※捏造注意


 空に舞う一片に春を見た。出会いと別れの季節。今日は別れの日だった。卒業式の後のLHRでは月末まではこの学校の生徒なのだからなどと笑いながら話す担任を思い出して苦笑する。校庭にて別れを同窓の面々や後輩たちと別れを惜しんでいる卒業生たちは気付いているのだろうか。大事なのは籍の在り処ではないのだと。義務教育ではないとはいえ、高校に通うことは学生にとって義務と等しい。習慣を自主的に選び取っているという認識は、恐らくもっと大人にならなければわからないことだ。その義務のような習慣から、つまるところ今日を最後に解き放たれる。それが卒業式という区切りだった。桜が咲くにはまだ早い。ひらひらと風に待っているのは、折り紙の花吹雪だった。肩や髪に降り注ぐそれを掃おうとはせずに、大野けんいちは半年前までは自分の生活の全てを支配していたサッカー部の仲間たちと笑い合いながら固まっている。部活内の追い出し試合は去年の内に終わっていて、しかし後輩たちは別れの心構えなど全くできていなかったと言わんばかりに悲喜交々な表情で卒業生たちを囲んでいる。


 中学校から高校と、大野はサッカーを生活の中心に置いてきた。親友で腐れ縁の杉山もそれは同様で、この卒業式を迎えるまで二人はいつもワンセットのような扱いを学校中から受けてきた。一方的な認知が波及する程度には彼等の代、サッカー部の活躍は素晴らしかったといっていいだろう(勿論、この学校内に於いてという限定条件ではあるけれど)。しかし二人とも不思議なことに一度としてサッカーを将来に結び付けて考えることをしなかった。もしかしたら、サッカー選手を格好いいと思ったことくらいはあるかもしれないが、出会ってから憚りなく将来の夢を語り合った中でその選択肢が幅を占めたことはなかった気がする。それでも妙な波長で繋がっている二人は春からの進学先もまた同じだった。顧問からはサッカーで推薦も貰えると言われたが、大学までサッカーで選んではその先の選択肢が狭まりそうだからと大野は丁重に断った。杉山もまた顧問の申し出を断ったことは知っているが、どんな心積もりでその選択をしたのかは知らない。
 面倒見が良かった記憶はないのだが、実力が伴っていればある程度後輩たちからの信頼は勝ち得ることができるらしく。大野と杉山の周りにはサッカー部の後輩が離れる気配を見せずに群がっている。地味に強豪校なので人数は多いのだ。自分たちとの別れを惜しんでくれる後輩たちの声を聴きながら、しかし大野の視線はめまぐるしく周囲を探る。それが会話の途中であっても今日だけは無礼と咎められたりはしないのだ。だって今日は卒業式だから。三年間通った学び舎の風景を名残惜しく胸に刻んでいるのだろうなんて都合の良い勘違いに、大野は今日ばかりは便乗している。


 中学校から高校と、まるこは絵を描くことを生活の中心に置いてきた。部活動は六年間美術部に所属し、真面目とはいえない自分勝手なスタンスで彼女は絵を描き続けてきた。それは学生生活の学業と比較した際の比重であり、小学生の頃から親友のたまえと過ごす時間も勿論大切だった。漫画家になりたいという夢の為にという建設的な積み重ねと、単に好きだからという衝動。成果としてのスケッチブックは美術部が荷物置き場にしている準備室に積み重なって、形ばかりの引退宣言の後に何度も持ち帰るよう言われたが面倒くさかったので結局顧問に処分して貰うことにした。その頓着のなさにたまえは「まるちゃんらしいね」と笑っている。卒業式の中盤からずっと泣きっぱなしだったたまえが微笑んでくれたことにまるこは嬉しくなって頷いた。深く考えると、たまえが言った「らしさ」がまるこの成長のなさにも直結していることには気付かないふりをしておく。
 ひらひらと紙吹雪が舞う。どこの部活の後輩が発案したのかわからないが、屋外で紙吹雪を盛大に舞わせてもいいのだろうか。首を傾げる。派手に遠くまで飛んで行って、ご近所の顰蹙を買わなければ良いけれど。それとも、卒業しだからと目を瞑ってくれるのだろうか。こんなこと、あと少しでクラスメイトや同級生とも滅多に顔を合わせなくなる卒業生が気にすることではない。冷めているのだろうかと自問して、隣にいる親友が真っ当に優しいものだから、自分はいいかと思ってしまうのだと分析する。いつも通りの怠惰だと笑う。卒業式くらいで何も変わりはしない。たとえ誰と会えなくなったとしても、続く縁は続くものだ。ぐるりと周囲を見渡せば見るからに大所帯の人の輪。人垣に埋もれて見えなくてもわかる、その輪の中心にいるであろう人物を透かすように視線を送りながら、しかし仕様ないことをしているとまるこは目を閉じた。誰もその仕草を訝しく思いはしない。今日は卒業式だから。三年間の日々を振り返って感慨に耽っているのだろうと誰もが勘違いしてくれる。強ち間違いではないのだと、まるこは隣にいるたまえの肩に頭を預けてみた。驚きもせず頭を撫でてくる手に、ただひたすらに安堵した。


「――あ、」

 大きな声ではなかった。誰かの言葉を遮るようなタイミングでも。それでも大野が零した吐息寸前の呟きは周囲の人間の耳にしっかりと届いたようで、一斉に視線が集まる。しかし大野の視線もまた自分を中心に形成されている人垣の向こう側へ向かっており、集まった視線のどれともかち合うことはなく状況の変化にも怯むことはなかった。
 ゴール前のような集中力だった。不思議がる後輩たちと、何かを察したように笑いだす親友。意識の片隅で捉えてはいる。ただ吸引力が足りない。意図せず、望みもせず、視界を掠めるだけでこんなにも大勢から大野の意識を引き剥がしている女子生徒の存在をどれだけの人間が知っているのだろう。
 優しく背中を押された。誰かなんて振り向かなくてもわかる。位置関係ではなく、感覚だろう。背中を押す行為はその名の通りの意味を持って大野に為された声援だ。だから手短に片手を上げて礼を示してから大野は器用に人混みの輪から抜けて行った。

「さくら」

 発音が、自分の名字だと教えてくれる。季節柄、勘違いは避けなくてはならない。校庭の桜の木々はまだ蕾すらつけていないだから、話題に上る方が少ないけれども念の為。誰の声かは直ぐにわかった。遠くの人垣の中心にいたはずの彼が、いつの間に自分の元にやってきたのだろう。
 閉じていたままの瞼を開けると、陽光は痛い。ゆっくりとたまえの肩から頭をあげると、それが準備完了の合図だというかのようにたまえは「あとでね」言い残してその場から立ち去ろうとする。無意識に引き留めようと伸ばした手は、反対側の手を掴まれた驚きで宙に留まり、たまえの背中を見失うと同時に降ろされた。

「――大野くん」
「あー、悪い。穂波と話してたか?」
「ううん。たまちゃんとはいつも話してるから、今更気にしなくていいよ」
「……それもそうか」
「そうそう」

 素っ気ない言葉に聞こえかねないが、単に歯に衣着せないだけであり深い考えもないことを大野は知っている。覇気のなさは別れの日に気落ちしているよりは寝起きの気怠さに似ている。名前を呼んだとき、彼女は目を閉じていた。微睡んでいたのかもしれない。卒業式に、親友の肩を枕代わりにとんでもない女だなと思いながらもそんな彼女の姿を自分は必死に探していたのだということを大野はしかと自覚している。

「あのさ、さくら――」
「うん」
「寝るなよ」
「失礼だね。最後かもしれないから、大野くんの声にしっかり聴き入ろうとしてるんじゃん」
「いや、お前眠いだけだろ」
「どんだけ寝汚いと思われてるわけ」

 大野が用件を切り出そうとした途端、まるこの瞼はまたゆるゆると下がってしまって、指摘すれば達者な口はああ言えばこう言うのだから話が進まない。それでも主張することをやめないのは、内心で彼女が言葉にした「最後」の二文字に肝が冷えたからだ。大野が必死になってまるこを探していたのは、その今日が最後という事態をどうにか回避――あるいは先延ばししたいがためであって、彼女の態度が最後という事態を受け入れているかのように映ってしまっては焦ってしまう。惜しむような口調は、本音かフェイクか見抜けなかった。


 もう二人きりで面と向かって会話することはないと思っていた。まるこが人伝に仕入れた情報では(仕入れなくともわかりきっている事実として)自分たちの進路は別々なのだから、卒業式を終えて学校に行かなくなれば最悪二度と会うこともないのだと、現実味のない事実として思い浮かべていた。
 けれどこうして、サッカー部の後輩やそうでなくとも大野に話し掛けたい彼に憧れている女子生徒たちを無視してまるこの元に大野はやってきた。何かを話し掛けている。それが、自分たちが二度と会えないかもしれないという明日からの未来候補以上に現実離れした光景のように思える。彼の背後にはらはらと舞う紙吹雪が見えた。雪なのか、桜なのか。大野を直視するのが、どうしてか憚られるそんな光景。遠近の把握は絵を描く人間として出来ているつもりでいるのだが、今の大野の立ち位置に関してはぼんやりと線が揺らいではっきりしない。

「――あれ?」

 そしてまるこは漸く自分が泣いていることに気が付いた。大野が目を見開いている。間抜けな顔をしていると指差して笑ってやろうと思ったのだが、笑顔どころか声も出なかったのでやめた。掴まれたままの腕が、やけに温かかった。


 突然まるこの目に溢れだした涙を、大野はどうすることもできないでいた。悲しんでいるようには見えなかった。笑ってもいないのだから嬉しくもないのだろう。けれどぼろぼろと涙を零す瞳に、まるこ自身唖然としている。
 不意に、零れ落ちていく大粒の水滴が、自分たちの一部のように感ぜられた。密接ではなかった。しかし大野はまること中学高校と同じだったことを意識していたし、同窓の人よりも強く想いながら過ごしてきた。きっとまるこには自覚がないだろうけれど、大野が一番親しくした女子といえばやはり彼女以外にいない。
 そのまるこの瞳から、今日を最後に途切れてしまう自分たちの思い出が流れて行ってしまっている。別れを惜しんで涙するのは、結局その別れを思い出にするための儀式みたいなものだから。そして大野は、このまま迎えるであろう断絶を看過したくないという一念だけで校庭を埋め尽くす人混みの中からまるこを見つけ出したのだ。諦めるなんて、有り得ない。

「――さくら」
「うん」
「さっきの、最後かもしれないからって言ってたやつ」
「うん」
「俺は、最後にしたくないと思って、だから来たんだけど」
「うん?」
「これからも、卒業しても、一緒にいたいっていうか――」

 あわよくば今よりもずっとという言葉は冷静に省きながら慎重に言葉を紡ぐ。我ながら歯切れの悪い物言いだと苛立ちもあるのだが、お世辞にも優秀とはいえないまるこの理解力を疑いながらの一発勝負は危険なのだ。
 これ以上の決定的な言葉を紡ぐべきなのか。不用意な言葉を避ける為に唇を噛みながら大野は思案する。卒業式に告げるなんて、定番すぎて如何なものか。断られても気まずくないからとしか思えない日和見な選択。
 その決定は、止まらない涙に上手く喋れないまるこが突進の勢いで大野に抱き着いた瞬間あっさりと下されることになる。


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どうか幸く
Title by『弾丸』





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