※多→玲→花


 多義が自宅からそう近くもない美咲公園に、桃山プレデターの練習もないというのに足を運んだのはやはりサッカー絡みではあるもののおまけの域をでない付き人の役を仰せつかったからだった。
 チームメイトのエリカから、青砥と休日にサッカーがしたいと思ったのだけれど二人きりという条件で誘うのは図々しいだろうかと相談を受けたので、連れ出すくらいなら訳ないからと結局三人で集合することになったのである。青砥とエリカがパスを回したり、多義を巻き込んでPK勝負をしたりしている内に自分たちで用意した飲み物が切れてしまい、それが契機となって今日はもう解散しようかという流れになった。公園に設置されている時計を見遣れば、集まってから数時間は軽く経過していたものだから驚いた。
 帰り道の途中、運動後はやはり喉が渇くと三人でコンビニに立ち寄った。飲み物を買うのかと思いきや帰ってから家で食べる分のお菓子を真剣に吟味し始めた青砥の隣にエリカまでもが陣取って自分のお気に入りを薦め始めてしまう。長くなるかなと多義が自分の分の会計だけでも先に済ませようと鞄の中を漁ると、タオルを公園に置き忘れてしまっていることに気が付いた。忘れた場所が学校や兎に角屋内であったのならば誰かが忘れ物として保管していてくれることを期待することも出来るのだが、屋外でしかも公園ともなると直ぐに取りに戻らなければならない。風で飛ばされてしまったり、ゴミ箱に放られてしまったり、泥だらけの幼児たちに勝手に使用されて放り投げられてしまったりしては大変だ。

「公園、忘れ物したから戻る。二人は先帰ってて」

 告げて、青砥とエリカの反応は待たずにコンビニを出て駆け足で公園に戻る。追い駆けてくる気配はなかったから、きっと了承して貰えたのだろう。
 美咲公園に戻ると、遊んでいる子どもたちはまばらだった。休日だし、子どもたちだけで遊ぶよりも家族でどこか遠くに出掛ける割合の方が多いのかもしれなかった。多義にはあまりわからない感覚だけれど。元々この公園は球技をすることが歓迎されていない風であるらしく、砂遊びや追いかけっこ等で延々時間を潰せるような幼い年代の子どもたちとなるとますます休日は足が向かないのかもしれない。
 人影の少なさに少し驚いて、多義は記憶の最後にタオルを置いた場所、敷地の隅にあるベンチへと駆け足で向かう。この日の風は穏やかで、恐らくまだ飛ばされてはいないだろうと期待をしながら。するとそこには予想外の人物。いつもよりめかしこんだ玲華がベンチに腰を下ろしていた。
 白地にネイビーの薔薇柄が散ったワンピース、襟刳や袖口にはレースがあしらわれていて如何にもお嬢さんと言った出で立ち。パニエを知らない多義には、ひらひらとしたスカートのボリュームが不可思議で仕方がない。普段サッカーをするときはお団子に纏めている髪は下ろされて、白いレースが表面のカチューシャを留めている。サッカーをしている時の玲華しか知らない多義は、思わずその場でぽかんと口を開けたまま立ち止まってしまう。その時の砂を踏む音が、人気が少ないことで玲華の耳にも届いたらしく、彼女が多義の方を向いた。

「――多義君?」
「あ、うん。こんにちは?」
「…?どうしたの改まって」
「えっと、いや珍しい格好だったから。どっか出掛けてたの?」
「ああこれ?ううん、今日買って貰ったの。着てみたらちょっと外を歩いて見たくなったんだけど…確かにちょっと普段着ではないよね……」
「いや、でも似合ってるぞ!」
「ふふ、ありがとう…」 声を張るのも微妙だなと、多義は玲華の元まで駆け寄ってその隣に腰を下ろした。ふと彼女の手元を見てみると、多義の忘れものであるタオルが綺麗に畳まれた状態で膝の上に置かれていた。「あっ」と多義が声を上げると、玲華は微笑みながら「やっぱりこれ多義君の?」とタオルを差し出した。「何度か練習で使ってるの見たことがあったから、もしかしたらと思ったんだ」と玲華は自分の予想が当たっていたことに満足そうだった。多義は受け取ったタオルを自身の膝に置きながら、綺麗な衣装に身を包んでいる玲華に自分が運動で掻いた汗を拭いたタオルを持たせてしまったことに申し訳ない気持ちに陥ってしまう。練習ではなく遊び程度だったから、大量に汗を含んだものではないけれど、それでも。
 多義の懸念など知る由もない玲華は、急に困ったような表情を浮かべた彼に向かって「どうしたの?」と尋ねてくる。馬鹿正直に打ち明けるわけにもいかず、多義は逃げるように質問を質問で返してしまった。

「玲華はここで何してたの?」
「―――え?」
「ぼくは、さっきまで青砥とエリカとサッカーしてたんだ。たぶん、玲華が来るのと入れ替わりだったんだと思うけど」
「そうなんだ」
「うん」
「私は…、休憩かな」
「休憩?」
「靴擦れが痛くて、靴も新しいからまだ踵が固いの」

 玲華の言葉に、多義は視線を彼女の足もとに落とす。玲華の靴は確かに真新しい光沢を放つエナメル材質のストラップシューズだった。小学生が履くには少しばかりヒールが高めのその靴はストラップの部分にリボンが着いているが、靴擦れの所為でそれを外しているシューズはかっちりとした印象は与えない。しかし踵の部分に眼をやると、僅かに傷になって皮が向けてしまっている。ひどいときは血が出てしまうということを、多義は知識としては知っている。
顔を上げて気遣わしげな視線を寄越す彼に、玲華は「ちょっと休めば大丈夫」と当たり障りのない言葉を返す。実際は、どれだけ休めば大丈夫だとかはわからない。あまりに痛みがひどければ最悪裸足で家まで歩きかえらなければならなくなるかもしれない。それを思うと、真新しいもので身体をぴっちりと固めて外を出歩いていた自分の迂闊さがひどく情けなくなってしまう。ここまで辿り着くのだって、慣れないヒールの高さに四苦八苦しながらやっとの思いで歩ききったのだ。玲華には甘い母親にも「もうちょっと踵の低い靴の方が良いんじゃないかしら」と心配されてしまった。けれど玲華は、外出着を靴まで一式買い揃えることになった時からヒールは少し高めが良いと主張していた。それを母親は年頃の女の子の背伸びだと思って聞き入れてくれたけれど、実際その通りで、身の丈に合わない背伸びに過ぎなかったのだと思い知ってしまうと玲華の目頭は簡単に熱くなってしまう。
 今この場で涙を零しても、玲華は大人にはなれないし靴擦れだって直ってはくれないしヒールの高い靴で颯爽と歩けるようにはならないとしても。

「――玲華?」
「…大人になりたい」
「え?」
「…この間ね、偶然杏子さんにあったの。こんにちはって挨拶をしたんだけど何かいつもとちょっと違うなって思って、そしたらね、杏子さんがヒールの高い靴を履いてたの。それでいつもより背が高く見えてたんだなあって」
「…だから玲華も踵の高い靴を履くの?」
「だって、杏子さんみたいな大人になりたいんだもの」

 そしたら、花島コーチに手を伸ばすことだって出来たかもしれないもの。玲華は声には出さなかったけれど、多義には何となく、彼女の憧れの先にある仄かな熱に気が付いてしまった。それは多分、似たような熱を彼が玲華に対して抱いているからかもしれない。あまりに淡くて、ふとした瞬間に「可愛いな」と思うくらいの。もしかしたら自分の好みの標準値を体現しているだけなのかなと疑ってみることも出来るのだろうけれどそれをする必要はないだろう。玲華に抱いている気持ちが確かに存在していることはそれで証明されるのだから。
 玲華はきっと花島コーチが好きなのだ。字面に起こすだけならば、多義だって同じだ。けれど、視線でその姿を追う回数だとか、アドバイスを貰ってその通りに上達出来た時の喜びようだとか、褒められた時の瞳の輝きだとか。そういうものを少しずつ合わせていくと、まあ違うのだろうなと直ぐに理解できた。確認することは憚られて、花島を辿る彼女の視線が切なげに伏せられれば多義も彼女から視線を外した。腫れ物を扱うように、多義は知らないふりを通してきた。
 花島の恋人で、彼だけにではなく自分たちにもとても良くしてくれる杏子という人物をやはり玲華は好いていたし多義も嫌いではなかった。大人の男女が隣同士に並び立つだけではっきり恋人として映るのだ。二人の関係が良好なことは明らかで、玲華の気持ちはただ彼女の中で燻るだけ。取り出して、差し出す日なんてきっと来ない。玲華自身、そう諦めている節があった。それでも、割り切って捨てきれないのが初恋なのだろう。不可解だが、多義にもその気持ちは少しだけ理解できる。想うだけなら、それだけなら。そう自分を毎日少しずつ許すのだ。
 ゆらゆらと、玲華の瞳が水膜を張って揺れる。多義はそれを、涙とは認識出来ないまま、ぼんやり綺麗だなと思いながら見つめていた。

「どうして私、こんなにちっぽけなんだろう…」
「ぼくは…小さい女の子の方が可愛いと思うぞ」

 自虐的な意味がこめられた「ちっぽけ」を、「小さい」と勘違いしてしまったらしい多義の反応に玲華は涙に揺らめく瞳を細めて笑った。拍子で眦から一筋零れ落ちた涙に、多義は驚いたのか目に見えて慌て始める。あたふたと自分の周囲を見渡して、咄嗟に先程玲華から受け取ったタオルをまた彼女に押し付けた。汗臭いかもだなんて懸念はきれいさっぱり頭から消し飛んでいた。
 その勢いに玲華は一瞬目を見張ったけれど、「ありがとう」と多義の手からタオルを受け取った。一度それに顔を押し当てて、また顔を上げた玲華の頬には涙の後は見つけられなかった。そのことに、多義は心底ほっとする。
 多義が安堵したことに玲華もほっとした。そして「そろそろ帰ろうかな」と声を掛ければ、多義は漸く陽が傾き始めていることに気が付いたようだった。立ち上がって、玲華の足もとを覗き込む。「平気だよ」と先回りをしてリボンのついたストラップをカチンと音を響かせながら止めた。立ち上がると、踵の縁が傷に当たって少しだけ痛む。

「おぶるか?」
「いいよ、だって私重いもん」
「そうか?なんか細っこくて軽そうだ」

 その言葉に、玲華が頬を赤く染めて俯いた。差し始めた夕日の所為で多義は気付かなかったけれど。
 多義は優しいから。そう着地点を決めて、玲華は胸に湧いた気恥ずかしさを打ち消す。こんな風に気遣いをさせてしまうなんて、この服を着る当日は靴だけは別のものに変更した方が良いのだろう。玲華は足元を見つめる。杏子のようになりたくて背伸びをして買って貰ったこの靴は、もしかしたらこのまま履かないで終わってしまうかもしれないと思うとやはり少しだけ悔しい。けれど、玲華がこのまま合わないヒールの高い靴を颯爽と歩き履きこなしても杏子にはきっと及ばない。埋められない歳の差と、女の子の憧れ、純白のドレスを纏うであろう彼女には、まだまだ子どもの玲華は見上げる以外の選択を持たない。

「ぼくも早くコーチの結婚式の服とか用意しなきゃいかんな」

 多義の呟きに、玲華は「もう直ぐだもんね」と頷いた。
 玲華はきっとこの服で彼等の結婚式に参加するのだろう。もしその通り、式場で玲華がこの服を着ていたら、その時は今日言えなかった「似合っている」の言葉を伝えよう。多義はまだ、玲華に「好きだ」とは言えないから。せめて少しでも彼女を喜ばせてあげられたらいいと、そう思った。



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不可解だらけの初恋
Title by『hmr


銀オフNL企画「Boy Meets Girl」様に提出





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