※高校生

「暗いし、送ってく」

 大野が、まるこの返事を待つことなく背を向けて、自転車を押しながら歩きだす。その背中を見つめ、だがまるこは遠慮も謝意も述べず、黙って従うように足を踏み出した。下校時刻を過ぎて、辺りはすっかり夜の色だった。そして先導していく大野の歩みが迷いなく彼女が普段歩いている通学路をなぞっていることが煩わしかった。だって、彼の家は高校からではまるこの家とは逆方向に当たるのだから。自惚れで嫌悪を育てたのではない。恥じらいでもないだろう。郷愁だろうか、そう思うにはまるこは地元を離れたことがなかったから、難しい。一度東京という、彼女には思いも寄らない大都会を踏んだ大野ならば、わかるだろうか。視線で問う。いつの間にか大きくなった背中には刺さらない。それが寂しいのだと、気まずさを紛らわすように背を張るには距離が開きすぎた。小走りで埋める気にもならない。
 根気もやる気もない。飽き性というほど多様性を誇ってはいないが、まるこは自分に正直な娘だった。だからこそ、怠惰な日常の中で彼女が心惹かれたものに対してはどこまでも素直で、考えなしに貪欲だった。キャンバスに伸ばされる色を大野は見たことがない。一度だけ、美術室の入り口から話したことがある。彼女は大野の方に一瞥すらくれず、そぞろな相槌を返すばかりで、そういう中途半端が立ち去り難さを生むのだと知らない。油絵は楽しいけれど、筆が乗らないとどうにもと笑うまるこはスケッチブックを抱えている姿の方がらしく映えた。サッカー部の練習中、外の水道で手に付いた絵具を落とすまること、スケッチブックを手に写生物を求めて歩き回るまるこを見つけられる。彼女からは大野を見つけられるかと想像して、無理だろうなと諦める。そんな繰り返し。弱小じゃ満足できないが、強豪となると部員が嵩んで埋もれてしまう。実力ではなく、見た目通りの数に。どれだけ大野の右足が振り抜くシュートが強烈だったとして、それを見分ける彼女ではないだろう。
 探しまわったりはしない。それは大野の予想通りで、まるこは大野けんいちという人間に飢えるほどの欲求は抱いていない。けれど美術部という如何にもな屋内の部に在籍しながら頻繁に外履きでうろついて、スカートの皺も露わになる脚も気にせずスケッチに熱中するまるこに何の影響も持たないわけではなかった。帰宅部の、見た目だけを飾った女の子たち。個人で動くという発想の欠如、好きな物はひけらかして共感を得ないと生きていけない。そんな女の子たちが声を揃えて褒めそやす対象が、大野である確率の高さときたら。グラウンドに背を向けていたとして、サッカー部であろう男子のシュートを讃える声の中に甲高い女子のそれが混じっていたのならば、きっとその直前にシュートを決めたのはまるこの友人のひとりである大野なのだろうと思える程度にはなっていた。

「大野君、今日は何本シュート決めた?」
「ん?さあ、シュート練でくさるほど打ってるからな、わかんね」
「最後、試合してたじゃん。その時」
「ん?あー3点だな」
「へえ、それ凄いの?」
「まあ、上々だろ」
「ふうん」

 残念、まるこの記憶では、耳障りな歓声は二回分しか残っていなかった。どうやら一度聞き漏らしていたようだ。正確に計上していたからといって、大野には打ち明けないし、ひとり秘密の遊びが誰にも知らない中蔓延していくことに得意げにもなれない。そして僅かに振り向こうとした大野の首が、慌ててまた前を向いてしまったことが会話をすることによって上昇しかけていた彼女の気分をまた突き落とした。
 喧嘩したわけでもなく、険悪にもなりきれない沈鬱な空気は嫌いだ。場の空気を読むことが嫌いなのではない。けれど、関わらなくてもいい事態に引っ張り込んでおいて、説明もなく、勝手に慌て、黙り、まるこにも同じ黙考を強いることに道理が通っているとは思わない。間違いを糾弾したいと声をあげるほど善良ではなく、普段小賢しくその場の欲求に沿って暴走するのはまるこの方で、大野は寧ろ間違えない。だから意外で、戸惑って、逃げ出したい。できるなら、今すぐ本当は寄る所があるのだと笑顔と言葉を繕って大野から離れてしまいたい。それをしないのは、送っていくと言った彼の声が、思ったよりもずっと真剣にまるこの中に落ちたからだろう。

「ねえ大野君」
「――ん」
「大野君ってさ、彼女いなかったっけ」
「一度もいたことないぞ」
「ふうん、告白はされてるよね」
「……偶に、な」
「ああいう断り方、するんだ」
「………」

 男らしくないなあと吐き出す溜息が、大野には見えなかったこと。それでもまるこの言葉に力なく下がる肩が、彼自身が彼の振る舞いを悔いているのだと窺わせて、まるこは唇を尖らせた。告白の頻度を偶にと言葉を濁した大野の言い分が謙遜に塗れていることなど知っている。噂は噂で事実は事実。大野がやたらと異性にもてるのは後者だ。しかし同性から見ても上玉と思われる女の子たちが悉く惨敗を喫する恋路の行方に興味はない。寄せられる好意は大野を喜ばせる力を持っていないことはわかった。そうして望まない言葉や気持ちや態度を押し付けられていれば、いつしか面倒を避け、済ませる為に効率化を選ぶのだろうか。

「私、大野君の彼女になった記憶、ないよ」

 手当たり次第、適当に。掴んだ腕が私だとは思わなかったか。咎める資格がまるこにはある。告白されて、縋られて、振り払うには、恋人という存在は絶大だろう。いくら部活の休憩中という非常識なタイミングで詰め寄られて苛立ったとしても、偶然通りかかった小学校来の友人を恋人だと偽ることに罪悪感はあるだろう。なければ、まるこは大野を殴り飛ばしている。彼が特別だとは思わない。ただ平凡だと括ってはいけない。まるこは自身を平凡だと言いきれる。それでも彼と自分は対等に物を言う権利がある。それは、彼女がまだ大野を友だちだと信じているから。

「なあさくら」

 前を行く大野が足を止める。他人の重みも受けていない自転車のブレーキが鳴る。ハンドルを持っていることを構わず、拳を握りしめようとした所為だろう。まるこも止まる。開いていた距離は残しておいた。怒っているのだと偽っておいた。これが心の距離だと。僅かだと思うだろう。だが寄り添えない時点でどこまでも他人は遠い。どうでもいい、有象無象だ。過剰なまでに、頑なに、まるこは今大野に筋を通させようとしている。普段の彼女からは異様なくらい、真剣だった。付き合いの長さに、勝手に積み上げてきた信頼を突き崩されては堪らない。悲しむべきか、その程度だったと性差とか、それこそ時間を理由に流せるか。歩み寄るべきか、離れるべきか。次の一歩はどちらだろう。

「俺、お前のこと好きだよ」

 振り向いた。その瞳が、まるこを盾に退けた少女よりもずっと深く、鎮痛に、煌々と此方を見た。歩み寄るべきか、離れるべきか、まるこにはちっともわからなかった。



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どうするんだい青少女
Title by『弾丸』


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