ちょっと、これは一体全体どういうことなの。と叫びだしたい衝動を、一之瀬は必死にテーブルの下のズボンを握り締める事で抑え込んでいた。

遡ることほんの数十分前。一之瀬は今日初めてチームメイトであるマークとディランにリカを紹介した。しかしその事はたった数分で一之瀬の人生最大の過ちランキングベスト3に入る程の過失となった。最初は良かった。自己紹介をして、握手。ありきたりな挨拶風景。一之瀬も笑ってその光景を見ていた。

「ワオ!リカはすっごくキュートだね!」

そう言って、ディランがリカに抱きついた瞬間。一之瀬の纏う空気が凍った。しかしディランは気付かない。一之瀬もディランが空気を読むなんて芸当が出来るなんて期待は毛頭していない。ならば力ずくで引きはがそう。リカは突然の出来事に瞳を大きく見開いて微動だにしない。しかし徐々に赤く染まって行く耳や頬が一之瀬を堪らなく不快にさせる。

「ちょっとディラン、リカが困って―」

る、と云って伸ばした一之瀬の手を遮るように、今度はマークがリカの傍に立つ。一之瀬はまさか、という嫌な予感と同時に頬の筋肉がひきつるのを感じた。そんな一之瀬をちら、と一瞥するマークの瞳はまさしく一之瀬の予想通り、といった色で。成程、ディランの行動に自分の空気が変ったのに気付いている筈のマークがディランを注意しなかったのはそういう訳か。

「折角だから、一緒にお茶でも飲まないか」

このマークの提案により、四人で近くの喫茶店に入った。それは別に構わなかった。リカも自分も大分歩いていたから、そろそろ休憩しようかとも考えていたところだったから。しかし全員が席に座った瞬間。再び一之瀬の纒う空気が凍った。だっておかしいだろう。円卓のテーブルに、何でマークとディランがリカを間に挟んで座るんだよ。リカも最初は初対面の二人に挟まれる形に戸惑っている様子だったが、懐っこいディランと人当たりの良いマークの態度にすぐに打ち解けた様子だった。それがやはり一之瀬は面白くない。ここで漸く冒頭に戻るのである。

「へえ、リカもサッカーするんだね!」
「オオサカってどんな所なんだ?」

矢継ぎ早に、しかも一之瀬を完全に視界からはずしてリカに構い倒す二人に、リカへの好意という下心がある事はもう明白だった。しかしそれはリカには理解されていないのだろう。リカは二人が初めて会う自分が緊張しないように気を遣ってくれているとか、日本人が珍しいからとか思っているのだろう。だが一之瀬から見ればちっともそんな風には映らない。二人は他人にそこまで律儀に気を遣ったりする人間では無いし(マイペースと云えば聞こえは良くなる)、日本人なんてそんな珍しくない(だって俺や土門がいるんだから)。つまり、そういう事なんだ。思わず吐いた溜め息はリカの真正面であった為、当然リカも気付く。

「ダーリンどないしたん?」
「いや、何もないよ」

へらりと笑ってかわそうと試みるも、どうも上手くいかない。リカは絶えず心配そうな視線を一之瀬に向けている。一之瀬としては、嫉妬してましたと二人以外の人間の前で告げるのは憚られた。

「ねえリカ、ダーリンって事は、いつかカズヤと結婚しちゃうの?」
「ディラン!」

しちゃうのってなんだ、駄目なのか。と突っ込みたくなった。しかしそれは言葉にはならなかった。リカがどんな反応をするのか一之瀬自身も気になったからだ。これで曖昧に答えを濁されたらどうしようか。出会った頃の彼女から考えればそんな事はないはずなのだが、状況が状況なだけに、一之瀬も無意識に体が強張る。

「当然やん!そや、二人ともウチらの結婚式には絶対来てな!ダーリンの大事なチームメイトなんやし!」

一滴の迷いも濁りもない笑顔に添えられた答えは、一之瀬の不安を一瞬で拭い去った。それと同時にマークとディランは苦い顔をするけれど、悪いけどそれを気の毒とは思ってやれない。俺はリカの彼氏で未来のダーリンだ。マークとディランはそのチームメイト。それだけで一之瀬の機嫌は急上昇する。

「「でもまだわかんないよ」」

小さな声で同時に呟いた二人に、一之瀬は「ご自由に」と笑顔で小さく切り返す。先程の不安はどこへやら、今はもう自信満々のいつもの一之瀬に戻っていた。だけどやっぱり厄介だから、リカとの結婚式は神前婚にしよう。正座の出来ない人間は入場不可にしてやる。
「なー、ダーリン」と笑いかけてくるリカに、今度は心からの笑顔で「そうだね」と一之瀬は応えた。





- ナノ -