思えば随分必死になって生きているものだ。向けられる視線と交わる視線の意味を決して履き違えないように気をつけなさい。思春期はとかく思いばかりが先走るからいけない。教室の席に黙って座っていても、廊下を一人歩いていても。おしゃべり好きな女子の口をつくのはいつだって噂話だ。隣のクラスのあの子は同じクラスの誰誰を好きなんだって!もう一つ隣のクラスのあの子もその誰誰が好きだって聞いたよ?そうなの?でもあの子の方がお似合いよね。身勝手な妄想話の役者にされた可哀相な顔も名前も曖昧なクラスメイトやその他に、少しだけ同情する。

「風丸君!」
「……木野?」
「今移動中?」
「帰り」

サッカー部のマネージャーである木野は、噂話をしない、俺が知る限りではかなり希少な部類に属する女の子だった。可愛らしい容姿に惑わされる男子は多い。だけどその殆どの男子の想いの丈をぽっきりとへし折るのは残念ながら木野ではない。思春期って怖い。恋に落ちるのも一瞬で、散るのも一瞬。だけどその分受けたダメージが癒えるのもこれまた早い。木野を好きになってその想いを散らせた男たちは気長な奴も多いけど、あっさり応援する側に転向する輩も多いらしい。これは廊下の噂話情報では無く、部活での一年生敏腕マネージャーの情報収集の成果である。

「円堂君は、もう教室に戻ってるかな?」
「戻ってると思うけど…いや、そのまま購買に行ったかも知れない」
「そっか…。あ、教室まで一緒に行ってもいいかな?」
「構わない」

二人並んで歩く廊下は昼休みという事もあって喧噪に包まれて、俺達の耳にも纏わりつく。授業の話、部活の話、昨日見たテレビの話、類は違えどくだらない。明日の昼にはきっと忘れているのだろう。木野は隣で今日の部活の予定について話している。不思議な事に、本来ならば部長に渡されたりするべき学校側の書類が木野経由で円堂に手渡される事が、かなり頻繁に起こるのだ。それは円堂のサッカー以外のずぼらさに呆れかえった雷門が、連絡事項だけならいいが書類等は紛失の可能性を鑑みてマネージャーである木野に渡すようにと進言した事による。悲しいかな、それを知ったとき、部員の大半が「確かに、」と納得してしまった。円堂本人ですら、だ。きっと今回も、そういった部活の事務連絡を伝えに来たのだろう。そして、木野はこうした些細な事で生まれる円堂との繋がりが、これ以上ない程に大事なのだろう。木野が円堂を好きだと言う事は、ハッキリ言って本人以外の全員に知られているような事実である。サッカー部でなくても、見る奴が見ればわかるのだ。先程述べた、木野を好いた男共の気持ちをへし折るのは他でもない、円堂だ。好きな女子の目線を辿ればその半分以上の場合に円堂がいる。これで木野の気持ちを理解できない人間は愚かしい。そしてその辿った目線をもう一度戻れば、木野がいかに深い情愛以って円堂を思っているかがわかるだろう。そして知るのだ。自分達の入り込む余地など、初めから一ミリも存在していないという事に。俺だって、とっくの昔に気付いてる。

「風丸―!秋―!」
「円堂君!」
「やっぱり購買行ってたのか」

反対側から走ってくる円堂を捉えた瞬間輝く木野の瞳を見て、苦笑する。本当に、健気なものだ。恋など微塵も理解出来ない癖に、広すぎる懐に深い愛情を持つ俺の幼馴染は、本当に罪造りで。もう、本当に、笑うしかないだろう。
「先、教室戻ってるから」
廊下で話し始める二人を残して、さっさと歩きだす。恐らく、教室の中から円堂と木野の様子を興味津津に眺めている連中からすれば、俺は二人をお膳立てした気の良い男とでも映っているんだろうな。きっと明日も明後日も、噂好きな連中の口をつく恋愛話の端っこにだって、俺と木野は上らない。この学校という一つの世間は、木野の想いが円堂からぶれることなど全く想定していないし、事実きっとそうだ。だから噂話の関心はいつ円堂が木野の気持ちに気付くか、それだけだ。だから俺はただ二人の隣りを素通りして背中を向けて手を振って見送ってやればいい。大分前にへし折られた恋心は、さっさと掃除してやらなかったからだろうか、未だにくすぶる想いを引き摺りながら未練がましい視線を不意に木野に送る事をやめない。どうせなら、この想いを捨てる為にも早く二人にはくっついていただきたい。そうすれば、こんな想いは強制的に捨てられる。だけど、それを望まない自分もいて、やっぱり俺は木野が好きだった。
思えば随分必死になって生きている。向けられる視線と交わる視線の意味を履き違えないように。まあ、木野の視線が俺に向けられる事も、俺と木野の視線が交わる事も、永遠に無いんだけど。






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