(桜・円春)

「キャプテン!キャプテン見て下さい、ほら、桜!」

 大声で呼び掛ければ、グラウンドへ向かって掛けていた足を止め、彼は此方を振り返る。校舎とグラウンドの間に植えられた桜の木々は春休みの間に満開を迎えていた。去年まではまだ小学生だった私は、この見事に咲き誇った桜を見るのは初めてだ。若干興奮気味の私に、不思議そうに首を傾げながらキャプテンは私が指差す桜を眺める。

「すっごいな、」
「キャプテンは去年も見たんじゃないんですか?」
「去年はグラウンドではサッカーさせて貰えなかったから、あんまりここ通ってないんだ」
「…そうだったんですか」

 たった一年前、サッカー部とも言えないような状態だったサッカー部のことを語るキャプテンは少し寂しそうで、だけど嬉しそうでもあった。過去があるから今がある。キャプテンが、荒まずキャプテンで居てくれたから、私はこの人をキャプテンと呼べる。こうして桜を見上げて綺麗ですねえなんて呑気な会話が出来る。私はそれがとても嬉しいのだ。キャプテンは、はーと桜に感心しながら時折風に乗って運ばれてくる花弁をキャッチしようと手をぱんぱん合わせている。案外難しいんだな、と私に微笑み掛けるキャプテンを見ていると、なんだか幸せな気持ちになる。

「そうだ、みんなでお花見しませんか?」
「お、いいな!」

 善は急げとばかりに、キャプテンの手を引いて駆けだす。だが直ぐに追い抜かれて私がキャプテンに手を引かれる形になってしまった。そしてふと考える。キャプテンは、来年の春はもう此処にいない。来年は、こうして一緒に桜を見ることは出来ない。ならば、キャプテンが、今年眺めたたった一度のこの桜を、私は胸に刻んでおこう。視界の端に花弁が流れた。最後の一年が、もうすぐ始まる。

(オキザリス・虎冬)

 グラウンドの隅に、誰が育てているのかも良く分からないプランターが置いてある。冬花が練習後、ボールの片づけを終えて宿舎に戻ろうとしている途中、そのプランターを覗き込んでいる虎丸を見かけた。一瞬、声を掛けようか迷ったが辺りに誰もいないことを確認すると、逆に一人で一体どうしたのだろうと心配になってしまい、結局小走りで彼に近づいて驚かさないように声を掛けた。

「虎丸君、どうかしました?」
「あ、冬花さん。えっと、この花、咲かないんですかね?」

 虎丸の肩越しにプランターを覗きこめば、そこには確かに紅紫色の花弁が見えたが、虎丸の言う通り花弁が開いていない。しかし蕾でもないし、枯れている訳でもない。それが、虎丸には不思議で仕方なかった。

「オキザリス、」
「…へ?」
「花の名前。あと大丈夫、この花は日陰に置くと閉じちゃうの。だからプランターを日当たりの良い所に移せば咲くと思いますよ」
「そうなんですか?」

 冬花の返答に、虎丸は嬉しそうにプランターをずらす。自分達で育てている訳では無いのに勝手に動かしていいのかとも思ったが、相手は花なのだ。咲かないより咲く方がいいだろう。そう思い冬花は口出しはしなかった。多分、明日のこの時間には花が咲いているだろう。

「ねえ、虎丸君。オキザリスの花言葉を知ってる?」
「花言葉?」
「そう『喜び』、『輝く心』、『母親の優しさ』」
「……」
「なんだか虎丸君にぴったり」

 そう微笑む冬花に、虎丸は若干恥ずかしさを覚え顔を赤くする。小学生の自分をきっと冬花は微笑ましく見守る対象とでも思っているのだろう。
 冬花はきっと虎丸より多くの事を知っているのだろう。今みたいに、時折虎丸を助けてくれたりもする。それはとても嬉しくて勉強にもなるけれど、少し悔しかったりもする。一丁前だと思われるかもしれないが、ちょっとした虎丸の男としての意地である。

「冬花さん!」
「なあに?」
「明日、またこの花一緒に見ませんか?」
「…うん、良いよ。見ようか」
「本当ですか!?」
「本当」

 話題を逸らそうとして結局また子供扱いを受けてしまったのだが、気にしない。また明日。普段からそう二人きりになれる関係でもない。少しずつ、自分を知って貰おう。只の子供じゃない、貴女を思う一人の男なんだと。決意を新たに、虎丸はオキザリスの花を眺めた。明日、どうか咲いていますようにと願って。

(薔薇の芽・風夏)

 ぱちん、ぱちんと庭に植わった植物を剪定する夏未の後ろ姿を眺めながら、風丸は先ほど出されたばかりのハーブティーをちびちびと飲んでいる。正直、細々とハーブの説明をされてもあまり興味のない風丸には面白味に欠ける。ようするに、紅茶だろうと言葉にしなかったのは、風丸にそれなりに場の空気を相手の気持ちを読む常識が備わっているからである。

「なあ、さっきから何してるんだ?」
「芽掻きよ」
「芽掻き?」
「余計な芽を若いうちに摘んで形を整えるの」

 風丸自身園芸には無知であるが、情報としては植物はそういったことをすると聞いたことがる。庭にあるテラスでお茶をしようと言いだしたのは夏未の方なのだが、当の本人は庭に出てからというものずっとその芽掻きとやらに集中しており、風丸は放ったらかしを食っている。それに腹を立てたり、寂しいとはあまり思わない。ただ、彼女が庭いじりをするということのほうが意外で新鮮だった。勝手ながらこういったことには不器用なのだろうと勝手に決め込んでいたから。

「自分で手入れするんだな」
「この薔薇はちょっと特別なのよ」
「それ、薔薇なのか」
「…葉を見ればそれくらい分かるでしょう?」

 確かに言われてみればそんな気もする。一人納得し頷く風丸に、漸く夏未は作業の手を止め微笑んだ。風丸の隣の椅子まで戻り腰掛けてティーカップに手を伸ばす。芽しかいじっていない彼女の手は綺麗なままだった。土の汚れよりも、棘で怪我をしていなかったことに、風丸は安心する。

「これであの薔薇は夏になれば綺麗に咲くわ」
「薔薇って夏に咲くのか」
「ええ、そうよ。良かったら見に来てね」

 美しい笑顔に添えられた誘い文句に、風丸も微笑んで頷く。きっと風丸はこの約束通り、夏にはまたこの庭を訪れ彼女が手ずから育てた薔薇を眺めるのだろう。それまでに、薔薇より夏未の方が綺麗だよの文句が言えるくらいにはなっていたいものだ。


(苺の花・ヒロ秋)

 夕食の準備をするには少し早い時間、秋は食堂で読書をしていた。読みかけの本から取り出した栞をテーブルに置いていたのだが、偶然秋の後ろを通ろうとしたヒロトの目にそれが止まったらしい。秋の使用していた栞には、押し花がされており、ヒロトはどちらかというとその栞よりも花が気になった。見覚えは確実にあるのだがどうしても名前が出てこない。
 秋は背後から全く動こうとしない気配を不思議に思い振り返る。そして何やら真剣に考え込んでいるヒロトの姿を見つけ驚いた。誰かと予想を付けていた訳では無かったが、まさかヒロトだとも思わなかった。

「どうかした?」
「いや、ねえその花なんだっけ?」
「花…?ああ、苺だよ」
「苺…そうだ、それだ!」

 よほど奥底に突っかかっていたのか、いかにもすっきりしたといった様子を見せるヒロトが微笑ましくて、秋は思わず笑ってしまう。悪気は当然ないのだが、不思議そうな顔をするヒロトに慌ててごめんね、と謝るとヒロトもはしゃぎすぎたかな、と照れたように俯く。
 あまり二人きりで話したことはない。元キャプテンだったこともあってか、ヒロトは世話を掛けるよりも焼く側の人間だった。その為マネージャーである秋に仕事を回してくるようなことはなかった。それが今、案外すんなりと弾む会話に、お互い戸惑いながらも心地良く身を委ねていた。気付けば秋は手にしていた本に指も挟まず机に閉じて置いてしまっていた。

「ヒロト君見てると苺食べたくなるわ」
「…それって髪の色?」
「ふふ、そうかも」

 自分の前髪を摘み上げながら、そんな美味しそうな色かなあとヒロトは首を捻る。残念ながら苺はまだ旬じゃない。値段的にも合宿の夕飯のデザートに人数分揃えるのは難しい。今はまだ、秋の栞のように沢山の白い花を咲かせている時分だろうか。

「なんか、俺も苺食べたくなって来た」
「もう少し経ったら、食べようか」
「そうだね、約束」

 可笑しなくらい自然に絡ませた小指。ずっとではなくちょっと先の約束。きっと、この苺の押し花の栞を見る度、秋はこの約束とヒロトの赤い髪とこの約束を思い出し微笑むのだろう。







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