目の前のカップにはカモミール。お砂糖よりは蜂蜜で。より甘く仕上げた方がスペイン風。そう説明してくれる玲華が、言葉を途切れさせてから「全部受け入りの知識なんだけど」と小首を傾げる姿に、多義は心臓がぎゅっと縮まった気がした。拘るのなら、カップはテラコッタでお菓子はショートケーキよりもチュロスやポルボロンの方が良かったかもしれないねと言葉を重ねる玲華に、多義は十分だよと静かに首を振る。玲華はほっとしたように目を細めた。
 二人きりで会うのは気安い間柄であるからこそのはずで、しかし思春期の気恥ずかしさがどうしてか会話を弾ませないことがある。向かい合って座るのは、おかしなことではないはずで、まさか隣に座るのが一般的とは違うまい。こういうことは慣れていないからと二人して手探りで、多義を自宅に招待したことをエリカは「玲華ちゃん意外に大胆やなあ」と予想外な評価を寄越した。
 ――お茶を飲んで、お喋りするだけなのよ。
 女の子特有の、恋愛話の無意味な言い訳をするよりも、玲華は事実を噤んで、本当にエリカの想像する大胆な振る舞いで多義に迫ったのならば彼はどうするだろうと想像してみる。恥ずかしがるかしら、鈍感に気付かないのかしら、それとも平然と受け止めてしまうのかしら。だけど、できるなら、古臭い少女漫画みたいに、男の子からのリードを期待していたい。

「玲華は最近調子はどう?」
「同好会?」
「うん」
「順調なのかな、メンバーは増えてないけど、みんな日に日に上達しているの。私も頑張らなくちゃ」
「無理はダメだぞ」
「ええ」

 優しい言葉をくれる人。友だちと恋人の境目をなくしても、同じように見守るような眼差しで見つめてくれたのかしら。そんな玲華の疑問は、不安とは程遠い場所の夢想に近い。絶対に揺らがない信頼と呼ぶには二人は幼く、共に過ごした時間も膨大とはいえない。けれどお互いの人柄が他者を傷付けるに全く向いていないことだけは熟知していた。
 玲華が無言でティーカップを口に運ぶ光景を、多義はフォークに苺を差しながら追っていた。お嬢様という前知識が見せるのか、彼女の仕草が純粋に優雅なのか、それとも惚れた欲目が塗り潰しているのか、彼の瞳に映る西園寺玲華という少女の一挙一動が美しく栄えた。
 積み重ねる小さな話題は大抵サッカーに繋がっていて、多義も自分の近況を語る。所属チームでレギュラーを獲得してから、今度はそこから降ろされないように努力を怠らないように気を引き締めなくては。そう語る多義に、玲華は彼と同じ「無理はしないようにね」という言葉を寄越した。勿論だと頷くと、微笑みが返る。
 きっと、クラスメイトたちが憧れている男女の交際からは逸れた場所に自分たちはいるのだと多義は思っている。それは二人の多忙さだったり、現代で問題になるのかもわからない家庭環境の差だったり、解明しようとすればできる、個性の合致の仕方がそうさせた。多義の身近にお嬢様と呼べる女の子は玲華くらいで、自宅に招かれる度に肩に力が入ってしまう癖は直りそうにない。玲華が傍にいてくれれば自然とほぐれていく緊張に、そう在れることに、自分たちの関係性が詰まっているような気がした。彼女といると、とても穏やかで、気恥ずかしくて、居心地がいい。
 スペインに発った青砥が不精なりに寄越す絵葉書や写真を、持ち寄っては逸れて昔話に浸る。現在よりも過去について饒舌なのは、輝いた記憶を共有しているからだ。今が退屈なわけでは決してなく、二人して根がお喋りではなくて、他人の話に相槌を打つことに苦を感じないから、いざ自分が何かを語ろうにもつい相手の心象が気になってしまう。それでも当たり障りのない言葉ばかりでは寂しいから、楽しいと知っている思い出話ばかり繰り返した 
 舌の上で溶ける生クリームの程よい甘さの余韻。陶磁器の皿とフォークの金属がカツン、とぶつかって音を立てた。何の合図でもないその音が、二人の耳にやけに大きく響いて、思わず目を見合わせてしまった。小さなはずの物音にすら驚いてしまうほど、静かな空間だったろうか。折角の二人きりなのに、その二人きりに満足していれば欲がなさ過ぎて進みようがない。多義も、玲華もそれを悪いとは思わないけれど、どうやらそれでは知らぬ間に時が流れてしまうらしい。

「ねえ多義君、隣、座ってもいい?」
「――?うん、いいけど?」

 紅茶もケーキもまだ残っているけれど、玲華は構わず席を立って多義の左隣に腰掛けた。肩が触れそうで、触れない距離だった。二人で並んで歩くときはこれくらいだろうか、もう少し距離が開いて、玲華が少しだけ後ろを歩くような感覚のような気もする。相変わらず見上げなければならない横顔は、静止してみる状況ではなかなか新鮮だった。

「玲華?」
「……なあに?」
「――触ってもいい?」
「…いいよ」

 やましい意味ではないだろう。多義の瞳は真剣で、優しくまろい。伸ばされた手は恐々と玲華の髪に触れて、意図しない指先が彼女の頬を掠めた。温かい指先は、紅茶のカップで温められただけなのか。確かめたくて、無意識に多義の手に顔を摺り寄せていた。彼女の両手は、多義の手を包んでいる。キーパーの、かさついた、大きな手だった。触れてみれば、あっさりと距離なんてものはゼロに近付く。多義は驚いているのかもしれないけれど、手をひっこめたり、露骨な動揺を表情や態度に表すことはしなかった。それを、玲華は都合よく受け取ることにする。上目遣いは女の子の立派な武器で、自然とそれを引き出す身長差は二人にとって僥倖だった。
 ――玲華ちゃん意外に大胆やなあ。
 ふと、エリカのこんな言葉が過ぎる。そうかもしれない。僅かに乗り出して、多義の顔を覗き込む。逸らされない瞳が答えだと思いたい。上目遣いの瞼をそっと降ろして、後は待つだけ。大胆だけれど、あとは男の子に、多義に任せてしまおう。
 テーブルの上には、中途半端に手の付けられた紅茶とケーキ。玲華の唇には、それよりもずっと甘く、柔らかい熱が広がっていた。



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Title by『魔女』



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