御子柴実琴は感心した。鈍感であることを優しさと置き換えれば、片想いの苦々しさを照れ笑いしながら語れるようになるのかと。佐倉千代の告白の回数は、彼女の手の中にある少女漫画家のサイン色紙の枚数とイコールであった。アシスタント用のテーブルに背をむけている野崎は、こちらの会話など耳に入らないほど作業に没頭しているのか振り向きもしない。好きな人の傍で、その想いを告げた思い出を語る千代がそんな野崎の態度を残念とも思わず期待もせず、ただ御子柴との会話にのみ向き合っている現状はよくよく考えなくともおかしいのではないだろうか。御子柴の疑問が言葉になって千代に届くよりも先に、彼女はいそいそとテーブルの上に広げていた夢野咲子のサイン色紙を大切そうに袋に仕舞い直していた。
 ――なあ、それって告白した勇気の証じゃなくて気持ちが届かなかった敗北の印なんじゃねえの?
 馬鹿正直に尋ねたら、千代は怒るだろうか。何気ない言葉だと受け取って、それでもデリカシーがないと叱るだろうか。傷付かないでくれたら、それが一番いのだけれど。無傷を望むなら、口を噤んでいる方が賢かった。恋だってきっと。何度も好きだと(千代の告白が「ファンです」というわかりにくいものであることは承知の上だけれど)告げる彼女の気持ちの臨界点は果たしてその都度低くなっているのだろうか。そうであるならば、諦念で繰り返すだけの告白に傷付かないで済むだろう。けれど野崎のことに関するとピントがずれてしまうのか恋する女とは共通してそうなるのかは定かではないとして、千代は多分に盲目だ。驚かされて、目を白黒させて、それ以上に顔を赤くして振り回されている。御子柴も大概恥ずかしがり屋であるが、おおよそ自分の調子に乗った発言に恥じ入っているだけなので自分にも他人にも無害――千代あたりは面倒くさい性格だと思っていることを知らないので――あった。

「なあ佐倉、その色紙ずっと持っとくつもりかよ」

 どうにか、失礼に当たらない言葉を選ぶことができた。千代は当たり前だと大切そうに両腕で色紙を仕舞った袋を抱き締めている。それは野崎から貰った大切なものかもしれないけれど、少女漫画家の、本人の顔を知らないまま憧れることのできる全国の彼のファンと同列じゃないか。勿論それは恋愛感情ではないけれど、色紙の端っこに書かれた千代の名前はそれほどの特別な意味を持っているだろうか。アシスタントとして部屋に招かれる距離感はアドバンテージにもなりやしないんだと、千代自身が嘆いて知っているだろうに。テレビの向こう側の恋愛しかクリアしたことのない御子柴にだってわかる。千代の恋愛に対するスキルは聊か拙すぎるのだ。そんなことでは、あの朴念仁を陥落させられるはずもない。かといって、積極的に協力してやるよと言い出せるほど、御子柴も現実の恋愛に対して果敢ではないし、どんな結果を迎えるにせよ今の気楽な雰囲気が変わってしまうということは非常に億劫な想像となって彼を憂鬱な気持ちにさせている。もしも千代の想いが野崎に届いて恋人同士に発展してしまったら、きっと御子柴は今までのように野崎の元にゲームやフィギュア、好きな漫画を持ち込むことを憚らなければならなくなるのだ。彼女がいる男に、二次元の女の子たちを攻略するアドバイスを貰うなんて惨めだ。というより千代を攻略した男の意見はイマイチ参考にならない気がするのは何故だろう。野崎に振り回されている千代もなんやかんやで世間いっぱしの恋する乙女からずれ込んでいる節がある。けれどそれは、彼女の恋がなかなか進展を見せない理由というよりは野崎に寛容的過ぎて恋の泥沼にずぶずぶと沈んでいく要因になっている。三次元の女性とはなかなか素で話すことができない御子柴には体験したことのない現象だ。現実の恋とはかくも恐ろしいものなのか。

「そうやって色紙ばっかり貰ってたら、益々野崎はお前のことファンとしか思わなくなるんじゃないのか?」
「――うっ、それはそうかもだけど…だけど悪いことばっかりじゃないんだよ!」
「ホントかよ……」
「ホントだよ! の、野崎君がこうやってファンですって言う度にサインして貰ってるのって私くらいでしょ!?」
「それは誰も野崎が漫画家だなんて信じないからだろ……」

 どうしてこう、真剣味に欠ける会話になるのだろう。片想いを、自分から相談しているわけでもないのに話題にされるのは一様に気まずいものであると御子柴にはまだ理解できないし、千代の自分に対する線引きというものを御子柴本人が把握しているはずもないので正解など辿りつけるわけがない。野崎の漫画家としての空間で親しくなった者同士、一端を語るには一滴の罪悪感も伴わない秘密の関係が日常に浸透しすぎた。ぎゅうぎゅうと一つの部屋で作業して、遊んで、騒いで、そうこうしている内に心のどこかが満たされてしまっている。これはきっと御子柴の話だ。けれど御子柴は、千代もどこかそういう部分があってぬるま湯に浸っているから前進するには普通の一撃よりも強烈なものが必要なのだ。漫画さえ描いてなかったら、ひとりで過ごすことに何の問題も覚えない野崎が相手なのだから。千代みたいに小さくて危なっかしい異性を傍に置く理由なんて恋だけを用意できなければ門前払いだ。
 随分否定的な考え方をしてしまっただろうかと、御子柴は腕を組んで唸る。嵩み始めたサイン色紙なんて嬉しそうに見せびらかしてくるからいけない。それくらい付き合ってあげればいいのにという良心も確かに御子柴の内側には存在しているから、そんな義理はないと否定する為に猶更思考は刺々しい。

「俺はいくら好きな相手のだからってサイン色紙なんか何枚もいらねえと思うけど」

 トドメの一撃は、千代にではなく自分に向けて。自分はこう思うけれど、そうは思わず喜んでいられる千代は野崎が大好きなのだからはいはい耳くらい傾けてやりますよという妥協の合図。
 けれど肝心の千代が。今まで御子柴の否定的な言葉を更に否定して彼女自身の恋心を肯定していた千代が。

「やっぱり、変なのかな」

 自信を失くしたように俯いてしまったから御子柴は焦った。どうして急に。何でそんな迷子の子どもみたいな。傷付けたのは御子柴の言葉だろうけれど、だからこそどんな励ましができただろう。三次元は苦手なのだ。
 千代が二次元にいたのなら、野崎への恋心なんて問題なく上書き新たな恋のルートで彼女を幸せにしてやれるのに。それはそもそも御子柴の役目でも千代の願いでもないのだが、やはり彼は気付かない。
 それにしたって「変じゃない」の一言すら絞り出せないというのは我ながら情けないと、御子柴は項垂れた。彼が彼女の頭を撫でても喜ばれないことくらいは弁えているつもりなので。
 千代は俯いても、それでもその色紙を抱き締める力を緩めようとはしなかった。御子柴は、彼女が抱えているサイン色紙を取り上げて放り出してやりたいと、本気で思った。



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きみは僕のともだち
Title by『さよならの惑星』



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