本屋でレジ打ちをしていると、珍しくプレゼント用の包装を頼まれた。その時、クララは不意に自分と風介が付き合い始めてからそろそろ一周年だということに気が付いた。
 高校に入ってからも、風介は馬鹿みたいにサッカーボールを追いかけていて、逆にクララは進学を機にサッカーを止めた。それほど未練もなく、中学生活を区切りにサッカーから離れる仲間は意外と多かった。特に女子は。
 高校に入ると個人の付き合いや行動範囲も広がって行くものだから、何かとお金も掛かると、進学前からバイトをすることだけは何となく決めていた。風介や、ヒロトや晴矢辺りの面子がサッカーで高校を選んで奨学金を貰ったりしている姿を横目に、こうして少しずつ幼馴染なんて関係は解けていってしまうのだと、ぼんやりと他人事のように構えていた。

「一緒にいたいから付き合ってくれないか」

 新しい春が近づき始めて、それでもまだ肌寒い風を受けながら、風介はクララに告げた。お日さま園の庭に在るぼろっちいベンチに腰かけながら、近くにある桜の木の枝々と、蕾の隙間から落ちる淡い日差しと影のコントラストが、クララの思考を掻き乱した。
 好きだから、とは言われなかった。ただ、クララが他人事のように捉えていた広がって行く相手との距離感を、風介は割と自分のこととして切に身近に捉え、怯えていたらしい。同じ高校に行くのだから、お互いお日さま園を出ないのだから。顔だって、声だってきっと見失うほど遠ざかりはしないだろうに。

「……私は貴方と付き合っても何も出来ないわ」
「しなくていいよ。今まで通りでいいんだ」

 それなら今まで通りでいいじゃない。内心で思った言葉は、風介の言葉選びの所為でややこしくなりそうだったから仕舞った。
 風介のことは、嫌いではなかった。以前は同じチームでサッカーをしていたし、その頃は純粋に尊敬の念を抱いていた。だけど思えば、それはサッカーに対する姿勢だったり実力に対してのものであって、風介本人のことをそれ程深く考えてみたことはなかったかもしれない。だって、みんな大切な家族のような存在だったから、特別なんて必要なかった。クララの性格上、表情や言葉、態度にだって表れない本音。どこか幼稚かもしれないと思いながら、それでも構わないと思っていた。
 そんな曖昧な感情のまま、風介の告白かもわかりづらい求愛に応じたのは、多分、上手い断り文句が思いつかなかったことと、年頃の好奇心に負けたからだろう。クララだって、まだ子どもだから、付き合うとかそういった類のことにちょっとした興味を抱く年頃だったのだ。
 一年経った今でも、自分が子どものままであることをクララは知っている。寧ろ大人に近づく成長とやらを遂げているかの方が疑わしかった。自分の変化など、思うほど自分では気付かないものだから。アルバイトを始めて、自分の口座や通帳、携帯を保有して管理することは、自分の面倒を自分で見れているような軽い錯覚は与えてくれるが、それは大人になるということではないのだろう。子どもでいられる内は、子どもでいればいいのだ。あまり背伸びし過ぎても、瞳子辺りが寂しそうな顔をするから困る。クララは、割と淡泊なので、周囲の人間が困っていても傍観する位置を崩さないが、それが自分の所為となるとそれなりに申し訳なく思う程度の人間味なら当然有していた。だから、分かりやすい好意など示さずとも風介と別れることもなく一年も過ごしてこれたのだ。
 最初の宣言通り、クララは風介と付き合っても何も出来なかったし、しなかった。クラスが別だったので、廊下で挨拶を交わしたり、毎日ではないがお昼御飯を一緒に食べたり。時折、アルバイトのない放課後に、彼の部活の終わりを待って一緒に下校するくらいだ。中学生の頃も、そういった機会は何度もあった。しかし、恋人同士だからわざわざ約束を取り付けて一緒に帰っているというのに、かなりの頻度で帰る場所が同じという理由で赤髪が二人程引っ付いている状態だったりした。自分の彼女はどうしたと思うがどちらもバイトだったり、待っててと頼んだらすげなく断られたりしたらしい。その所為か、風介とクララは割と仲の良いカップルだと周囲から思われていた。
 仲が悪い訳でもない。同じ恋人同士でも、離れ離れになっても表情一つ動かさない友人を、クララは知っているし、距離感の問題でもないのだろうけれど。


 本屋でのアルバイトを終えて、帰宅の路に着いたクララは、何故一周年だというだけでここまで風介と自分の関係について振り返ったり考え込んだりしているのだろうと不思議に思う。感慨深いなんてしみじみする程、劇的なことなど一つもなかった。友達だった頃とだって、大差ない日々だった。それでも、楽しくなかったかと聞かれれば、首を縦に振ったりはしない。
 正直、代り映えのしない日々だったけれど、それなりに楽しくて、嫌なことだって当たり前に在る日々だった。充実していたといえば、クララは自分的にはと前置きした上で頷くだろう。ただ、それが果たして風介と恋人という関係に収まったから齎されたかといえば些か疑問が残ってしまう。嫌いではない人間を、好きだと胸を張って言えるようになるには、一体どうすればいいのだろう。

「クララ、」
「……あら、部活帰り?」
「ああ。クララはバイト終わったのか」
「そう、朝から夕方まで」

 噂をすれば何とやらで、背後からクララに呼びかけで、いつの間にか隣りに並んでいる風介に驚くこともなく他愛無い会話を細々と繰り返す。
 風介は、今日が自分たちが付き合い始めて一周年だということを知っているだろうか。俗に言う記念日という奴で、これを祝わないことでくだらない喧嘩に発展することがあると聞いたことがある。ノルマなどないのだから、付き合った月日を記録の様に扱って讃えることもないと思うのだが、今のクララには、単に覚えておいて欲しいと思う気持ちなら理解出来る気がした。
 そうして、ああ自分は風介のことが好きなのかもしれないと気付いた。だって、付き合ってと言って来たのは風介なのに、それから一年経ったことを覚えていて欲しいと思っているのは自分だなんてあべこべだ。だけどそれが不愉快だなんて微塵も感じない。ああそうかと、すとんと落ちて納得して、一年も一緒にいればこうもなるわよなんて、誰に向けるでもない言い訳じみた、照れ隠しをして。二人並んで歩く帰り道に、余計な赤髪がいないことが、こんなにも嬉しい。

「風介君」
「ん?」
「一緒にいたいから、これからも宜しくね」
「……、ああ、宜しく」

 風介は、一瞬虚を衝かれたように目を見開いて、それから直ぐに優しく目を閉じて、嬉しそうに微笑んだ。歩いている最中の、どれも一瞬のことだったけれど、真横にいるクララにはその一挙一動が全てはっきりと映っている。
 このまま、今まで通りが続けば良い。ささやかに込めた願いを、きっと風介は受け取ってくれたのだろう。少しだけ不自然な、あの日の告白をなぞるような、そんな戯れに。
 一周年なんて、やっぱり祝わなくていいと思う。だって、ずっとを体現するには、まだまだ二人の道は長い。そうして、当り前のようにお互いが傍にあれば良いなんて思っているのだから。


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フィナーレはまだ鳴り止まない
Title by『ダボスへ』


一周年企画ログ







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