放課後の教室に二人きり、私と一之瀬君がただ窓辺に立って、校庭をぼんやり眺めている。ああ、なんだかドラマのワンシーンみたいで、だけどその相手が一之瀬君と云うのが不思議で、訳もなく目を伏せてみる。
グランドでは円堂君達がサッカーをしている。彼の声はこの教室までもよく届く。今日は部活のない日だと言うのに、まったく彼らしくて、今度は一人微笑んでみる。

「円堂らしいね」
「…うん、そうね」

一瞬、私が無意識に言葉を吐いたのかと驚いてしまった。一之瀬君はグランドにいるであろう円堂君を見つけようとしているのか、それとも円堂君の声だけを聞いて今の言葉を呟いたのか。なんだか遠くを見つめてぼんやりと呟く一之瀬君を見るのは、少し怖かった。サッカーをしている一之瀬君が好きだった。サッカーをしている一之瀬君しか知らなかったから。こうして制服を着て同じ教室に立っている事に、未だにちょっとした違和感を拭えない。一之瀬君は、グランドに行かないのだろうか。一緒に、サッカーをしないのだろうか。私はサッカーをしている一之瀬君を好ましく思っている。言い換えれば、それのみを、だろうか。

「一之瀬君は、混じりにいかないの?」
「秋は行って欲しいの?」

そう言われれば、黙るしかない。ここで肯定の言葉を選ぶ人間は、きっと一之瀬君の事嫌いなんだと思う。私は別に一之瀬君の事別に嫌いじゃないのよ。でも変なの。いつもの一之瀬君なら、きっと「そうだね」って言ってグランドまで駆けて行きそうなものなのに。

「その切り返しは意地悪だと思う」
「そうだね、ちょっと拗ねちゃったよ」
「?何に?」
「何にだと思う?」

一之瀬君は偶にこう人を困らせる会話の切り返しをする。意図的に選ぶ。それはつまり彼が自身の中に在る本音を隠そうとしている時によく表れる。しかし裏を返すとその本音をチラつかせて、相手に気付いてほしいというささやかな願望が練り込まれてもいる。私がその一之瀬君の隠された本音に気付けたことがあるかと問われれば、きっと答えはノーとしか言えないけれど。

「秋はグランドの外でもサッカーの事ばかりだね」
「それは…、一之瀬君だって同じでしょ」
「秋のサッカーはイコール円堂じゃないか」
「!そんなこと、」
「あるよ、だから拗ねてるんだ」

一之瀬君はずっと窓から外を眺めている。グランドを眺めてはいない。昼と夕方の間の水色と橙が混じり始めた空を睨むように、だけど懐かしむように優しくもあるような瞳で眺めている。そんな表情をする一之瀬君を、私は知らない。いや、一度だけ、見た事があるかもしれない。あれは確か、一之瀬君が雷門を始めて訪ねてきた日に、一之瀬君はこんな表情をしていなかっただろうか。その表情が表した感情の名を、結局私は理解出来なかったけれど。

「昔はさ、秋のサッカーは俺達と一緒にするものだったんだろうな、って思うとね」
「……確かに、そうだったね」

一之瀬君と二人で昔話をするのは、実は結構珍しい方だ。どうしても二人きりだとあの事故の瞬間を思い出してしまう事が多いためか、自分から一之瀬君にその話を振るのはあまりしてこなかったし、一之瀬君もあまり自分から昔話をしようと話を持ち掛けてくる事はなかったから。

「昔話は好きじゃないと思ってた」
「過去を振り返ってばかりいると、今の自分が惨めに思えちゃうから」
「今の一之瀬君のどこが惨めなの?」

だって、一之瀬君はあの事故から、辛いリハビリにだって耐えて帰って来たじゃない。きっとこれから一之瀬君には輝かしい未来が待ってる筈だわ。それを掴むだけの力が一之瀬君にはあるもの。
我ながら臭いセリフを吐いたものだと思う。だけど、無理矢理にでも一之瀬君を今ここに繋ぎとめて置かないと、またどこかへふっと消えてしまいそうなくらい、今の一之瀬君は儚く見えた。

「ねえ、秋。秋は円堂が好きだよね」
「え…、急にどうしたの…?」
「答えて」

一体どうしたっていうのだろう。それに何でこんな事を聞くのだろう。いくら相手が幼馴染とは言え、最初からばれているとはいえ、好きな人についてこんな真剣に問い質す様な事を何故するのだろう。そう、一之瀬君の瞳は真剣だった。先程までの儚さが嘘の様に、彼の眼は私を真っすぐ見つめて逸らさない。

「好き…だよ」

誤魔化す理由もない。出来るとも思わなかった。いけない事をしている訳でもない。それでも私の言葉は漸く絞り出したと言うのが明なくらい弱々しかった。一之瀬君は一瞬、また自虐的な笑顔で「そっか」と呟いたが、直ぐに真剣な、フィールドに立つ時と同じ顔をする。

「俺は秋が好きだよ」

秋が円堂を好きでも、それでも俺は今までもこれからも秋が好きだよ。諦めるつもりもない。だから秋、覚えておいて。俺の行動の裏には、いつだって君への下心があるんだよ。だから秋は拒む事を覚えるべきだ。俺からの行為を、厚意だと思って無条件に受け取ってはいけないよ。

まるで優しい親の様に私に諭す一之瀬君の瞳は、熱い。最初は動揺する事も出来ないくらいフリーズしてしまっていたけれど、一之瀬君の手が私の手を握った瞬間に急激に体温が上がった気がしてはっとなる。「好きだよ」、ともう一度繰り返す一之瀬君をぼんやり眺めながら、グランドに響く円堂君の声を聞く。私の恋心は彼に向かっている。一之瀬君の恋心は私に向けられている。ならばこの手を。一之瀬君が優しく私の手を握る彼の手を。私は振り払わなくてはいけない。それなのに私の体は動かない。どこから生まれたのかもわからない熱は確実に私を侵して硬直させていく。気付けば私の目線はもう一之瀬君から逸らすことは出来なくて、グランドからの円堂君の声ももう耳に届いては来ない。だって、さっきから、私の心臓の音が、すごく、うるさ、い。






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