謝罪というものは、必要な時であればあるほど自らの口をついて出てきてはくれないものだ。天の邪鬼な性格は自覚していたが、それを今日ほど恨めしく思ったことはない。
悪戯を止めようと思ったことはない。だけど誰かを傷つけようと思ったことだって一度もなかった。ましてや好きな女子を泣かせようなんて。
いつものように、自分のする悪戯に、こちらもいつものように春奈は怒って自分を叱るのだと木暮思っていた。
だけど、声を荒げることもなく静かに肩を震わせて泣き出してしまった春奈に、木暮はどうしていいのかわからずに途方に暮れる他なかった。
何も言わず、走って行ってしまった春奈を、追い掛けることも出来なかった。
そんな木暮に助け舟を出したのは秋だった。

「音無さん、すごく頑張ったんだよ」
「…うん」

木暮は、正直春奈が自分の為にバレンタインのチョコを用意してるとは思わなかった。だから食堂で春奈と顔を合わせた時、丁度良かった、と楽しそうに笑いながらあげる、と差し出された可愛らしくラッピングされた袋を前にどうして良いのか分からなくってしまった。
結局選んだのはいらない、という拒否と余計な言葉。自分でも思考が混乱していて、何て言ったのかよく覚えていない。それでもあの、自分と同じくらい意地っ張りな春奈が人前で泣いたのだから、きっとひどいことを言ってしまったに違いない。
仲直りしなきゃね。秋の言葉にただ頷いて春奈が走り去った方向を見詰める。


謝る。たったこれだけの為に、木暮は既に春奈の部屋の前を何十回も行ったり来たりを繰り返している。
顔を合わせてくれるだろうか、話を聞いてくれるだろうか、何より、嫌われていないだろうか。時間が経てば経つほど内側からせり上がって来る不安がどんどんいざ、という意気込みを萎ませる。春奈の部屋の前にはずっと木暮がいたのだから、彼女は間違いなくこの部屋にいる。だけどもうすぐ夕飯の支度を始めなければならない時間帯だ。その前に、謝ってしまいたい。謝りたい。
今度こそ、と顔を上げて戸を叩こうとすればタイミングよく内側から戸が開かれた。

「…木暮君?」
「う…、」

どうしたの、と数時間前のことなどなかったことのように振る舞おうとしている春奈の態度に、一瞬便乗してしまいたくなる。だけど、まだうっすらと赤らんでいる彼女の目元を見て、しっかりと覚悟を決め直す。

「ごめんな」

滅多にしない謝罪の言葉は、思った以上に人気のない廊下に響いた。
その響きは、このチームで、一番木暮のそばにいた春奈にこそ真っ直ぐ届いた。
だから、本当はなかったことにして誤魔化そうとした傷付いた気持ちだとか、悲しい気持ちだとか、そういった色んな気持ちがごちゃごちゃとこんがらがって、数時間掛けて留めた涙が、もう一度だけ零れた。たぶん、ほんの少しだけ、切なかったから。

「チョコ、貰ってくれる?」

もう一度、少し勇気を要した言葉に、木暮は今度は照れくさそうに頷いて手を出してくれたから、春奈は直前まではもう捨てて仕舞おうと考えていたラッピングされた袋を木暮に手渡す。
そして、木暮はその反対の手を差し出す。そこには、小さな袋。

「これ、やる」
「くれるの?」

木暮から差し出されたそれを受け取れば、香りから、中身は恐らくクッキーだと思われた。

「…木暮君が作ったの?」
「悪いかよ、」
「悪くはないよ」

きっと秋に手伝って貰ったのだろうと考える。
布越しの感触からしても歪なそれは、きっと木暮が自分の為に真剣に作ってくれたに違いない。それだけで、春奈の頬は喜びで緩む。
バレンタインに、好きな相手から、逆とはいえプレゼントを貰って嬉しくない女子はきっといないだろうから。

「ホワイトデーは楽しみにしててね木暮君!」
「!違うからな!それはバレンタインの奴じゃないんだからな!」
「知らなーい!」

顔を真っ赤にして言い訳する木暮に、ご機嫌な春奈。端から見ても、仲の良い二人だと一目で分かる。
遠目から、一時はどうなることかと気を揉んだ秋が、安心したように二人を眺めていたが、肝心の木暮と春奈は気付かない。
結局、翌月のホワイトデーにはまたお菓子を交換しあう木暮と春奈の姿を見ることになるのだが、それはまだ、ほんの少し先の幸せなお話。








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