※数年後

それはきっと、ガラスの様に綺麗でまあるい球心点で織りなしてきた世界。パキリ、パキリとふとした切欠で生まれる亀裂と、確実に迫る破裂にはどうか目を伏せていられますように。願う事はいつだって止めなかったけれど、その願いを叶える為に何をしたのって聞かれればきっと私は何もしてこなかったの。抗う事は出来ない。だって私達は幸せになりたいのだから。時の流れが風のように私達の間を吹き抜けて、繋がれた手を徐々に解いて行った。仕方ないと諦める訳ではない。きっとお互いが大人になる為に必然として用意された通過点だったのだ。
同じ家に住んでいた頃、朝洋服を着替えては兄に感想を求めた。返される言葉はいつだって可愛いという一つの褒め言葉だったのだけれど、嘘では無いという事実が私の幼い心を喜ばせていた。お兄ちゃん、お兄ちゃんと追いかけて後ろから手を握って。優しく包まれる温もりを覚えては拠り所としてきた。
離れ離れになり、また出会い。帰結した場所はやっぱりお兄ちゃんの傍だった。いつだって拠り所としてきたお兄ちゃんの意見を、事後報告するみたいに振り返るだけになる日が来るなんてあの頃の私には微塵も想像出来なかっただろう。

「お兄ちゃん、私春から一人暮らしするの」

住む場所ももう決めてあるの。引っ越す日取りも。全部全部自分と、お兄ちゃん以外の人と相談して決めたんだよ。余計な言葉は音には出さない。ブラコンと呼ばれることはいつだって何てことない雑音だった。だって事実だったから。だけどもし今の私に漸く兄離れしたんだねと囁く誰かがいるのなら、私は笑って首を振るでしょう。私は漸くお兄ちゃんの傍に、本当の意味で帰ったの。手など繋ぐ必要などなく世界で一番大切な家族だとみんなに自慢してやりたいくらいの人。聞いて、教えての繰り返しは私を幼い妹としてお兄ちゃんに私の手を選ばせるにはとても有効な手段だった。たった二人の兄妹としての世界は狭く、深く、強固な場所。友達、家族、仲間。呼び名は違えど多くの大切な人を得ながら、次第にひび割れた私の世界は崩れることなく再生される。
一人で立てもするし歩ける。その傍で時々幸せかと尋ねるお兄ちゃんに、幸せよと笑ってあげられるようにありたい。もし、繋いだ手を離さなければ今でもきっと、尋ねるまでもなくお兄ちゃんは私の幸せを感じ取ってくれたかもしれない。だけど、手を離し、言葉を以てしなければお互いの気持ちを汲めない程に離れたとしても私はお兄ちゃんの妹で。お兄ちゃんは私のお兄ちゃん。大人になって行く内に家族という形は幾度変化するのだろう。増えたり、減ったり、離れたり、近づいたり。だけどそのどれを経験しても切れない絆と自信を、私は今示すのだ。

「そうか」

ソファに座り、読んでいた本を閉じたお兄ちゃんはゆっくり立ち上がると少し離れた場所にあるデスクの元へ歩き出す。この部屋はきっと書斎、というのだろう。一般家庭には生憎こんな部屋は存在しないので私にはよくわからない。でも外国のドラマとかではよく似た雰囲気の部屋が出てくる。大きな本棚と、向かい合うソファと、仕事が捗りそうなデスク。羽ペン何かがあったらもう完璧。お兄ちゃんの家を訪ねるのはもう慣れたけれど、この書斎に入った回数は結構少ないのだ。お兄ちゃんの自室はこの家の二回にあって、書斎とは別だから。
以前は中学生が二つも自分の部屋を持ってるなんて、と驚きと生まれた差異に嘆いたりもしたけれど、今ではどちらの部屋もお兄ちゃん以外に相応しい人間をイメージ出来ないくらいに受け入れている。
お兄ちゃんはデスクの一番上の引き出しから何やら手のひらにすっぽり収まる程度の袋を取り出した。可愛らしい袋は過度な装飾がされていないのでプレゼント用なのか、それとも店側の仕様なのか判断がしづらかった。

「それは?」
「春奈にプレゼント」
「わあ、ありがとう!」

いいの、なんて遠慮はしない。お兄ちゃんが私の為と用意してくれたのなら、それは私の物なんだから。駆け寄って受け取ればその袋は軽い。開けていいかと目線で問えばお兄ちゃんは頷いてくれる。我慢の出来ない所は昔から変わらない。もしかしたら、このプレゼントに無駄な包装がされていないのはこうしてすぐ封を切る私の為だったりしてね、とも考えてみる。
袋の中には可愛らしい眼鏡ケースが一つ。手に取って眺めれば何故だか自然と愛着が湧き始める私は本当に現金だ。お兄ちゃんは一体どんな気持ちでこのプレゼントを選んでくれたのだろう。疼く好奇心は昔から勢いよく内側から溢れ出る。だけど聞かない。新しい生活を始める私への贈り物であるならば私は私の一歩を踏み出していかなくてはいけない。間違っても後悔してそこで蹲るなんてことはないように。

「本当にありがとう!毎日持ち歩くね!」
「ああ、気に入ったならよかった」

気に入らないはずがないじゃない。きっとこの先私達が贈り物をし合う機会はどんどん減っていくだろう。それでも、この先私達が各々歩む道の途中で新たに寄り添う誰かといくつこうして気持ちと物を贈り交わしては自分の幸せの為に歩き続けるでしょう。お兄ちゃんが、いつか、若しくは既に出会い人生を共に歩く女性にもこうして素敵なプレゼントを贈っている姿を想像して微笑むことができるくらい、私はお兄ちゃんから離れて、近づいた。
繋いだ手はもう解けて熱も散る。だけど永遠に見失わない横顔があって微笑みを交わして私達はずっと兄妹なんだ。年を取る度に女は老いを憂うけど、お兄ちゃんの子どもにだったら「おばさん」と呼ばれることだって嬉しくって笑って抱きしめる自信があるよ。いつかお婆ちゃんになっても、私のお兄ちゃんと笑ってお互いの幸せを讃い合えればいい。






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