無理はしないでくれと、ただ心配していることだけを知って欲しくて言葉を紡いだ。ガイの思惑がどうであれ、言葉は言葉でしかないのだから、ナタリアの耳にはただガイの言葉が届いた。無理、とは。きっとナタリアには分かるまい。王家に生まれた、今となっては王家の人間として生きると決めたナタリアに、国民の為に今まで以上に身を粉にして働くことは無理などではないのだから。義務に似た、責務でもあり価値であり生きがい。奪うことなど出来るはずもない。
 ガイがファブレ家の使用人だった頃と今とでは世界も二人を取り巻く環境も状況も違う。年齢だとか身分にすら左右されずに語り合える良き友となれたのだと思う。仮にガイがナタリアに友人以上の関係を望んでいたとしても、それは個人の内側で問答されるものである。渦中にして預かり知らぬ場所でガイに想われるナタリアは今日も軽やかに働き回り、ガイを振り回している。
 そんじょそこらのメイドなんかよりよっぽど働いている。ガイがナタリアにこう言うと、彼女は決まって機嫌を損ねる。比べている訳では当然ないのだが、ナタリアに出来る外交福祉稀に戦闘だとかをメイドが出来る筈もない。代わりにメイドの本職である炊事洗濯掃除といったことをナタリアは壊滅的に不得手としている。詰まるところ、世界は適材適所で良いように構成されているのだろう。ナタリアの在り方は最初からナタリアによって構築されているのだから、評価しようとして他者を引き合いに出してはいけないのだ。

「ガイ、貴方少々疲れているのではなくて?」
「…そんなことないさ」

 心配しようと歩み寄れば逆にナタリアがガイの身を案じる。お似合いだねと楽観的に喜べれば良いのだがそういう訳にもいかない。伯爵というものは、存外忙しかった。ガイが地位に復帰するまでの空白やら、貴族としての経験やら、欠落していたものを埋めるのはそう楽ではなかった。後はピオニー陛下の気紛れやジェイドの実験やらエトセトラに巻き込まれている内に驚くほど早く日は傾いているのだ。そうして疲れたと内心で愚痴をこぼしながら昔を振り返る。年寄り臭いと苦笑して、それでもナタリアを思い出して、時々ファブレ家での記憶を引っ張り出してそのままずるずると夢みたいに残酷な現実を教えてくれた旅のことと仲間達を思い出すのだ。
 爵位を取り戻したガイがキムラスカを気楽に訪ねることが出来るかと問われれば答えはノーだ。忙しいし、何かあった時に困るし、ナタリアは世界中を飛び回っているし、仲間達はそれぞれ新しい生活に足を着けているしでガイは兎に角ひとりぼっちだった。
 キムラスカの王女様の心中は分からないが毎日充実しているのは間違いないのだろう。表情を見れば、それくらい分かる。

「そういえば、この間ティアに会いましたの」
「へえ、元気だったかい?」
「ええ、とても。久しぶりに会えて私も嬉しかったですわ」

 嬉しかった、そう花が咲くように笑うナタリアに、同じように微笑み返してガイは少し俯く。久しぶりに会ったのは、自分とナタリアに関しても同じことであって。それなのにナタリアは、以前と何ら変わらずにいる。別に変わらなくていいのだけれど。特別などは欲しいけどいらないのだけれど。ならばせめて、他の人が彼女から受け取れるものと同等のものを自分にも与えて欲しいのだと、ガイは思う。
 ティアと久しぶりに会って嬉しかったのならば、自分と久しぶりに会っても嬉しいと思って欲しい。餓鬼だと呆れながら、半ば開き直っている。昔より少しだけ薄くなった身分という壁は、まだ暫く崩壊しそうにないのである。

「ナタリアは最近調子どうだい?」
「藪から棒になんですの。毎日やることは沢山ありますから、とても充実しておりますわ」
「じゃあ暫く花嫁になる予定はないんだね」
「!?あああ貴方、何仰ってるんですの!」

 何気ない会話に盛り込まれた情報収集の役目の言葉に、ナタリアはきっと気付かない。ガイが盛大な安堵の息を吐いたことにも気付かない。彼女はこんなに鈍かっただろうかと首を傾げるが、恐らく姫とはこういうものだろう。幼い頃から婚約者がいて、その相手をしっかりと想って来た彼女に、色恋の機微など測れまい。
 露骨な動揺を抑えながら、ナタリアは少し不機嫌そうだ。

「そういう貴方の方こそ、いい加減奥方を迎えられたら如何ですの?」

 完璧に拗ねてしまったのだろう。臍の曲がった発言と同時にガイからも顔を背けてしまったナタリアに、不謹慎にもガイは頬を緩める。子供みたいな仕草が可愛くて仕方がない。

「機嫌を直して戴けませんか、プリンセス?」
「…その胡散臭い口調を止めるなら考えて差し上げましてよ」
「手厳しいな、ナタリアは」

 ナタリアの柳眉は未だ不機嫌そうに寄っているが口元は既に和らいでいる。ご機嫌取りと言われればそれまでだがそれだけではないのだと、ガイはナタリアに言葉を寄せる度に思う。好きだと伝えたことも旅のどさくさに紛れて抱き締めることも体質故にガイには出来なかったけれど、自分は随分と長い間ナタリアに恋をしているような気がするのは、気のせいではなく長い時間が過ぎていたからなのだろう。届かないばかりか、どんどん開くばかりの距離だとか、共有出来た時間だとかを懐かしんでばかりいられない。現在から連なる未来は明日にだってガイを早く早くと急かすのだから。

「貴方、私のこと心配ばかりしていますわね」
「君は他人の為に平気で無茶をするから、」
「そんなことありませんわ。王女として当然のことをしているだけです」
「そういう所が心配なんだよ。知らない所で倒れられたらとか、君は考えたことあるかい?」
「それは貴方がたまにしか私の前に顔を出さない上に手紙すら疎かにしているからですわ」
「そりゃあ頻繁に顔を出せればそれに越したことはないさ。手紙もね。でも仕事は人間を気遣ってはくれないだろう」

 どちらも正論じみていて、とにかく間違ってはいないようだから落とし所が見つからない。ナタリアが忌々しげに「貴方いつからそんなに鈍くなったのですか」と呟いた声は本当に小さな声でガイには届かない。
 とどのつまりそんなに心配ならばさっさと彼女を自分の側に引き寄せてしまえば良いのだと、至極単純な答えをガイが弾き出し選び実行するには、まだ長い年月を浪費するのだろう。



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この世界よりももっと大きな世界を望んだ
Title by『彼女の為に泣いた』




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