春になると、アイツの季節がきたなあ、と思ってしまう。別に名前以外、アイツと春を関連付けるモノなんて、実は一つもないのだけれど。大学の学食の窓から見える桜の木々を眺めながら、大野は内心で独りごちた。春は嫌いでは無い。では好きかと聞かれればそれなりに、と答えるだろう。出会いと別れの季節。春を形容するこの言葉通り、大野自身も春には別れと出会いを繰り返し、気付けばこんな年齢だ。繰り返される日々の中で、不満など対して感じる事もなく、大方望み通りの人生を歩んでいるのでは無いだろうか。
大野けんいちは、顔よし頭よし運動神経よしのまあ、他人から見てパーフェクトに映るタイプの人間だった。彼女だって何度か出来た。来る者は偶に拒み、去る者は一度も追わなかった。小学校時代からの親友は女泣かせだな、と呑気に笑って茶化すけれど、大野は対して泣きながら自分の元を去って行く彼女たちに、大して感情を動かすことはなかった。
何かが足りない。それは自分にか、相手の彼女達にか。ぼんやりと考えている内に辿り着くのは、地元の学生時代の記憶だった。小中高を、ほぼ同じメンバーで(大野自身は小学生の後半を東京で過ごしたりもした)過ごした日々は、強い輝きを以て大野の中に存在し続けている。その思い出の中で、いつだって飾らない笑顔で笑っている少女の名前は、「さくらももこ」と云って、春の様に穏やかであったが、彼女自身を形容するならば「台風」が一番ぴったりなのではないかと大野は思っている。しかしそんな彼女を、自分は好いていたのだろう、と思う。
彼女も、大野と同じ中学、高校の出身であったが、確か彼女は大学には進学していない筈だと、大野は記憶している。ももこは、小学校の頃からたった一つの夢を抱いてその為に高校生活中も邁進していて、その夢の欠片を自分の力で高校卒業前に勝ち取っていた。その頃からだったか。大野には、ももこが妙に眩しくて仕方がなかった。ぐうたらで、女らしさの欠片もない奴だと、気楽に接していた自分が、急に形を潜めてしまった。ももこは大人で、自分は子供。そんな風にすら思えてしまったくらいだ。
元から大野は積極的に女子と会話する人間でもないし、相手が男子で会っても自分から会話を持ち掛ける人間なんてそう多くはないし、大抵自分が話しかけられる側の人間であったから、高校を卒業するまで結局ももこの進路について尋ねる事は出来なかった。何よりももこの進路とか、今何してるのかとかがこんなに気になるなんて、大学生になってから気付いたのだから、仕様もなかったのだ。

「大野最近ぼけっとしてんなあ」

ふと、同じテーブルに座っていたサークルの仲間が呟いた。ぼけっとしているのだから、放って置いてくれないか。大野はだるい思考の中で思う。普段頼まなくても人の会話に割り込んで喋りまくる杉山は何故か先程から携帯を握りしめたままそれを凝視している。自分よりも杉山の方がおかしいだろう、と大野は少し思考を覚醒させながら思う。

「杉山、メール待ち?」
「んー、穂波から返信来ないんだよな」
「は?穂波?お前穂波とメアド交換とかしてたの?いつ?」
「何、その喰いつき。高校の時。え、知らなかった?」
「誰?穂波って、杉山の彼女?」

話しに着いてこれないサークル仲間を置き去りにして、大野は杉山の言葉を脳内で繰り返す。杉山は穂波が好きだったっけ。穂波はさくらの親友だったっけ。俺はどうしてさくらのメアドを知ろうともしなかったんだっけ。気付けば先程の杉山以上に杉山の携帯を凝視している大野を、杉山は訝しげに見ている。

「……穂波に聞いてやろうか?さくらのメアド」
「はっ!?」
「なー、誰だよ。穂波とさくらってー」

やはりサークルの仲間は放置する。しかし一体何故。杉山は自分にさくらのメアドを聞いてやろうかなんて言うのだろう。自分は一度だって、杉山の前でさくらの話など持ち出したことはなかった筈だが。

「なんで?」
「そりゃあ、お前。俺は大野君の大親友の杉山ですよ?」
「お前…、俺ちょっと今感動した!」
「なー誰なんだよー」

芝居掛った感動も半分以上が本物だ。折角のチャンスなのだ。縋って見たっていいだろう。輝いた思い出を振り返ってばかりじゃあ進めないし何も手に入らない。
もう一度、窓から桜の木を見る。薄く色づいた花を咲かせるその木に、大野はやはり彼女の影を見た。






- ナノ -