気を遣い過ぎているということはない。だが滅多に並び立って歩くことのない年上の女子と一緒に出掛けるというのは立向居にとって、大袈裟に言えば試練とも取れた。
普段通りに接しようといざ話しかけようとすればそういえば自分と彼女はそんなに二人で会話したこともなかったのだと気付き項垂れる。それならば無難に今日の練習のことだとか、チームメイトの話題を選んで話し掛けるのが当然のような流れだった。
冬花もそんな立向居の内心の葛藤は知らないまでも振られる話題に否定的な態度を取る理由などなく会話に乗じてくれる。共通する話題は自分達の唯一の接点だと、多分突き詰めれば簡単にお互いが気付けるほど、二人の会話や関係は拙くシンプルだ。冬花の提供する話題は父親と、マネージャーと、円堂についてが多い。立向居が何となく、そんな気がすると思っているだけかもしれない。そもそも彼女の交友範囲というか、行動範囲故にそのチョイスはえてして必然である。勿論、自分が冬花の学友か何かであったのならばこの話題の選択もより広範囲に及べたのだろう。それは反対に冬花に対しても同じであるが。

「立向居君はやっぱり守君の話題が多いですね」

不意に、冬花が放った言葉が立向居の思考だとか喋るだとか、そういった行動の一切を停止させた。何気ない言葉であるその意味を、何故か意味深に勘ぐろうとする自分に一番戸惑う。同じゴールキーパーとして、そしてその位置に立つ契機を与えてくれた人として、キャプテンとして、人間として。全てにおいて円堂を尊敬する立向居の話題が円堂に集中していたのはきっと間違いではない。しかし立向居の話題の割合が円堂で多くを占めていたのはそれだけが理由ではないのだ。
立向居は、きっと自分が尊敬する円堂という人を他者にも認めてもらいたいと願っている。それは人間誰しも抱く独占欲の前に現れる誰かと同じ何かを共有したいという感覚に似ている。そして、それ以上に立向居は。円堂の話題であれば冬花が笑って会話に興じてくれると無意識に学び取っていたから、敢えてそれを選んだ。
他人の感情にそれ程敏感に反応出来る察しの良い人間ではない。恋愛的な意味に於いてはまだまだ子供過ぎる。だが子供であるが故、好意的か嫌悪的かの機微には逸早く順応する。そして直ぐに気付いた。冬花が如何に円堂に好意的であるか。それは最初からではなく共に生活していく内に徐々に深まって行ったものだったように思う。立向居は円堂と接触を持つ女子をマネージャーとキャラバンで出会った二人のチームメイトしか知らない。その誰もが彼を円堂と、名字で呼んだ。それでも、彼女は、冬花は円堂を守君、と名前で呼ぶ。それだけで、立向居は心に刻んだ。彼女はきっと円堂のことが好きなのだろう。曖昧な憶測は時間の流れが確信へと導く。今更冬花自身が誤解だと否定しても揺るがし難い程に立向居は自分の考えを肯定している。

「冬花さんは、円堂さんのこと、…名前で呼びますよね」
「…?昔から、そうだったから」
「そうなんですか」

昔、という単語が出される度に、立向居は一歩後退を余儀なくされたような気分になる。自分が触れて良い冬花の領域は出会ってから今、そしていつまで続くかわからないこれからだけだ。そして何故か、冬花にもその領域を守って欲しくて堪らない。冬花の共有出来ない昔の話題なんて出さないから、出さないで。理に適っているようで実際は只の我が儘にすぎない言葉は今までもこれからも交渉に持ち込まれないまま立向居の中で傲慢として置く深く仕舞われている。決して捨てまいと大事に大事にされている。この傲慢を、冬花に突き付けるに値するほどの関係が、如何ほどのものか。そしてはたして自分がその関係に辿りつけるか。問題は山積みで、だけど答えは全てイコールの自分次第。諦めは悪い方だから大丈夫なんて安直な答案に自分で花丸を付けてやる。
冬花のことを、常に円堂と照らし合わせて恋愛対象的に見ているかといわれるとまだ疑問が残る。もし誰かに何が好きと聞かれればまだまだサッカーと答える程度には立向居は子供だ。冬花もまだ子供。それでも確かに好きという感情と言葉を知ってしまっている以上、お互い誰かに無関心ではいられない。それくらいの成長は、とっくにしている。
冬花を好きにならなければ、円堂を話題に持ち出して、自分を追い込む必要もない。それでもそれを選ぶ。それは冬花に自分と笑って欲しいという願望と、そうでもなければ相手にされないだろうという失望。そんなことはないなんて最低限の望みを抱いて砕かれたら立ち直れない。隠れ蓑のようなものだ。

「立向居君、どうかした?」
「いえ、何も。行きましょうか」
「そうだね」

何も知らない冬花はありのまま。何気なく呼ばれた苗字が、ありふれた物でなくてよかったと、最近では思う。彼女の呼ぶ幾人の中に「立向居」という人間が、たった一人であることが嬉しい。未来永劫、自分は、彼女が名前を呼ぶ異性のたった一人にはなれないのだから。






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