をリカにはさせないと云う密かな自負があったから、リカを傍に繋ぎ止めたのだ。
だけど、リカを傍に置くと決めた時、マークは一番肝要な言葉を伝えなかった。拙い言葉は臆病で。率直に告げるには尚早だった。
いつかいつかと先延ばしにし続けた言葉が、いつからかリカを傷付ける凶器になった。
同情心なんかで人一人傍に置くほど、自分は慈愛になんて満ちていないのだと、マークは自身を鑑みる。

「ウチどうして此処におるん?」

そんなの、決まってる。耐え性のない男だと思う。優しく導いてやるなんて最初から出来なかった。ギシギシと音を立てるベッドのスプリングの弾力を力一杯踏みつけてリカに近付き抱き締めて引っ張って二人してもう一度ベッドにダイブ。自分が残した熱と既に冷え切ったシーツの温度差が妙な安心と緊張を生み出してマークの掌に変な汗が浮かぶ。
リカは抵抗しない。それが少し、マークを悲しませた。

「俺はリカが好きだよ」

伝えるには、もしかしたら遅かったかもしれない。だけどこのまま伝えなければ、きっとリカはこのまま自分から離れてしまうだろう。それだけは、どうしても。

「凄く、好きなんだ」
「うん」
「だから、此処にいて欲しい」

まどろっこしい距離感なんて案外簡単に打ち壊せる。たった一言を置き去りにさえしなければ。リカを抱き締める腕に少しだけ力を籠める。そうすれば、控えめにだけれど、リカもマークを抱きしめ返す。

「…マーク、眠い」
「うん、俺も」

このまま眠ってしまおうか。二度寝するには、少し遅すぎるけれど。
次に目が覚めるとき、目の前に、当たり前の様にお互いの顔があると良い。






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