※一リカ←マーク、数年後

偶々付けたテレビやふと見つめるカレンダーが告げる。もう春が来たのだと。極端にサッカーに傾倒した生活をする自分には些か季節を感じる神経が欠落しているのかもしれない。ユニフォームとその上にジャージを羽織るだけの生活をしているのだから、仕方ないのだろうけど。結局幾度季節が巡ろうとも自分の傍にあるのはくたびれたユニフォーム、それからボール。それで充分満たされていた。


春が来る度に、カズヤの言っていた日本のサクラと云う花について思い出す。生憎直接この眼で見たことはない。カズヤの持っている本や写真で見たことしかなかったが、あの薄い小さなピンクの花は凄く可愛らしかった。日本人が四季の折々に風情を楽しむのも納得出来ると思えた。
そういえばもう一人、俺にサクラの話をしてくれた人がいた。それがリカだった。彼女はお花見、と云う行事について教えてくれた。大勢で騒ぐのが好きな自分には、うってつけの行事なのだと、彼女は笑っていた。いつかマークも一緒にお花見しよな、なんて言われて、柄にもなく浮かれてしまった記憶もある。リカと向かい合って、笑って話せる自分が妙に誇らしかった。あの頃、俺は確かにリカが好きだった。リカの想い人がカズヤだなんてことは、彼女が俺の前に現れた時から周知の事実だったけれど。

今日はやけに昔のことばかりを思い出す。春が来たから、それとも。しかし逡巡するまでもなく明白な理由は昨日届いた一通の手紙。そこに記されていたのは普段から顔を合わせている大切なチームメイトと、自分の想い人の結婚式の日程。口で言ってくれれば良いのに、そう思ったがそういえば先日近い内に招待状を郵送するから、ってカズヤに言われていたような気も、する。

「カズヤがリカと結婚するとは思わなかった」
「正直過ぎるよマーク。まあでも、俺も予想していなかったよ」
「どうだか」
「はは、本当だって」

結婚の報告を受けた時、自分では思っていたよりも冷静に会話できていたと思う。カズヤは幸せそうに笑っている。リカとは暫く会っていないけれど、きっと幸せなんだろう。

カズヤのいつも持ち歩いている荷物の中に、財布とは別に免許証とか保険証を入れているカードケースがある。そしてその中に数枚、カズヤにとっての思い出の写真が挟まっている。カズヤが日本の学校でサッカーをしていた頃の写真とか、それよりもずっと幼い頃の写真とか、俺とディランが写り込んでいるのもあったっけ。そんな写真の中にそういえばサクラの写真があったのだ。一枚は多分お花見をしているであろうカズヤとその仲間の集合写真。もう一枚は、カズヤとリカの二人だけで写る物。きっとデート記念か何かだろう。その写真に写っているリカの表情はいつもの笑顔とは違った類の笑顔だった。それは彼女が幸福だからで、そして女だったからだ。俺はそれまでリカを当然異性として好いていた筈なのに、いざ異性としてのリカを目の当たりにしたのはきっとその時が初めてだったのだろうから、笑える。そしてその時、俺はリカに自分の恋心は伝えないと決めた。理由は、なんとなく。あのサクラの中で笑う二人を引き裂くには、どんな想いであっても足りないと本能的に察知したのもきっとある。


季節はもう春だ。日本ではサクラが咲いているだろう。カズヤの話ではリカは今日本に帰ってアメリカに移る準備をしているそうだ。
ふと、サクラの木々の中で佇むリカの姿を想像してみる。しかしその姿は既に俺の知る、触れたり話したり出来た頃のリカではない。出会った頃から絶えず盲目なまでにカズヤを追いかけていた彼女の指には、シンプルなリング。それが彼女が掴んだ幸せの象徴。気付けば想像の中のリカはまた想像の中のサクラの花弁に攫われるようにその姿を霞ませていく。
サクラは散るから美しい。そんな概念を教えてくれたのは、カズヤだったかリカだったか。それは今では曖昧で。ただ俺のリカへの気持ちも想像の中のサクラと共に散っていくのなら、少しは美しいと思えるだろうか。
そういえば、今日はサッカーの練習が休みだ。だからカズヤとリカの結婚式に着ていくスーツを買いに行くんだった。漸く上げた重い腰と足取りのまま出掛ける支度をする。
ふと視界の端にある窓の向こうに、薄いピンクの花弁を散らすサクラの幻影を見る。
季節は春になったばかりだ。






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