円堂←秋←一之瀬

何の変哲もない午後だった。昼休み直後の古典の授業はクラスメイトの大半がリタイアしていて、自分もその波に埋もれるように意識を落とした。その直後の英語で行われた抜き打ちテストにその行為そのものにブーイングをかまして中身には大した不平不満もなく解答する。隣の席の男子に顔と脳ミソ交換してくれと言われるのもテストとかがある度の出来事。授業終了間近、斜め後ろの席の女子がシャープペンを落としたのを拾ってあげて、渡す時に軽く微笑むのを忘れない。それだけで少し顔を赤くするその子を見ながら、今日の部活はミニゲームするかな、と考え始める。本当に何の変哲もない午後の風景が流れていって、陽が落ちるだけだ。

「一之瀬君はきっと浮気者だと思う」

いつも通り数週間に一度訪れる掃除当番を、同じ当番の秋と一緒にこなしているとき、秋が突然言った。「浮気者」だと。念の為にその一之瀬君って俺の事?と尋ねてみればこの学校に他に一之瀬君はいないでしょ、とばっさり切られた。

「俺のどこが浮気者なの?」

俺は自分では、結構一途なつもりだよ。声に出すと何だか自惚れているようにも聞こえるから、内心で呟くだけに留めた。だけどそうだろう、俺はあのアメリカで、秋と出会ったあの頃から、正直今でも君の事報われないって知りながらも想ってるんだから。夕陽に照らされている秋の表情から察するに、別に咎めている訳では無い様だ。ただこのお菓子美味しいよね、と品評するのと同レベルに俺の性格を測っての言葉なのだろう。

「一之瀬君は八方美人過ぎる。それでいて皆に好かれすぎてる」
「それは円堂も同じじゃないの、」

もしかしたらサッカー限定かもしれないけれど、円堂の好かれ具合は尋常じゃないし、好かれていなかったとしても、俺の知る限りで円堂を嫌っている人間なんて今まで出会った事がない。そこまで考えてから、しまった、と思った。別に円堂を皮肉った訳ではない。でもこれじゃあ明らかに悪意を感じる物言いになってしまった。秋は只でさえ円堂の事好きなんだし。怒られるかな。

「今、しまったと思ったでしょう?」
「え、」
「円堂君だったらね、言い方は悪いけど、自分の言葉が相手にどう捉えられて影響しているかなんて、全く以てどうでもいいのよ。どうでもいいというか、気にしないし、気付けない。それは皆から向けられてる感情に対してもそうなの」
「でも一之瀬君は違う。一之瀬君は自分の言葉が相手にどう届くかを考えるし、相手が自分をどう思っているのかだって気にしてる。その中で、この人への対応は適当でいいや、なんて思った事無いでしょう。全ての人に、プラスに働くように無意識に選んでるでしょう」

だから浮気者なの、といつもの秋とは別人なくらい、俺に口を挟む隙を与えずに一気にしゃべり終えた。その間、俺も秋も全く掃除の手を止めることはなく、少し離れた廊下から誰かが俺達を見たら、例えばそれが豪炎寺や鬼道だったとしても、こんな衝撃大な話をしているとは思わないだろう。秋は塵取りにゴミを集め終えるとゴミ箱に捨てる。まだゴミ箱は半分以下しか入っていないから、今日はゴミ捨てに行かなくても大丈夫だよね、とさっきまでの話題を無視して、俺の手から箒を受け取るとそれを教室の後ろのロッカーに戻していく。

「一之瀬君もいつか出会えるといいね。その人以外、どうでもいいと思えるくらいの、強い気持ちに」

そしてまた唐突に俺に向き合って、俺の好きな優しい笑顔で告げるもんだから今度こそ面喰って俺はその場で停止してしまう。そしてぼんやりと、こんな事を云う秋にはもう「その人以外どうでもいいと思える人」がいて、それが恐らく円堂なんだろうな、と考えた。ある意味これは二度目の完璧な失恋だ。けれど何故か胸が一瞬ちくりとしただけで、涙は出なかった。そして俺はそのまま秋と一緒に何事も無かったかのように部活に出て、いつも通り絶好調にフィールドを駆けて、帰宅して、夕飯を食べて風呂に入って眠る。
今日は本当に何の変哲もない一日だった。午後の古典の授業で爆睡して、英語の抜き打ちテストを余裕でクリアして、隣の席の男子となんてことない会話をし、斜め後ろの席の女子が落としたシャープペンを拾って笑顔で渡してやる。そんな何の変わり映えのしない一日だった。だけど明日は午後の授業も頑張って起きて受けて、隣の席の男子が何か羨んできたのなら少しは自分で努力しろと突き放して、斜め後ろの席の女子がシャープペンを落としても気付かない振りをする。そんな一日にすると、何となく決めた。





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