窓を開けてくれる、と夏未に頼まれたロココは返事をすることなく一番手近にあった小窓を開けることで応える。それにありがとう、と少しだけ微笑みながら返す夏未を眺めながら、ロココは夏未の表情の中でも自分は今の様に満面ではないけれど、優しい微笑みの方が好きかもしれないと考える。
雨は嫌いだ。もともと降水量の多い場所に住んでいたとかではないけれど、連日で降る雨はサッカー日和からは程遠い。外に飛び出す選択肢は既に試した。視界は悪いし服は汚れるし、何より怒られる。夏未の部屋に居座るロココは先ほど開けた窓からじっと外を見つめる。雨は既に小雨になっている。明日は晴れるかな、曇りでも良い。取り敢えず、この雨が止んでくれるならなんでもいい。
ベッドの縁に腰掛ける夏未の姿は無防備だ。チームメイトとはいえスキンシップの過剰な自分をあっさりと部屋に入れて追い出さない所も、そう。構って、と駄々をこねるのは今は中断中。一仕事終えたばかりの夏未に迷惑は掛けない。それがこの居心地の良い部屋を追い出されない為の賢い処世術だとこの部屋を訪れて数回目の時に学んだ。

「まだ爪乾かないの?」
「今塗り終わったばかりじゃないの」

両手を広げて呆れたように振り返る。夏未が腰掛けるベッドにロココが寝っ転がっている為、夏未は首だけを捻ってロココを見る。サッカーを取り上げられたロココは全身を使って退屈だと表現している。
何とはなしに、荷物の底から出てきたマニキュアを塗ってみようかと思い立った。ただベースコート程度で充分だった。パソコンを頻繁に弄る夏未は爪を伸ばさない。マネージャーの仕事にも邪魔なだけだ。保護の目的も兼ねて爪を弄り出した矢先、それまで大人しくしていたロココが言葉に出さないまでも退屈に根をあげそれを訴え始めたのだ。生憎、まだ爪は乾いていない。のそりと起き上がり上から夏未の手を覗き込む。

「?何で爪透明なの?」
「こういうものなの」
「それ意味ある?」
「さあ?」

適当に、愉快そうにはぐらかす夏未はロココに固定していた視線を自身の指に戻した。それだけでロココの機嫌が少しずつ悪くなることに、まだ彼女は気付かない。外された視線を、自身へ向ける興味、期待、好意といった物に置き換えてみては一人不安に駆られる。それは夏未相手に限ったことではない。伏せられた顔は、彼女の長い髪に隠れてよく見えない。そもそもロココは夏未の背後に陣取っているのだからそれが当然。

「――ロココ?」
「ちょっとだけだから」

背後から、夏未の首に両手を回して抱きしめるロココの声が、少しだけ弱い。それだけで、夏未はロココの言葉を拒否する気概を削がれる。彼女は、無意識にロココに甘い。一人きりで全てを受け入れて処理出来る人間なんていないのだから。方法はどうであれロココが自分を頼って甘えているのだと分かればそれを拒む理由が、夏未には見つけられない。部屋に流れる空気は少しだけ冷めている。きっと先程開けた窓から入る雨風の所為だろう。雨天独特の土臭さが鼻に届いてグラウンドを思い出す。太陽の下を元気に走り回るロココの映像が一瞬脳裏を過ぎる。自分は今のロココよりサッカーをして笑う彼の方が好きだと思う。伝える程の価値を持たない感情論が夏未の胸にじわじわ広がり始めて、まるでロココの退屈が移ってしまったのかというくらいに太陽が恋しい。

「明日は晴れるわよ」
「…本当に?」
「天気予報くらいチェックしなさい」

予報では雨は今日の夜には止むらしい。雨雲も消えて明日からは暫く晴れの日が続くと言っていた。なら良かった、と呟くロココの声は、顔を夏未の肩や髪に押し付けている為少しくぐもっている。首元に回された腕に無意識に触れればまだ乾き切っていなかったマニキュアは少し跡がついていた。しかし夏未にはどうでもいい事だった。保護目的とはいっても、明日からまた始まるマネージャー業の中では大した意味も成さないだろうから。結局自分もロココ同様に暇を持て余して遊んでいただけなのだ。

「ロココ、もう私の爪は乾いたけれど、貴方は何かしたいことでもある?」
「んー、一緒にお昼寝しよう」
「ここで?」
「そう、ダメ?」
「今日だけよ」

雨で少し下がっている気持ちは過度の思考を混乱させる。普段ならば絶対にダメと主張する内容ですら今なら別にいいかと受け入れてしまう程に。本当はまだ乾き切っていない爪に気休め程度に息を吹きかけてそのままベッドに横になる。一瞬離れたと思ったロココはまたすぐに夏未にくっつく。今度は眠気からくる純粋な甘えだ。それすら微笑みと共に受け入れて、既に目を閉じているロココに習い夏未も瞼を下ろす。起きたら、マネージャーとしてチーム全員に爪を切るように言わなければならない。明日の練習はきっと泥だらけのグラウンド整備から始まることになるだろうから。






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