夢であれば、いいと思うのです。優しいだけが、夢ではないけれど。あの傲慢な王に優しくされると(いえ下心が覗いていたとしても私はそれを優しさと呼びたいのです)、どうしてでしょうね困ってしまうのです。
 花は好きです。昔はよく摘んだものです。ええ、もう随分と昔ですよ。アイリスフィール、確かに私は若く見えるかもしれませんが、それでも昔は昔、いいえ過去と未来の落差ではなく途切れてしまったものへの回想です。例えば、てらいなく少女であることを謳歌していたことのこと。積んだ花をどうしていたか、それだけはもう思い出せなくて、どうしてでしょうね。飾ったのかもしれないし、編んで冠にもしたでしょう。けれど踏みつけた数には及びますまい。だから、私に花は似合わない。髪になんて飾れない。だから、ね、アイリスフィール、この花はどこかに活けてしまおうと思うのです。お水、頂けますか。


 滔々と語られる言葉に、アイリスフィールは頷きながら聴き入っている。彼女の自慢の騎士は、どうやら戸惑っているようだから。王としての迷いでも、騎士としての迷いでもなく、少女の淡く、濃く、胸躍るときめきへと至る道の戸惑いであるようだから。だからアイリはうっとりとセイバーを、見つめたまま、腰掛けた椅子から腰を上げることはしなかった。なかなか身体がしんどくて、もう冬木市内を観光気分で出歩くような真似は――そもそも聖杯戦争が始まった時点で――できそうになかったから、代わりにセイバーを送り出すことにしていた。守るべき姫を置いて遠出するなど有り得ないとごねていたセイバーも、アイリがもう見ることが出来ないものを代わりに見て、触れて、私に話して聞かせてちょうだいとお願いすると――命令ではないとそれはアイリとセイバーの共通認識である――、自分が留守の間は必ず舞弥を傍に置いておくようにと、それだけをきつく言い残して彼女は冬木の街へ繰り出してくれるようになった。格好が、相変わらず黒のスーツというのが段々とアイリには残念に思われた。いまどきの普通の女の子の格好をさせて歩かせれば、多くの男性を魅了していただろうに。それとも、彼女の凛とした美しさに怯んで誰も手を出せないかしら。そんなアイリのささやかな想像の外側で、セイバーに手を出そうとしてきたのは、どうやらアーチャー陣営のギルガメッシュであるようで、彼女は世間って狭いものなのねとずれた所見でセイバーに話の続きを促した。
 資金は十分に持たされていたけれど、セイバーが一人で浪費するほどの興味を惹くものは、生憎一般の日常の世界にはなかった。馴染んでいないだけだとしても、そもそも馴染むはずがないのだ。結局いつもジャンクフードを購入して小腹を満たすだけ。行き交うサラリーマンも、仲睦まじい恋人たちも、脇目を振らず駆けて行く子どもたちも、セイバーにはモノクロの影がうごめいているようにしか見えない。違う時代と世界、一足飛びに飛び込んで、居つけるほどの干渉は、少なくともセイバーの陣営には必要ないようでだからこそアイリも好奇心旺盛に外側を見たがるのだ。
 ギルガメッシュと出会うのは、セイバーが一人で街に繰り出す様になってから何度かあったらしい。隠していたわけではないのだけれど、あちらがこうして街に溶け込んでいるときに聖杯戦争の話など無粋だと言い始めるものだから、何度出会っても本当に何もなかったのだとセイバーは生真面目に言い張る。そうなのだろう、アイリは頷いた。
 ――どこから嗅ぎ付けてくるのかしらね。
 アイリの言葉に、セイバーは何のことかと尋ね返す。まさか偶然だけで、世間の狭さだけで、たった二人待ち合わせもせずに何度も出会うものかしら。それとも、秘密の待ち合わせだったの? 重ねて尋ねればとんでもないと首を振るセイバーの、善良と無垢と無知のせめぎ合いをアイリは眩しく、愛しく、悲しく眺める。
 セイバーが帰って来てからずっと彼女の手の中にある花は、彼女に似てどこか凛と孤立しているように見えた。
 赤い薔薇、男が女に贈ってはそうね下心は隠せないわね。笑うアイリに、セイバーは律儀に優しさですよと訂正を入れる。そう信じたいのならば勝手だけれど、ならばそう、受け取ってはいかなかったのよ。愛が、欲に塗れていることを他人事のように思っているようでは、いけない。

「愛の告白と同じじゃないの?」
「――いいえ、違います」
「頑ななのね」
「戯れは戯れのまま、私には似合わないものですから。この花と同じように」
「あら、そんなことはないわよ」

 似合わないのは戯れか、愛か。内側をこじあけようとするのは無粋だ。二人きりの時間をつつくことも、本当は。
 けれど可愛い、慕わしい、妹のような、姉のような、大切な騎士の恋路だから。黙って放り出すこともまたできない。切嗣には内緒ね、きっと興味も持たないだろうけれど。

「薔薇、早く花瓶に活けないとね」
「――はい、」
「そしてあなたの傍に置くのよ」
「それは……」
「愛でないならば、礼節として」

 重んじなさい。沈んでしまってもいいじゃない。愛が傲慢であっても、欲が物欲であっても。屈して敗北する貴女ではないと、私は信じているもの。
 アイリの微笑みに、セイバーは言葉を続けることが出来ない。彼女の強さ、たぶん、女の技だ。セイバーにはきっと意識した威圧でしか似たような行動は取れない。
 手の中の花が香る。さっさと枯れてしまえば、セイバーは自由になれる。耳元に残っている、贈り主の高慢ちきな声からも、言葉の意味からも。
 礼節ならば、傍に置こう。水だけは毎日換えて。それだけのことに、思い悩む必要はないのだと、セイバーは自分に言い聞かせた。



「この花を贈ろう」
「薔薇ですか」
「我のものにならないのなら、我を連れていくといい」
「随分と、貴方らしくない台詞ですね」
「愛にはさしもの王も膝を折るさ」
「いいえ、王は――」

 王は――そう易々と膝を折ってはならない。セイバーの主張は、最後まで発せられることなく消えて行った。王の優雅な花の贈呈に付き合わされている、その妥協を壊すようにセイバーを見つめているギルガメッシュの瞳に浮かんでいる熱が、王よりも男であったことに不覚にも怯んだのだと――それが付き返せなかった花の理由だと――それだけは、絶対にアイリスフィールには打ち明けるわけにはいかなかった。
 堕ちかけたなんて、そんなこと。



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60万打企画/匿名希望様リクエスト

至らない恋でした
Title by『alkalism』



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