学問とは、強制的にやらされるよりも自主的に取り組んだ方がきっと効率も良くなるものだと夏未は信じていた。事実、彼女は勉学に取り組む事になんの苦痛も感じた事はなかった。そしてそれは自分自身の好奇心を満たすことと自身の知識を高めることへの満足感をそこに見出していたからだ。妥協を知らない夏未が手に入れたがる物だから、きっと相当の苦労と時間を費やしたに違いない。その過程を苦痛と感じるか努力の証と感じるか、この二択を間違えさえしなければ、きっと相応の結果を得られるに違いない。だから自分も頑張ろう、そう勇んでいた数分前の自分に、ロココは心底謝りたくて仕方なかった。
机の上に広げられた大量の本。ロココは読書家では無い。それでも、ロココは師匠に頼んでこれらの本を手に入れてもらった。そしてその大量の本の半分が、書籍というよりも参考書とかそういった類の学習用冊子であった。だから尚の事。ロココの手はペンを握り問題文が促す通りに文字を書き連ねようとうんうん唸って見ても、その成果が芳しくない事を、当のロココ本人が一番自覚してしまっていて、それが何ともやるせない。

「ロココ?貴方さっきから何しているの?」
「うう、ナツミ…。僕はもう駄目だよ…」
「また意味の分からない事を言って…」

いつまでたっても練習に参加しない上に宿舎からも出てこないロココを、夏未はチームメイトに押し付けられる形で迎えに来たに違いない。呆れと諦めをないまぜにした溜め息は、もう夏未の標準装備だ。それを彼女に与えたのは、多分ロココでは無く、円堂守という一人の少年なのであろう。だからやはりロココはもう駄目だ、と頭を振って泣きたい気持ちをなんとかぐっと堪えて机の上に広げられるだけ広げられた沢山書物をもう一度視界に収める。ロココに近づいてきた夏未はロココを悩ませるその正体を手にとって繁々と眺め始める。

「ねえ、ロココ…」
「……。何?」
「貴方、日本語の読み書きなど出来たかしら?」
「デキナイデス」
「そうよね。その筈だわ。それなのに、この大量の日本語で書かれた本は一体何なの?」

夏未の言う通り、日本語の読み書きなど一切出来ないロココが相手にしている本は全てが日本語で書かれている。それもその筈、ロココは日本語の勉強がしたかったのだから。勉強は嫌いだ。得意でもない。だけど、これだけは自分の意思で始めたかったし、始めなければならないと、ロココは変な義務感を以て取り組んでいた。案の定、効果は生まれず成果も殆ど生まれなかったけれど。

「何で日本語の勉強なんか?」
「だって、ナツミはいつか日本に帰っちゃうじゃないか」

叱られた仔犬の様にしょげるロココは、夏未より本来ならば幾分体格の良い少年なのだ。だが、今のロココは本当に小さく映る。夏未は意味が理解しきれずにただ眉を顰めるしか出来なかった。本当に彼は言葉が足りない。夏未のロココへの印象は、なかなか的を射ている。本当に、自分の気持ちを夏未に理解して欲しかったのならば、ロココはきっと先に夏未に「好きだ」とか、「いつか来る別れが寂しい」とでも伝えておかなければならなかった。単純な話、ロココは夏未を自分の国に引き留める事が出来ないのならば、自分が追いかければ良いという明快な答えを出したのだ。その為の第一歩として、まず言葉の壁を越えなければならないと考えた。それだけのこと。ロココの尻すぼみな説明をとぎれとぎれに聞きながら、漸く夏未は事の顛末を理解して、やっぱり呆れと諦めを含んだ溜息を一つ。そして机の上に広がった書物を片し始める。

「全く、今貴方がするべきなのは勉強じゃなくてサッカーでしょう?」
「…うん、」
「それに、貴方が日本語を学ぶよりも私がコトアール語を覚えた方が絶対に早いわ」
「え?」
「二度は言いません!さっさと外に出て準備なさい!」

ロココを急かす夏未の顔は、赤い。それがロココの機嫌と気合いを一気に満たして、動かす。ねえナツミそれってもしかしてもしかするとそういうことなの?下手をすれば一気にプロポーズまでしでかしそうなくらいに、ロココのテンションは急上昇していた。夏未の手を引いて一緒に宿舎の外に出れば、まさにサッカー日和という晴天。突然走って宿舎から出てきた二人に、チームメイト達は怪訝な視線を送る。だけどそんな視線くらいでは、今のロココの幸せを壊す事など出来はしなかった。ああ、本当に今日はサッカー日和だ。






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