※高校生


春が来る。それだけで心なしか気持ちが舞い上がる。気温が上がれば外で活動するサッカー部の人間としては動きやすくなるし、朝も布団から直ぐに出られる。因みに俺は花粉症持ちではない。従って春が来るとなれば良いこと尽くしの筈だった。
それが少し、今年の春は違うのだ。

明日から、二週間程度の春休みが始まる。勉強は嫌いではないし、クラスの奴らと馬鹿するのも楽しい。それでも長期休暇とは誰にも喜ばしいものだ。だから、一年度最後のHRを終えてざわめきだした教室はどこか嬉々とした空気を醸し出していた。
部活に向かう者、丸々自由な午後を友人と遊びに向かう者、真っ直ぐ帰宅する者。様々なぼんやりと見遣りながら、こいつらは感慨とかそういうのが無いのか、と思う。

「大野君!」

背後から掛けられた声に、焦点の無い瞳が一気に弾けて覚めた。一年間、それ以上に聞き慣れた声もきっと明日からは暫くさよならだ。

「さくら、声デカいな…」
「今更?だって大野君ぼけっとしてたから」
「ぼけっとしてる人間にいきなりデカい声出すの駄目だろ」
「そうなの?」

そうだの代わりに呆れ顔で溜め息を一つ。さくらは何年経っても変わらない。それこそ小学生で出会った頃からだ。最近では母親の胎内にいた頃から変わらないんじゃないかと思っている。

「大野君今日部活は?」
「無い。顧問が出張なんだと」
「ふうん。良かったね…って良くないのか」
「どっちでも、どうせ明日から部活漬けだよ」

サッカーに興味の無いさくらが、果たして俺の言葉をどれだけ身近に感じてくれているのかは定かではない。サッカー部の顧問すら知らないかもしれない。確かさくらはあまりスポーツには興味を持っていなかった筈だ。
訝しむ俺の隣でさくらは窓の外を眺め出す。眉は少しだけ皺を作り小さく息を吐いた。これは多分、何かを面倒臭がっている時によく見る表情だ。

「どうした?」
「荷物多くて帰りが面倒だなって」
「またものぐさしたのか」
「違う違う」

学年が上がれば教室も変わる。さくらも流石にそれくらい理解していて、ロッカーや机の中の荷物はとっくに持ち帰っていたようだ。だが終了式直後に所属する美術部の顧問に捕まり部室に置きっぱなしのスケッチブックを持ちかえるように言われたらしい。春休み中、新年度に向けて美術準備室の大掃除をしたいらしい。

「何冊?」
「十二冊」
「また微妙な数だな」

うるさい、と唇を尖らせるさくらはこれからそのスケッチブックを美術準備室迄取りに行くらしい。まさか全部一度に持ち帰るつもりかと問えばまた荷物を取りに休みに学校まで来るなんて面倒臭いと言う。そうゆう自堕落が一番後で悲惨な結果を招くのだと、さくらは殆ど学習しない。言葉が悪いからポジティブとでも言い直して置こう。

「仕方ねえなあ」
「何が?」
「手伝ってやる、美術準備室行くぞ」
「ほんと?やった、ありがとね!」
「遠慮しないんだな」
「そりゃあね!」

得した、とはしゃぐさくらの隣を歩きながら、内心俺も得したなあ、と思う。さくらなら、その辺の男子を適当に捕まえて荷物持ちを手伝わせるくらいは普通にやりそうだ。そしてそれを遠目に複雑な気持ちで眺める俺。考えただけで気が滅入る。
何が悲しくて、好きな女子が、他の男子と一緒にいる場面なんて想像しているのだろう。

「そういえば、春休みが明けたらクラス替えだね」
「…気が早いだろ」
「そっかな。もう決まってるって聞くけど」
「マジで」

興味無い、とは切れない。浮かれてばかりの春に纏わりついた一筋の影は多分このたった一つの通過点の所為だと思うから。
小中学校はクラス替えは毎年あった訳じゃなかった。あっても殆どがずっと一緒に持ち上がってきた面子だったから気楽だったし、何より俺はさくらとクラスを違えなかった。
それが、高校生になって広くなった交流と狭くなった心の余裕に逼迫されて不安を生んだ。会話なんて、無意識に出来るほど俺はさくらを遠くに位置付けていないのだから。叶うなら、誰よりも自分を見て欲しい。言葉を投げて欲しい。同じクラスにいても年々細くなる接触は、クラスを違えてしまっても繋いでいられるだろうか。俺には、その自信がなかった。

「また同じクラスになれると良いねえ」
「…そうだな」
「ありゃ、あたしと同じクラスはイヤなのかな?」
「別に。ただお前と一緒だとまた騒がしくなるんだろうな」
「良いことじゃん」

本当に、同じクラスだったら良いのに。今から職員室に忍び込んで物色すれば来年度の俺達のクラスが分かったりしないだろうか。これで仮に別々だったのなら、何か小細工でもしてやりたい。願望は願望の儘。きっと俺の足が職員室に向かうことはないだろう。何せ俺は今日上着のボタンが取れたのに気付かず登校し生活指導の教師に注意を受けたばかりなのだから。

「クラス離れたら寂しくなるねえ」
「なあ、さくら――」
「ん?」

クラス離れても話し掛けて良いか、なんて問い掛けは、新学期まで保留にしておこう。答えは分かっているし、だけど根本は未だ明らかではないのだから。
だから俺が今考えるべきことはさくらのスケッチブックを運ぶ帰りの道中、如何に春休みにさくらと接触を持つ約束を取り付けるかなのである。
まだ春は来ない。







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