廊下で擦れ違う度に交わしていた挨拶程度の言葉もいつしか無くなっていく。 そんな変化を成長と呼ぶのなら、僕等はいつまでだって子どもでいたいよ。 小学生までは男女関係なく形成されていたクラス内のグループが、中学生に上がるなり同性同士の物に作り変わる。 高校生になれば異性は友情よりも恋愛対象。 移り変わる時を嘆いたことはないが少し頭が痛くなる。 下駄箱にそっと仕舞われた手紙を手に取れば自分の名前。封筒を一周見渡せど相手の名前はない。つまり、この手紙は読む前に相手に突き返すことは出来ない。 以前、俗に言うラブレターとやらを一度に読まず差出人の女子たちに突き返したことがある。 出来るだけ嫌われるように仏頂面で、確か迷惑なんて失礼な言葉も添えた気がする。 それ以来、こうして封筒には名前を書かずに便箋の最後に名前を書いて手紙を寄越す女子が圧倒的に増えた。 それと同時に大野の手間と心労もえらく増えてしまった。 これならラブレターなんか貰うよりヤンキーから果たし状でも貰った方がよっぽど胸が弾むと云うものだ。 杉山は、これが嫌なら彼女の一人や二人適当に作ればいいとほざく。 小学校以来の純情片思いボーイが何を、と思うが案外自分も人のこと言えないのだと気付く。 恋と呼ぶには曖昧で、興味と呼ぶには臆病になりすぎる感情を、自分は確かに一人の少女に向けて持っている。 いつから、それはもう覚えていない。 過ぎる日常が当たり前になるように、気付けばこの気持ちは大野の内側にあった。 「おはよう、大野くん」 「おはよう、さくら」 年々辿々しくなる会話は、いつかこのまま糸が千切れるみたいに途切れやしないだろうか。 下駄箱の前、取り出した手紙を手にしたまま立ち竦む大野に声を掛けるまるこに、大野は言い得ない安堵と不安を抱いている。 前に挨拶したのはいつだったか。名前を呼ばれたのは。 記憶を捲れば、いつだって最終的には二人が一番近しかった小学校時代にまで思考は飛んでいく。 あの頃、二人は確かに近かった。男女の力の差を自覚も無しに武器にする気が、大野にはあって。当初のまるこにはそんな大野のガキ大将な一面は憂鬱の原因として見られていたようではあるが。 好悪など構う必要はなくクラスメートと云う括りはいつだって二人を友だちとして繋いでいたように思う。 今、高校生になった二人には、そんな優しい括りの拘束は無意味だった。今年に入りクラスも離れ、会話は勿論挨拶だって減っていくばかりだ。 そこに生まれる大野の寂しさを、きっとまるこは知らないでいるに違いない。 「また、ラブレター?」 「またって何だよ」 「だって毎日貰ってるんでしょ?」 「流石にそれは無い」 どうかなあ、と笑うまるこに大野はあからさまな溜め息で話題を打ち切ろうとする。 年頃の女子は出歯亀精神だから怖いのだ。 まるこが大野を中心にしながら、だけど大野を置き去りにしながら進む周囲の恋愛話を持ち出す度に大野の下っ腹は殴られたかのように痛み息が止まる。 お前は本当に俺を意識しないんだな、なんて聞けるほど、場慣れしていない。 大して親しくない男子クラスメートの女に困らないだろ、と云う言葉に、いつだって困ってばかりだと返したかった。 押し付けがましいエゴを綴った顔も知らない相手からのラブレターも、自分の気持ちに全く気付かずそれでも絶えず自分の心に居座るまるこにだって困ってる。 「さくらはラブレターとか貰わないのか」 「そんな物好き居るわけないじゃん!」 「…自分で言うなよ」 「なんで?」 あっけらかんと笑うまるこが、やっぱり好きで。そしてまるこはああ言ってはいるけれど、男女問わず平等に接する彼女に好意を抱く輩が、全くいない訳ではないのだ。 自分のように。 手にしたラブレターをもう一度眺める。多分自分はこの封は切れど差出人の名前を見付ければ直ぐにでも突き返しに行くだろう。不機嫌も隠さず。少しでも、まるこ以外の女子全員が自分を嫌いますようにと願いながら。 「大野くんも勿体無いよね」 「はあ?」 「だってみんな断ってるんでしょ」 それはそうだ。好きでもない相手に構う程自分だって暇じゃない。部活だって、勉強だって、夢だってそれなりにある。 これなら良いなんて妥協点みたいな、相手にも失礼なことはしない。 好きな相手だってちゃんと自覚しているのだから尚のこと。 「好きな奴がいるんだ」 「大野くん?」 「だから、こういう手紙とか、貰っても困る」 「……へえ、」 まるこに告げても意味がない。突然過ぎる告白はまるこに多大な困惑を与えている。 朝っぱらから、自分は何を言っているんだろう。 肝心な好きを伝える度胸は未だ無く。 ぱちぱちと瞬きを繰り返すまるこは意外といいたげにじっと大野を見詰めている。 「伝わると良いねえ、」 「……ああ」 全くだ。伝わると良い。こんな実り無い会話でも一々心弾ませる、幼い気持ちが、たった一人、君に。 ←→ |