気付いたら二人で暮らし始めていて、気付いたら二人で花屋なんてものを営んでいた。ばたばたと目まぐるしく過ぎ去った日々が割と性に合っていたらしく、杏はこっそりと溜息を吐いた。穏やかよりも、少々騒がしい位が自分と晴矢には丁度いいのかもしれない。
 何で花屋なんだと昔馴染みたちはこぞって尋ねて来るのだが、実際杏も何で花屋なんだろうと常々首を傾げていたりする。そんなんで大丈夫かと自分でも思うが、晴矢と一緒なら大丈夫だからと無条件に背中を預けているのに気付いて、そんな夢見がちでいられる年頃でももうないのにと苦笑を零す。

「花屋やろうぜ」
「は?」

 大学四年、卒論を出し終えたばかりの十二月。そんな冬の盛りに、晴矢が炬燵でみかんを貪り食いながら台所でお湯を沸かしている杏に放り投げるように寄越した言葉に、最初は「何言ってんのあんた」と言ったリアクションしかしなかった。
 四年生の大学で最終学年を迎えていた晴矢に対して、杏は高校卒業後服飾系の専門学校に進学し、今では無事に卒業しアパレル関連の店で正社員として働いていた。それなりの収入があって、それなりに気にいった物件に一人で暮らしていて、それなりに現在の生活に満足していた杏にとって、晴矢の言葉は気乗りしないというか、そもそも本気ではないんだろうなというのが第一に感じた本音だった。
 杏が晴矢と付き合ってきた、人生の大半という時間の中で感じたのは、彼は男女の付き合いに於いては若干古い観念を持っている節があるということだった。男が女を養うもの、守るもの。それが強さというもの。流石に、妻は夫の三歩後ろを黙って着いてくるものなどということまでは思っていない様だったが。もしかしたら、それは杏の気質をよくよく理解しているから無意識に排除しているだけかもしれない。とにかく、そんな古い、頑固な考えが持つ晴矢だったので、自分より先に杏が社会人として自活していくことに焦ったりしたこともあったようで。一時期学業を放り出してバイト三昧の日々を送っていた晴矢をとっ捕まえて事情を聞き出せば、このまま自分が社会人になるまでの間、経済面やら内面に於いても杏に置き去りにされたくないと意地になっていたと返って来た。それを聞いた時、杏は以前雑誌で年下の男性と付き合っている女性の喧嘩パターンがこんな擦れ違いからよく起こると書いてあったことを思い出した。自分たちは、同級生であるが。
 その場はじゃあお互いいつか一緒に暮らす時の為に、貯金を増やしておけばいいんじゃないかと何とも曖昧な結論で場を収めた。何となく、ここまで付き合いが長いと、お互いの身に何かが起こったりしない限り自分はこの人と別れたりはしないんだろうなあという妙な自信を持っている。いつかは一緒になるんだろうと、言葉にはしないけれどきっとどちらも思っている。同じように一緒にいる時間だけは無駄に長いヒロトと玲名がいつかなるべくしてそうなるように、自分達もそうなるのだと。結婚するとかはっきり言葉にするのは、今はまだ早い気がする。それこそ、学生の晴矢を拗ねさせるだけだ。

「なあ花屋やろうぜ」
「あれ、本気だったの?」
「当たり前じゃん。だって俺就活してなかったろ」
「ああ。割と長期計画だったんだ」

 年が明けて、大学生活最後の締めで忙しくしていた晴矢が二月の頭になって、突然杏の部屋を訪れて、聞き覚えのある言葉を再び寄越した。返事よりも先に、やはり本気だったのかという驚きが口を衝いて出た。
 確かに晴矢は表だって就職活動に勤しんでいる姿を杏は見ていなかったし、話題にもしてこなかった。何せこのご時世だし、上手くいっていなかったことを考えるとあまり既に職に就いている自分からの言葉を重荷に感じてしまうのではないかという気を回したばかりに深く追求することを避けてきた。こんなことなら、ちゃんと問い詰めておくべきだったと今更ながらに後悔する。
 「で?」と玄関先で、ジャケットに両手を突っ込みながら杏の顔をじっと見ながら返事を促す晴矢の表情が、思っていたよりずっと真剣だったのを確認して、気付けば杏は「いいよ」と頷いていた。
 花屋になるには資格等はいらないらしく、思っていたよりも早く杏は仕事をやめて新たに花屋という職に就いていた。これも知らなかったのだが、晴矢は大学時代花屋でバイトをしていたことがあるらしく、そこの経営者にえらく気に入られたらしい。昔髪型を花に例えられていたこともある彼なので、もしかしたら縁があったのかもしれない。
 その経営者が、経営状態よりも自身の年齢や体調を理由に店を終おうとしているのを、晴矢に引き継がないかと大分前から持ち掛けられていたらしい。あっさり引き受けてしまう晴矢も晴矢だ。
 杏は花が好きだったが、特別詳しくもなかったので、開店と同時に勉強を始めた状況だった。意外にも晴矢がちゃんと知識を持っていたことに、失礼ながら驚いたりもした。それから時間を見つけて、アレンジメントの教室に通ったりもしている。昔馴染みたちの特別な日に、お祝いの意味でブーケを贈ったりするのが最近の楽しみとなって来ていた。

「まさかここまで夢中になるとは思わなかったわ」
「お前ひとりごとデカイよ」
「あれ、配達終わった?お疲れ様」
「おう、ただいまー」

 いつの間にか配達から帰宅していた晴矢を労う。失礼な突っ込みに一々声を荒げたりはもうしない。反応して、言葉の戯れを楽しむのも悪くはないけれど、二人きりであっても今は仕事中だということを忘れない。

「そういえば茂人がさ、来月から穂香と一緒に住むんだってさ」
「へえ!おめでとうって言わなきゃ!」
「言っといたけど?」
「茂人にでしょ!穂香に!……ブーケでも作ろうかな」
「あー、ブーケといえばさあ、いやブーケ関係ないんだけどさ…」
「何?急に煮え切らなくなったわね」

 怪しむように眉を寄せて見てくる杏に、何か妙な勘違いをされては困ると、意を決したように晴矢は手にしていた花束を彼女に向かって差し出した。帰って来てから何か手に持っているとは気付いていたが、こうして差し出されて初めて杏は彼が持っているのが何の花なのかを視認した。

「スイセン?」
「ほら、俺ら花屋始めて一年じゃん」
「うん、そうね。あっという間だったわ」
「だからさ、いやだからっていうんじゃないけどさ」
「さっきから何なのそれ」
「結婚してくんねえか?」
「は、」

 自分を花屋に誘った時のようなまた突然の申し込みに、驚いて瞳を見開いて晴矢の顔をまじまじと見つめる。照れたように頬を薄く染めながら、それでも真剣な色を宿した瞳と真正面からかち合う。視界の端にぼんやりと映り込んでいるスイセンが微かに揺れた。
 たしか、スイセンの花言葉は「わたしの愛にこたえて」だったか。それに気付くと、何だかそれを意図してこの花を選んだ晴矢も、その意をちゃんと汲み取れてしまう自分も、たった一年で随分花屋っぽく染まったものだと可笑しくなる。そう移ろってきたどの時間にも、必ずお互いが存在しているというのに、形式ばって言葉を贈ってくれる晴矢が、とても可愛くて愛しい生き物に思えてきた。
――だって、私がアンタの愛に応えるなんてそんなこと、ねえ?
 決まってるじゃない、という言葉を唱えると同時に晴矢が差し出した花を受け取る為に彼の手に自分の手を重ねた。緊張していたのか、触れた手は熱かった。

「私でよければ、喜んで」

 晴矢に対して、こんな謙虚な言葉を吐くのはこれが最後。本当は、私以外の誰かがいるなんて、欠片も思っていない。晴矢も、杏の言葉を受けて嬉しそうに、照れたように歯を見せて笑う。懐かしい、少年の様な笑顔だった。
 結婚式のブーケは、自分で作ろう。そうして、昔馴染みの誰かの幸せを願って投げてやろう。大好きな他人の幸せを願ってやれるくらい、今の二人は間違いなく幸せだった。


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賑やかなさらわれ方
Title by『ダボスへ』


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