無駄なことではあるけれど。これはもはやイタイ妄想の類だとわかっていて、降矢凰壮は想像してみる。例えば今、最後に会ったときと変わらない様子で笑っている高遠エリカが泣きながらこれからも一緒にサッカーをやろうと頼み込んで来たとしたら自分はどうこたえるだろう。たぶん、困ったように頭を掻いて、けれど選んだ道を引き返すことはしないだろう。そう答えを出した途端、脳裏に描いていた泣き顔の彼女はからり屈託のない笑顔で凰壮に向かって手を振っている姿に早変わりした。対等に、隣に視線を滑らせればその存在を確認できるということは、案外全く別の道を歩いているからこその安泰なのかもしれない。小学生が悟るには、随分大仰な物の考え方ではあるけれど。
 季節はあと少しで小学校を卒業する頃までやって来ていた。窮屈でしかなかった学校という枠組みを、そのまま上方へスライドさせる仕組みに抗うつもりは毛頭ないが、竜持あたりはどうせ自分のやりたいようにやるだけだと特に期待もしていないだろう。もう一人、自分たち三つ子の長男は遠い異国で、凰壮と竜持が小学校より早く卒業したサッカーに精を出していることだろう。そして凰壮はちょっとだけ、中学校というものに期待している。少なくとも、小学生のままでいるよりは本格的に取り組みだした柔道でマシな相手と対戦できるだろう。時には自分を打ち負かすような、強大な壁にもぶつかるかもしれない。それはそれで楽しいものだと、負けっぱなしではいられない我というものが、三つ子の中では割と一歩引いて物を見ることが出来ていた自分にも備わっていることを凰壮はサッカーを通して気付いたから。挑戦というものの心地よさに、今はまだ食らいついていたかった。
 ぼんやりと、そんなことを考えている凰壮の隣でエリカは膝を抱えてずっと何か喋っている。翔のことだったり、玲華のことだったり、知っている単語が飛び出せば凰壮も耳を傾ける。しかしそれ以外の、よく喋る女だなあと目を眇めてしまうような取り留めのないただ思いつくままの話題に対しては、彼と反対側に座っている竜持にもっぱら聞き手の役目を任せていた。凰壮は適当な相槌も、またそれに気付かれたときの相手の不満げな様子への対処も面倒だった。こういうとき、自分勝手な興味の有無で物事への取り組む姿勢が露骨に割れる性格は残っているのだなと気付かされる。家族以外の人間と通じ合うことを覚えても、こればっかりは仕方ない。

「だからもう卒業式の練習でじっとしてるのほんと苦手で――」
「担任の先生も大変ですよね。翔くんとエリカさんを式典の間ずっと大人しくさせとかなきゃいけないんですから」
「失礼な! 苦痛は苦痛でも別にもういやだとか喚き散らしたりはしてへんわ!!」
「ちょっと、耳元で怒鳴らないでくださいよ」

 本当に、いつ会っても変わらない。会話の内容に僅かな時事ネタが含まれるくらいだ。かつて桃山プレデターとして練習にしようしていたグラウンドの土手にエリカを真ん中に挟んで凰壮と竜持は座っているのだが、流石に三月の夕方はまだ寒い。サッカーの自主練に付き合えと二人揃って呼び出されたものの、やって来たときにはもうボールを抱えて座っていたエリカの横に同じように腰を落ち着けてしまってからはどうにも立ち上がるタイミングを計り損ねていた。別に凰壮は、エリカが乗り気でないなら構わないのだ。呼び出して置いてと不満を述べる権利はあるのだろうけれど、ここ暫く顔を合わせる機会もなかったから、ちょっとした近況報告の場を設けたのだと思えば悪くない。報告し合っているのは、主にエリカと竜持ではあるが。

「中学に行ってもエリカさんは部活には入らないんですよね」
「うん、でも竜持くんもやろ?」
「まあそうですね」
「凰壮くんは? 柔道部?」
「――未定」
「歯切れ悪いなあ! さては話聞いてなかったんと違う?」
「……聞いてたっつの」
「これは聞いてませんでしたね」

 エリカの指摘を肯定するように竜持が彼女の肩を持つから、凰壮はこの話題を長引かせないよう口を噤む。竜持が味方じゃないときは下手に言い訳をするより黙りこくった方がマシなのだ。
 案の定、エリカはこの話題には早々に興味を失ったようで、しかし今日の話題の中心は自分たちの小学校の卒業というものが外せないようで、突然そっと目を伏せて寂しそうに瞳を曇らせた。

「中学生になったら、今より桃山プレデターのみんなと会う時間は減るんかなあ……」

 それは凰壮や竜持にとっては今更はっとするほどの事実ではなかった。サッカーを止めて、次の舞台を選択した時点で理解し、直面した現実だった。あの、最高の夏を共有した仲間たちのことは今でもかけがえのない存在だと思っている。言葉で伝えることはないけれど、それは誰もが同じだと信じていた。だからこそ、この絆は何の言い訳にもならず凰壮と竜持はサッカーに対しては全てを出しきったからと次へ進んだ。エリカは最初からサッカーだけで、これからも(ずっとかどうかはわからないけれど)サッカーを続けていく。それは自分たちとの決定的な差異だ。
 伏せられた睫毛がはっきりと視認できて、この距離は近過ぎたかなと凰壮はエリカから目を逸らす。数カ月前には密着して円陣を組むことに何の感情も働かなかったのに。あったのは、目の前の試合に対する高揚感だけだったのに。

「エリカさんが会いたいって言えば凰壮くんなら直ぐに飛んできますよ。きっと」

 空気が感傷的になってきたのを察知したのか、竜持が茶化すように言う。てめえもだろ、とは敢えて言い返さなかった。余計に微妙な空気になることがわかっていたし、否定の言葉を即座に発しなかった凰壮に、意外だと目を丸くするわずか数分差の兄の顔が、毎日見慣れているのに随分と幼く見えたことに驚いたから。
 現実を見れば、凰壮も竜持もエリカが会いたいと言っても飛んでは来れない。ちょっと暇だからこれから会おうと言われても、こちらの都合が悪ければどうせ断る。けれどもし、今みたいに寂しいと全身で訴えるように囁かれたらどうだろう。また妄想の類だと溜息を吐きながら、凰壮は自分の想像力の逞しさに感心する。
 今、俯いているエリカは泣くのかと思った。でも泣かなかった。彼女の瞳は揺れているけれど、潤んではいなかった。別離に臨む寂しさに耐える彼女は、支える手を求めているわけではなかった。そんな風に、直面する現実に悩みながらも簡単には涙を零さない芯の強さを持っているエリカだから、こうも惹かれて受け入れている部分もある。自分たちより子どもっぽいくせに、自分たちよりずっと早くやりたいことを持っていた。その真っ直ぐさは、迷っても、立ち止まってしまっても正しいものだ。誰に糾弾される謂れも、邪魔されていいものでもない。出会ったばかりの頃、女というだけで多少見くびってしまった自分たちが情けなくなってしまうくらい、エリカは自分の求めた道を走っている。だから同じように自分の道を行く凰壮たちとはあの夏を境に別れたのだ。繋がりは切れていないとわかっていても、道を別ったという言葉は時折みんなの頭上に懐かしさをつれてくるらしい。大人に言わせれば、子ども時代の、ほんの僅かな時間だと笑われてしまうかもしれないけれど。

「それに――」

 突然――考えに耽って音を遮断していた凰壮にはそう感じられた――竜持が努めて陽気な声を出して口を開いた。先程の言葉は凰壮に向けた茶目っ気が混じっていた。今のはエリカに向けた言葉だ。労わるような情があけすけで――凰壮だから感づいてしまうのであって、エリカにはきっとわからない――、凰壮は居心地が悪くなる。

「僕らが会いたいって言ったら、エリカさんだって会いに来てくれるでしょ?」
「お前、何様だよ……」
「あはは、その言い方はなんか卑怯」

 慇懃な普段の口調そのままで、にっこりと無邪気を演じて自分と凰壮を指差して見せる竜持に、エリカは噴出して笑った。けれどどうしてか、感傷的な空気は吹っ切れていないような気が、凰壮にはしていた。
 ずるいではなく卑怯と言われたことに、何故か凰壮は怯んだ。そして恐らく無意識であろうエリカの言葉の選択が正しいことを嫌でも理解する。竜持が無邪気さの中に隠そうとした本心を、見透かされたような気がした。エリカに会いに行く自分たち、エリカが会いに来る自分たち。能動の主をいくら動かしてみても、結局自分たちの気持ちは三つ子として過ぎるほど通じ合ってしまっていて、格好がつかない。

「まあでも、また会いたい、それは、嘘じゃない」

 いきなり凰壮が会話に挟み込んだ真実は、エリカの虚を突いたらしい。竜持の冗談(めかした本音)に笑っていた彼女は、らしくないことを言ったと直ぐにそっぽを向いてしまった凰壮の顔を見つめて、笑うのではなく微笑んだ。

「――うん、嘘じゃないね」

 そう、とっくに済ませてしまったはずの別れが今また目の前に迫ってきているような3月の夕暮れ。別れの感傷とは違う、成長という変化が象った柔らかい笑顔で凰壮の言葉に頷くエリカの瞳に全く涙が浮かばないことが、告げられない想いを抱えたまま会いたいという気持ちだけは悟らせないまま次を紡ごうとする凰壮と竜持には痛かった。彼女の正しさが、自分たちの弱さを突きつけている。
 今、自分たちの前で想像の別れでは涙を零さなかったエリカも、卒業式本番になれば本当にそこで別れてしまう友人を想って泣くのかもしれない。そう思うと、凰壮は嬉しいような悔しいような微妙な気持ちになるのであった。涙で幕を引かれる関係でなくてよかったとか、彼女の泣き顔をきちんと見てみたかったとか。そしてそれは、エリカを挟んだ向かい側で凰壮と同じ顔を顰めている竜持も思っていることなのだろう。
 図々しく拙い嫉妬などしながら、それでも、二人して決定的な言葉は言えないでいる。




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4周年&70周年企画/春奈とエリカととりこなと風栞ラブ!!様リクエスト

いつだって泣かないきみが正義だった
Title by『にやり』



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