※高校生/光子郎とミミが同クラス

日常に役立つ知識や技量は得てして学問などからは得られない。自らの日常とその中の経験から得るものだ。だからその結果が学校で行われるテストに反映されていなくても何の問題はない。
つまり、アメリカからの帰国子女であるミミが、期末テストの英語の点数が完全なる理系人間である光子郎より低かったことも大した問題ではないのだ。

「言語は会話よ、勉強じゃないの」
「ミミさんはいい加減その勉強嫌いを直さないといけませんね」

光子郎の机の前の椅子を無断で拝借するミミはテストが返却される度にこうして光子郎の下へやってきては似たような文句を繰り返す。
頭が悪い訳でも点数が悪い訳でもない。根っからの勉強嫌いだから、最初からテスト勉強を放棄している。それでも平均点前後を行き来出来てしまうから、ミミの言い訳が完成してしまう。
逆に普段からの授業態度は勿論、テスト勉強だって毎度欠かさない光子郎はこれまた毎度見事に学年首位の座を高校に入ってから一度も譲ってはいない。
その面で、光子郎は学年中に顔と名が知られている。高校から光子郎と出会った人間ならば彼にガリ勉なんて本質からは大分ずれ込んだ認識を抱いている。
その一方で、ミミもまた有名人だった。華やかな容姿は男女問わず噂の的になる。特に高校生とは他者に対して多感な時期なのだから。
だからこそ、真面目な光子郎と、成績だけなら平々凡々なミミがこうしてクラスで毎日の様に下らない会話に興じている姿に、多くの生徒が意外だと目を見張る。
小学校を同じとする何人かは擦れ違い様に相変わらずだな、と陽気に言葉を寄越す。彼等にしてみれば光子郎とミミが友達だろうが恋人だろうが大差ないのだ。
そう、いつまで経っても二人は相変わらずなのだから。

「光子郎君、勝負しましょう。勝負」
「何でですか」
「負けっぱなしじゃ悔しいじゃない」

そう勇んでシャープペンを取り出したミミは光子郎が机の上に広げた儘のプリントに勝負内容の候補を書き出していく。それは放課後委員会に提出するプリントなのだが、とは口に出さなかった。ミミがとても楽しそうだったから。
だから口を挟まず、彼女の手元に影を落とさないよう留意しながらプリントを覗き込む。

「ミミさん…。腕相撲とかかけっことか…明らかに僕が勝つと思いますよ」
「やってみなくちゃわからないわよ」
「本気で言ってますか?」
「………やめとく」

少し機嫌を損ねたのか、ミミはプリントを手に取ろうとするがそれを素早く光子郎が先に回収する。丸められては堪らない。それに口を尖らせながら、ミミは悔しいったらないと言い残して自分の席へと帰っていく。本来この席の前に座るクラスメイトには、光子郎から軽く頭を下げることになるのだ。

「…負けっぱなし、か」

手にしたプリントに書き込まれた文字をもう一度なぞる。腕相撲、かけっこ、書き込まれた内容はどれも男女の差を持ってすれば明らかに自分の方が有利なものばかりだ。
だけど案外、負けっぱなしなのは自分の方なのだと、光子郎は自覚している。あの夏以来、どうもミミの涙にだけは弱くて、苦手なまま克服など出来る筈もなくこんなにも時は流れてしまった。
感情をありのまま表すミミは悲しくても嬉しくてもあの大きな瞳からぽろぽろと涙を零す。その度に光子郎の心臓は鷲掴みされたかの如く痛む。
もし授業科目に感情表現なんてものがあったらきっとミミは満点を弾き出すだろう。その点、自分は平均点以下に違いない。自分の頬の筋肉を摘みながら思う。笑うのはまだしも、泣くのは年を取る毎に恥ずかしさを増していく。
ミミの姿を教室内に探せば、仲の良い女友達と楽しげに話している。先程の自分との会話の名残など微塵も感じさせない。
こんなことでも、やっぱり光子郎は負けっぱなしだと思うのだ。
やり切れない気持ちが徐々に嵩を増して妙な焦燥感を生む。それでも感情のまま突き進むにはまだ足りない。
気付けば始業のチャイムが鳴ってクラス中が一気に現実に引き戻される。慌ただしく椅子を引く音の中に溜め息を隠して机の中から教科書を取り出す。
どうせ次の授業もテスト返しとその解説で終わるだろうから、必要ないのだが、習慣だからそのまま机の上に置いておく。
もし次の休み時間もミミが自分の前に座り成績の負けを嘆くなら、それは違うと告げてみよう。意味が分からないと問われても、今回ばかりは自分一人で考えて欲しい。ついでに彼女の勉強嫌いが直れば良いと思う。
負けっぱなしなんて悔しいったらないだろう。






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