※『叛逆の物語』ネタ



 ランチボックスの入った巾着袋を胸に抱えながら、志筑仁美は教室にて自分の席にぽつんと座り込んでいた。急がないと、昼休みが終わってしまう。今日はサンドイッチだと、行きがけに微笑んだ母親の顔を思い出す。きっと様々な具が挟まっていて、仁美のお腹を満たし友人らとおかずの交換などをしながら楽しく食事をする光景を思い浮かべながら作ってくれたに違いない。けれど今、仁美はいつもと変わらない教室でひとりぼっちだった。
 ――わたくし…いつもは誰とお昼を食べていたのでしたっけ?
 教室を見渡して、目当てもなく答えとなる人物がいやしないかと探す。真っ先に視線を送ったのは、仁美の恋人である上条恭介の席だった。しかしその席に主はいない。コンクールが近いからと、教師の許可を取って休み時間に音楽室でバイオリンの練習をしているのである。音楽室に出向いて上条のバイオリンを弾く姿を見ながら食べても良かったのだが、初めに手身近に食事を済ませてあとは練習に没頭している彼の傍で黙々とひとり物を食べている姿というのは、上品と貞淑を教え込まれた仁美には恥ずかしいもののように思えた。コンクールが終わればお昼休みは上条と一緒に過ごせる。けれどやはり毎日というわけにはいかない。上条にだって男友達はいるのだ。音楽で忙しい彼のスケジュールに余裕ができれば声を掛けるのは何も仁美だけではない。それに付き合っている関係が友人間に公になっていたとしても、同性の友人を蔑ろにするなんてとんでもないことだと仁美は思っている。だってそれでは、選り好みをしているようではないか。生まれてからずっと上条と恋人関係にあったわけではない。それまで自分によくしてくれた人たちを、恋が実ったからと舞い上がって無視するなんてことはしない。そう思うのに、今の仁美はひとりぼっちだった。上条のことばかり考えてしまうのは仕方がない。だって好きなのだから。友人たちに打ち明けたことはなかったけれど、恋い慕って、勇気を出して想いを告げて、受け入れて貰って、祝福だってしてもらったはずだった。しかしスケジュールは合わなくて、通じ合ってしまったからこそ寂しさで胸が潰れそうだった。そんな想いをできるだけ惚気と取られないよう気を付けながら相談した友だちだっていたはずではなかったか――。

「あれー?仁美なにしてんの?」

 霞がかった思考に一筋の光が差し込みかけた途端、仁美の名前を呼ぶ声に意識が浚われた。ゆっくりと声のする方を見ればそこには言葉通り仁美が何をしているのか不思議そうに視線を投げる美樹さやかが立っていた。小学生の頃からの付き合いで、上条の幼馴染。確認するまでもないことばかりが脳裏を過ぎる。返事を寄越さない仁美に気分を害するでもなく、さやかは自分の机の脇に置かれた鞄から水色の小さなトートバックを取り出して踵を返した。
 行ってしまう、そう理解した瞬間に仁美はそばをすり抜けようとしたさやかのスカートの裾を掴んで引き留めてしまっていた。

「――仁美?」
「あ…。えっと…屋上ですか?」
「そ、うっかりデザート忘れちゃって取りに来たんだー。杏子の奴、自分の分もあたしに持たせといて早く取って来いってうるさいのなんの…」
「佐倉さん…」
「――って、仁美まだお昼食べてないの?」
「……いいえ?もう食べ終わってしまったんです」
「……そう?」
「ええ」

 咄嗟に吐いた嘘だった。お昼を一緒に食べる相手がいないなんて惨めだと思われたくなかった。けれど――本当は違うのだとも直感している。仁美には友だちがいる。彼女の隣りで笑ってくれて、他愛ない話に花を咲かせて、不慣れな恋愛話に親身に耳を傾けてくれるような友だちが。そしてそれは、今仁美を取り残して屋上に戻ろうとしている美樹さやかであり、きっと屋上でさやかを待っているであろう鹿目まどかだった。だがどうしてか、近頃の自分の生活を振り返って彼女らが身近な存在だと呼べないのはどうしてか。
 仁美は知っている。いつの間にか広がっていたまどかとさやかの交友関係の輪を。三年生の巴マミと放課後の街を歩く二人を見たことがある。制服姿のまま、親しげに話しながら夜に差し掛かる道を家路とは反対側に進んでいく背中。そして転入生である佐倉杏子。自己紹介も、生活態度も恐らく仁美とは合わない快活と粗野を併せ持った少女だった。案の定、仁美はクラスメイトとして杏子と仲が良いとはお世辞にもいえない。どうしてか杏子はさやかの家に同居するほどの仲睦まじさで、引っ込み思案なまどかとすら親しかった。いつの間にか完成していた輪の外側に、仁美は取り残されていた。その頃にはもう上条と付き合っていたから、真剣には焦っていなかったから気付けなかった。
 無視されているわけではない。声を掛けることも掛けられることも、特別な意思も覚悟も必要なく朗らかだ。一緒に帰ったことも何度かある。勿論上級生である巴マミは同席していなかったが。しかし居心地は悪かった。原因を探るなら、申し訳ないとは思いつつやはり仁美は佐倉杏子の存在を挙げるだろう。彼女の身内意識は飄々とした態度とは裏腹に深いらしい。そしてさやかとまどかは彼女の身内になっていた。女の子は気配に敏くなくてはならない。恋に身を焦がし後れを取ってしまった仁美でも理解できる。杏子はどうしてか、端から仁美をよく思っていない。できるだけ関わり合いになりたくないと思っている様だった。そしてそれは、仁美とて同じだった。彼女がさやかとまどかを遠ざけさえしなければ、お好きにどうぞと仁美は歯牙にもかけなかった。
 しかし新たに暁美ほむらという少女が転入して来て、まどかやさやか、杏子までもがその日の内に彼女を自分たちの輪に迎え入れてから仁美の世界のヒビは広がる一方だ。

「――仁美?」
「さやかさん…わたくし、わたくしは――」

 情けない声だった。なんと言おうとしたのかも定かではない。そもそも縋っていい相手なのか。付き合いの長い友人だった。けれど自分の好きな人に一番近い女の子だった。さやかもまた上条のことが好きなのではないかと疑って、探って、しかし彼女は笑っていた。バイオリンへの情熱は買うが、どうにも恋愛対象に乗せるには心が幾つあっても足りやしないだろうとさやかは仁美に道を開けた。ああ勘違いだったのだと安堵して、上条と付き合い始めてもさやかの態度に変化は全く現れなくて、まどかも祝福してくれて、忙しくてもあまり二人きりの時間を取れなくても微笑みかけてくれる上条がいて、仁美の世界は完璧だった。とても綺麗な世界だった。

「……仁美はわがままだなあ」
「でも…だって…」

 全てわかっていると言いたげに、さやかは仁美の髪を撫でた。ふわり香りが舞って、いかにも女の子らしい匂いがさやかの鼻先を掠めた。か弱い女の子、恋する女の子、無知で善良な女の子。駆け出していったのは仁美なのに、手放したつもりのない喪失に頭を垂れている。

「そんな欲しがりな仁美も、あたしは嫌いじゃないけどね」

 ウインクひとつ。今度こそ行ってしまうさやかを仁美は引き留められない。軽やかに駆けていく姿をガラス越しに見送って、仁美は机に突っ伏した。視界を遮ってしまわなければ涙が零れそうだった。何の変哲もない風景に、押し潰されてしまいそうだった。唇を噛む。食欲なんてとっくに消えてしまった。
 ――だってわたくし、さやかさんのこと、まどかさんのこと…大好きですもの。
 嘘じゃなくて、紛れもない真実で。けれど届けなければ価値がなく、届けたところで選ばれるわけでもない。仁美は上条を選んだのだ。でなければあまりにこの世界はひどすぎる。嫌いじゃないだなんて、そんな言い方ではその他大勢のひとりと変わりない。
 今頃は屋上に戻って、まどかや杏子、ほむらやマミと笑い合っているであろうさやかの姿を想像したら生まれて初めて彼女のことを薄情者と罵りたい気分になる。そんな身勝手な自分が許せなくて、仁美は誰にも聞こえない小さな声でごめんなさいと呟いた。
 どうしようもなく欲しがりな自分を戒めることもできないまま、仁美は知る由もない完璧な世界への帰結を夢見て瞼を閉じた。きっとその世界はさやかにとって痛い場所であることも理解しないまま、仁美を脅かすもののない世界を願った。無力な人間の少女の、狭量で純粋な祈りだった。



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みんなひとしくさみしいの
Title by『春告げチーリン』




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