いつまでもお日さま園のみんなで仲良く家族として暮らしました、なんてエンディングを迎えることが叶わないことなんて、ここに引き取られたその日から自覚していなくてはならなかった。ただそのことばかりに頭を支配されていたのでは誰にも心を許すことが出来なくて。いつか離れると知りながらも、それを知らないと無知な振りをして、同じように傷を持つ誰かと惹かれ合っていた。それが、大夢にとっては希望だっただけのこと。
 高校進学と同時に、大夢はお日さま園を出ることにした。園から大分離れた全寮制の高校に、特待生として入学することになったのだ。同年代の子どもよりも、ずっと先を見据えて進学先を選ぶのはなかなか困難だったが、やらねばならないと勝手に自分に枷を付けて現在の学校に落ち着いた。費用の問題から、高校生活三年間をずっと成績優秀なも反省ととして過ごさなければならないことは面倒だったが、出来ない事でもないだろうと納得している。
 大夢と同じ学校へ進学する人間はお日さま園にはいなかった。つまり、希望の進学先も大夢とは違う高校だった。何も言わずに将来を決める程、彼女を蔑にするような大夢ではなかったので、彼は一度だけ、進路の最終調査票を学校に提出する前に彼女に尋ねた。

「一緒に来る?」

 ちゃんと、じっと瞳を見詰めて、だけど決して共に在りたいと願っているような色だけは滲ませないように意識しながら、言葉を紡いだ。希望は、大夢の言葉を受けて、その意味を噛みしめて熟考するように目を閉じた。それから小さな声で「いい」と首を振った。ある意味予想通りの言葉だったので、大夢はそうかと頷いただけでその場は終わった。
 希望は、大夢の人生は大夢のもので、その中で自分という存在が彼と関わり合うことが出来ても、彼の人生と自分の人生を重ねて考え合わせてはいけないのだと知っていた。家族のようではあるけれど、家族ではない自分たちは、結局まだ自分ひとりの足で立って歩いて行かなければならない。導くように手を差し出されてそれを取ることがあっても、二人三脚の様にがっちりと結ばれている訳ではないのだ。進路を決めるのに、大夢を理由にするのは、お互いまだ幼く荷が重いことだ。
 私立に進学する大夢は、希望よりも早くに合格し、受験を終えた。無神経かとも思ったけれど、希望もそれほど受験でカリカリするほど高望みをして進路を選んではいなかったので、学校で合格の通知を受け取った後そのまま希望に近づいて「決まった」と告げた。希望は初めこそぼんやりと大夢を見返すだけだったが、彼の手にある合格通知を見つけると小さく微笑んで「おめでとう」と答えた。
 傍から見ると、大夢と希望の付き合い方は同年代の他の恋人同士のそれとはずれているらしかった。淡泊というよりも、質素と形容される不思議な形。もっと贅沢をすればいいのに、と零す友人たちの表現が果たして人間関係に於いて正しい言葉選びかは分からない。例えば、彼氏の受験合格に際しておめでとうの一言で済ましてしまう所とか、別々の進路を選ぶことに、何の不安も覚えずに一緒に行かないことを選んだりだとか、そのことにあっさりと諦めて言葉を仕舞ってしまう所とか。挙げればキリがないなんてそんなこと、他人の価値観を二人は全く必要としていなかった。

「偶には帰って来る?」
「うん。希望に会いにくるよ」
「……、リュウジにも会いに来てあげてよ」
「アイツうるさいから」
「待ってるね」
「うん」
「高校で、バイトしてお金入ったら、携帯買うから」
「待ってる」

 こんな会話だけで、充分だと思えてしまう。待っていてくれるなら、会いに来てくれるなら、それで十分だ。
 希望はお日さま園から出る予定はなかったが、高校生にもなると個人で携帯電話を所有しているのが当たり前だ。強請る親も、支給してくれる親もいない彼女は、当然自分で稼いで購入するしかない。四月から働いたとして、早くても五月中旬を過ぎなくては手にすることは出来ないだろう。そうなれば、クラスの友人を作るツールとしての役割を果たすのには遅すぎるかもしれない。だが希望にとって携帯は友人と繋がる媒体ではなく大夢と繋がる媒体としてイメージされていたので、問題はなかった。
 特待生として好成績の意地を要求される大夢が早々バイトに励める筈もないので、メールやら毎晩電話なんて、遠距離恋愛を繋ぎとめるには、心許無い部分もあるけれど。
 それでも希望は、初めて自分で稼いだお金で携帯電話を買って、お日さま園の友達の誰より先に大夢の寮に電話して、一番に連絡先を伝えた。


 忙しなく、ということもなく。あっさりと出来上ったサイクルの上をなぞる生活を繰り返して、離れ離れに慣れたと言うのとはまた違うのだが、それなりの記憶量を増やして気付けば一年が経っていた。
 一年前、お日さま園の入口から旅立って行く大夢を見送ったことは、今ではもう鮮やかとは言い難い思い出だ。自室のベッドに腰かけながら、すっかり手に馴染んだ携帯を弄る。月に一、二度のデートと、週に数回の電話だけで、大夢と希望は遠距離の一年を繋ぎ続けた。正直、全く不安になんて襲われなかったのだから大したものだと自分でも思う。足りないとは思うけれど、寂しいとは思わない。会いたいとは思うけれど、帰りたくないとは思わない。次があると無意識に確信するのは、まだ幼いが故の幻想だろうか。
 休日の暇を持て余していると、サイレントに設定した画面が着信を知らせるものに切り替わる。登録されていない、見覚えもない数字の羅列に首を傾げながら、警戒もせずに通話ボタンを押したのは、やはり暇だったからだろう。

「もしもし?」
『俺だけど』
「……。どこから掛けてるの?」
『携帯からだけど』
「友達の?」
『俺の。さっき買った』
「買ったの?お金平気なの?」
『休みの間に短期でバイトして貯めてたから何カ月か分は余裕。今年の休みもバイトしてまた貯金するから平気』

 突然のことに、希望は疑問をぶつけることしか出来ない。確かに夏、冬、春と長期の休みには大夢がバイトをしていたことは知っていた。その為あまり長期休暇に入ってもお日さま園に帰ってこない彼にやきもきする緑川を宥めた記憶が、希望にはある。それが、携帯を買う為だとは全く思いつかなかった。欲しいものでもあるのだろうとは思ったが、何故か携帯ではなく服やゲームといった類のものだと想像していた。何せ携帯は、毎月の使用料が掛かる。短期のバイトで手に入れても維持する費用を稼げない環境にいる大夢は手に入れようとはしないものと決めつけていた。

『一応、一番に知らせたかったから』
「…ありがとう、」
『これからは時間とか気にしないで連絡も取れるし』
「そうだね、」
『希望は別に今まで通りでも平気かもだったろうけどさ』
「……、今まで通りでも、寂しくはないけど」
『うん』
「それ以上があるなら、凄く嬉しい」
『俺も嬉しい』

 えへへ、と照れたように声を洩らす希望の電話口の向こうで、大夢も微かに笑う気配がした。暇を持て余していた筈の休日が、忘れられないくらい素敵な時間に早変わりしていた。単純過ぎる程に、自分がここまで大夢を好きだと実感していることを、希望は胸に広がるむず痒い甘みと共に噛み締めた。携帯で連絡を取り合うなんて、恋人同士ならもしかしたら当たり前のことを、自分たちがしているというだけで何故か特別な気がしてくる。
 いつまでもお日さま園のみんなで仲良く家族として暮らしました。そんなハッピーエンドは何所にもない。望みもしない。だけど、二人で家族になっていつまでも幸せに暮らしました。そんな未来なら、他人に贅沢だとか茶々を入れられたとしても望んでみたいと思う。
 まだ高校生の、まだ恋人として繋がっているだけの子どもの大夢と希望は、そんなありふれた質素な願いを抱いていた。
 そんな願いを叶えるように、お互いの携帯の着信履歴やメールのボックスがお互いの名前で埋め尽くされていくであろうことを、二人はまた無意識に確信していて、おかしくて、幸せで、また笑った。


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あなたがたの帝国
Title by『ダボスへ』


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