ベンチに座らされて動かないように釘をさされる。俺の後ろに立って、櫛とヘアゴムを片手に俺の髪をいじっている久遠はいやに嬉しそうにしている。
今日は何時もより少し寝坊した為急いで髪を結んだのが良くなかった。サッカーをしている内にゴムがどんどん下がってきて落ち着かない。しきりに髪を気にしている俺を見かねたのだろう、マネージャー達が休憩を告げるのと同時に久遠に腕を引かれベンチに座らされた。そのままスカートのポケットから櫛を取り出して俺の髪を梳き始めた彼女に最初は慌てたけれど、休憩してなきゃダメ、とタオルとドリンクを両手に持たされた事により俺の抵抗はあっけなく終了した。仕方がないので、早く前を向くよう促す声に大人しく従う。
俺の髪を梳く久遠の手付きは他人の髪だと言うこともあってか、朝の身支度で自分で髪をいじってる時の自身の乱雑な手付きとは大違いだ。そして少しだけ、小さい頃にまだ自分では髪を後ろで結べなかった頃の母親の優しい手付きを思い出す。

「風丸君の髪、すごく綺麗」

そう嘆息してみせる久遠に俺はそんなことないよ、とありきたりな謙遜じみた返事を返す。どうやら久遠もそろそろ結び終える気配がするから。

「はい、出来た」

久遠の言葉を聞いて、ゆっくりベンチから立ち上がって礼を述べると久遠は何だか名残惜しそうにまだ俺の髪を見つめていた。

「私も、風丸君みたいな髪質になりたいなぁ。色も綺麗だもの」
「そうか?久遠は十分綺麗じゃないか」

思ったことを素直に言葉にしたつもりだったのだが、久遠は何故か顔を真っ赤にして木野と音無の方に走っていってしまった。何か不味いことを言ってしまったかと首を捻っていると、いつの間にかすぐ隣にやってきていた吹雪が妙にニコニコしながら俺の肩に手を置いていた。

「風丸君、ああゆう台詞は好きな子に言ってあげなくちゃ」
「ああゆう台詞って?」
「綺麗って」

いやあれは髪の毛の話、と答えようとして漸く気付いた。そういえば久遠の髪って言葉を入れ忘れていた。確かに端から見れば俺が久遠を綺麗だと誉めたように映るのか。未だにニコニコしている吹雪と、真っ赤な顔のままタオルを回収して恐らく木野に熱が無いか心配されているらしい久遠を同時に視界に捉えながら、強ち間違いじゃない、と自己完結して俺はグランドに足を向けた。





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