寝たら忘れてしまうような些細な言い合いから、他人に仲裁して貰わなければ修復できないような諍いまで、思えば随分と衝突を繰り返してきた。今でこそ口論で済んでいるが、小さい頃なんて本当に男女の差なんて気付きもしないで取っ組み合いの喧嘩をすることだって多かった。
 そんな風に、お互いの言葉や仕草を何一つ受け流せないまま、瀬方とマキは時間を共に過ごしてきた。一言で形容するなら、幼馴染。だけど自分達にこの言葉を当てはめるには、聊か軽すぎるような気もしている。だって何分、同じように時間を共有してきた存在が多すぎるのだ。

「隆、このタオルとか、いる?」
「あー、本気で言ってる?」
「冗談!隆がこんな水玉模様のタオルとか使ってたら気持ち悪いもん!」
「……」

 自分で話題を振っておきながら、自分で勝手に人を貶して話を締める。マキの、捉えようによっては自己中以外の何物でもない部分を晒される度に、瀬方は何とも言えない悶々とした気持ちになる。手にした水玉模様にタオルをファンの様に振り回しながらマキは取り留めないことをぶつくさと瀬方に語りかけている。正直、殆ど耳を傾けていない。マキの話題はコロコロと二転三転して、最終的に最初とは全く関係ない所に落ち着く。そんな中身のない会話も同然とわかりきっている話なので、瀬方は大抵最後の方だけ聞いていればいいと思っている。
 そういう、付き合いが長いが故の惰性をマキ本人に見抜かれるのが一番厄介なのだと知りながら、どうせ気を使うだけ無駄だと思い込んでいる。どうせ明日も明後日も、最悪数時間後にだって同じことを繰り返すのだからとタカをくくっているのである。

「―――たら、どう思う?」
「ああ、好きにしたらいいんじゃないか」
「………」

 これもいつも通りと、マキが他人に意見を求めた所で、それを参考にすることもなく自分の我を貫く彼女に合わせた適当な相槌を投げる。ただ、いつもと違ったのは普段ならもっと真剣に考えろだの文句を言ってくる彼女の声が、完全に沈黙したこと。
 不思議に思って、彼女の様子を確認しようとする。この時、瀬方は自分がマキの顔すら見ずに会話していたことに気付いた。否、会話ですら無かったことに気付いて、何故だか無性に背筋が冷えるような、説明のつかない焦りに似た感覚が彼の体中を這いまわった。
「マキ…?」
「…もういい」

 拗ねたはいなかった。ただ、今までに一度もなかった、失望の色を滲ませながら、俯いてマキは瀬方に背を向けて彼の前から去った。その時、光って見えた粒は、意地っ張りな少女が何年も見せまいと堪えてきた涙だった。
 茫然とした瀬方は、情けなく引きとめようとした手を宙に浮かせたまま、結局そこで停止した。
 今までなら、不満げに瀬方の部屋を出た後のマキは直ぐに他の女子に自分の文句を告げ口して、その後マキの味方に付いた連中に瀬方が怒られるというパターンだったのだが、今回はそれもなかった。
 そうして何となく、瀬方はマキとの間に気まずさを感じるようになった。その気まずさの理由を上手く言葉でも感覚でも捉えることの出来ないまま、瀬方とマキは高校生になっていて、お互い同じ高校に進学したにも関わらず学校では殆ど会話もしないような素気ない付き合いをするようになっていた。
 瀬方は高校に入ってもサッカーを続けていて、マキは高校進学を機にサッカーをやめた。そうするお日さま園の女子は彼女だけではなく大半がそうだったから、瀬方は時の流れを感じただけで、何も言わなかった。数年前までは、同じボールを一緒に追い掛けていたのだと思うと、残念よりも寂しいと素直に思う。勿論、言葉にすることはなかった。
 普通の女子高生。今のマキを形容するのなら、誰もがきっとこう答える。サッカー少女の名残など微塵も見せずに、バイトをして携帯を弄り友達とふざけ合っている。お日さま園の大半が進学先に選んだ高校で、サッカーを止めた女子も試合があればよく応援にやって来る。まあ、園の仲間がプレイしているからというよりも自分の恋人がプレイしているからという人間も多い。もしくは、特別仲の良かった相手に呼ばれたとか。だけどマキは一度だってサッカー部の試合を見に来ようとはしなかったし、登下校の際グラウンドの隅を通ることがあってもサッカー部には一瞥すら寄越さなかった。
 それを、瀬方は面白くないと思う。だけどもう高校生だし、これがマキの新しい生活なのだと納得しなければならない。そう思ってはいたけれど。何せ、瀬方は小さい頃からマキと下らない言い合いをするような、短気な性格をしていたもので。つまり、我慢の限界が割とあっさり訪れた。

「マキ!」
「…何?廊下であんまり大きい声で呼ぶの止めてよ」
「明日サッカー部、うちのグラウンドで試合するから来いよ」
「何で?マキ関係ないじゃん。彼氏がいる訳でもないのに…休日に学校来るなんてやだ」
「俺が出るから見に来い」
「はー?」

 心底意味が分からないと睨みつけてくるマキに、こうして目を合わせることすら久しいと感じる。不意に、記憶の隅に残る最後に見たマキの涙が過ぎる。あの残像に比べて、目の前にいるマキは少しだけ身長も伸びていて、うっすらと施された化粧が瀬方の目につく。

「マキ、もうサッカー止めたし」
「プレイは止めても見るくらいいいじゃねえか」
「はあ?マキがサッカー止めたらどうするって聞いた時に自分は関係ないみたいな言い草だったくせに今更何言ってんの?」
「はあ?いつそんなこと聞いたんだよ」
「うわあ、忘れてるとかほんっとサイテー」
「いや…それは…悪い」
「まさか隆にあんな風に冷たく言われるとは思ってなかったからマキちょっと泣いちゃったなー」
「…あ、ああああ、あの時か!」

 マキの言葉は瀬方にとっては寝耳に水だったが、次第におんぼろになりかけた記憶がクリアになって繋がる。涙ばかりに気を取られていた欠片の直前、確かに自分はマキの言葉に投げやりな対応をした。何て言ったのかも覚えていなかったなんて言ったら、マキは怒るだろう。まさか、彼女がサッカーを止めることを自分に相談していたとは驚きだし、それをしに来ていたこと自体驚きだ。マキが自分の行動の進退を他人に任せるようなことはしないと勝手に思っていた。我が強いマキを、人として強い物だとばかり思っていた。自分と同じ年数と数か月の差しか生きていない子どもだというのに。

「…悪かった」
「別にいいよ。隆がなんて言っても結局サッカーは止めてたと思うし。でも…、」
「…?」
「隆ちゃん、マキとサッカー出来なくなってどう?」
「どうって…、やっぱしっくりこない時もあったし、不思議な感じもするし、……寂しい、と思う」
「何照れてんのー。でもまあいっか。合格!」
「は、」
「マキが大好きで寂しがり屋の隆が試合で活躍できるように応援しに行ってあげるね!」
「何でそこまで飛躍してるんだよ!」
「えー、隆が自分で言ったんじゃん!」

 懐かしい馬鹿みたいな言い合いが始まって、そうして瀬方はもしかして思った以上にマキの言う通り自分は彼女が大好きで寂しがり屋だったのかもしれないと内心頷きそうになって慌てて否定した。言葉の雰囲気なんてまるで穏やかでないのに、マキと会話しているというだけで何を満たされた気持ちになっているのだろう。
 胸の内側から顔を出そうとする本音を強引に押し込めて、久し振りに近くで見たマキの笑顔に瀬方も笑う。取り敢えず、次の試合は大活躍しないと大変なことになりそうだと、一人気合いを入れる瀬方だった。


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友達ごっこ
Title by『彼女の為に泣いた』


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