※パラレル



 朝起きたらまず枕元の眼鏡を探す。伊達眼鏡かつ犯人追跡用眼鏡であったそれは今では本来の視力矯正を目的としたものとなってしまった。着替えを済まし、洗面所で顔を洗い歯を磨く。毎朝リビングに朝食を取りに向かうまでは家族の誰とも顔を合わさない。それでも寝坊をするとは思われていないのか母親から起きなさいと声を掛けられた記憶はない。
 そう、母親。ほんの少し前までは母親どころか近しくはあれど血縁関係なんて一切なかった他人。血縁関係の有無は永遠に変わらないのだが戸籍上の関係が一気に近付いてしまってコナンとしてはどうしたものかと首を捻り、直ぐにどうしようもないなと嘆息するしかない。そもそも俺に戸籍なんてあったっけと振り返ればそれはもう全力で何とかしたよねと素晴らしい笑顔で言い切る両親とか隣人の博士とか警察関係者とかその他諸々いるわいるわできっと宜しくない偽装とかいろいろしたんだろうなあと呆れてしまう。それでも「愛されてるわね工藤君」と遠い目をした灰原に肩を叩かれた瞬間そういうことにしておこうと決めた。今となってはパスポートだって手元にある。江戸川コナンの名前と顔写真、本来微妙な顔をするべきところをうっかりテンション跳ね上げて、同じく灰原哀として戸籍とパスポートをゲットしてしまった彼女に記念に海外に行くかと尋ねればかつてないほど顔を顰められた。

「これで私たち、本当にただの子どもだわ」

 灰原の言葉をなぞれどもそれが嘆きなのか喜びなのか諦めなのかは未だにわからない。ただそうだなと頷くだけ。これでもう本当は高校生なんですと言い逃れすることもなく、最初は事実であったことを偽りとして葬り去らなければならない。否、コナンの場合灰原とは少しだけ事情が違っていた。

「あれ、お前まだ洗面所使ってんの?」
「……今どくとこ」
「さっさと朝飯食えよー。蘭も片付けあんだからよ」
「ん、」

 歯ブラシを加えたままのコナンの背後から馴染み過ぎた声が掛かる。かつては自分の喉を通して発せられていた音。洗面台の鏡越しに捉えた姿も同じこと。嘗ての自分、もしかしたらコナンの方が嘗ての彼。理由は知らない、原理も根拠も方法も。ただ彼は、江戸川コナンと同一だったはずの工藤新一は当たり前のように別の個体として今コナンの前に立っている。しかも、自分の養父として。そして無事戻ってきた新一と結ばれた蘭が養母。何それ罰ゲームか何か?そんな灰原の愉快な声音が脳内で再生される。だって分離しても記憶や心が改竄されたわけではなかったから、コナンの心が抱くもの全てが新一と同一なのだ。だから、新一と蘭が高校卒業を機に学生結婚してしまうということはコナンにとってそういうことだった。新一はコナンの現状を知っていて、これからどうなるかも知っていて、何も知らない子どもとして放り出すことを良しとせずに自分の手元に留まらせることを選んだ。自分だったら、絶対苦痛で家出ばっかりしていると思うと言いきった時は本気で阿笠博士の養子になってやろうと思ったのだけれど、それは灰原が全力で拒否を示したので不可能だった。因みに灰原は現在阿笠博士の養子に収まっている。
 結局大学生ながらに探偵として再び名を馳せる新一と蘭の新婚風景に挟まれながらコナンは今日も今日とて自分を演じる。それまでは上手く出来ていたフリが、工藤新一という起点を失くした今この先一生江戸川コナンひとりの背にのしかかって来るのかと思うと下手に猫を被って面倒を背負いたくない。そんなことばかり考えているから初動が遅れるのかもしれない。おかげで以前は手のかかる奴らだと思っていた少年探偵団の面子が癒しの泉にすら思えてくる。素でいられるという面では今となっては灰原が一番近しく根深くもあろうが彼女は棘が多すぎる。彼女自身しかと自覚した上であれだから猶更。

「おはようコナン君。お寝坊さん?」
「違うよ、寝癖がひどかったんだ。…おはよう蘭ねー…母さん?」
「ふふ、呼び方は変えずに良いって言ってるでしょ?今更だもんね」

 リビングに着けば既に朝食を終えた二人分の食器を片づけている蘭がエプロン姿でコナンの方を振り返る。ひょっとしたら新一かしら、そんな疑いを持たれることのなくなったコナンの位置ときたら以前よりずっと幼稚な場所だった。何度も繰り返した「蘭ねーちゃん」「新一にーちゃん」の呼称を親子となった今でも通せるかは相手が決めることだから自分からは言い出さないようにと気を配っているのだが朝や深夜となると頭の回転が鈍ってしくじる。これでどちらかを呼び捨てにしないだけまだ優秀だとは思っているのだが。
 椅子に座り、手を合わせていただきます。朝からしっかりごはんと味噌汁、鮭の塩焼きと卵焼き、ほうれん草のおひたしと和食のテンプレを平らげながらこの豪華さはきっと今日の蘭の授業が一限目を開けているからだろうと察しをつける。自分の都合で授業を組み立てられる大学生活がコナンには羨ましい。身体能力等、新一と別れてから年相応に落ち着いた部分がいくつかあるけれど、幸いなことに頭脳だけは元のままコナンの頭蓋骨の下に収まっている。小学一年生からいつかまだ高校一年生に戻るからと余裕を持って臨めていた程度の低い授業もこの先地道に階段を上るしかないという事実が憂鬱で仕方ない。
 食事中は黙り込んで思考をフル回転させても誰も横槍を入れないから好きだ。急造家族三人で食卓を囲めばそれも出来ないが朝食となると話は別だ。朝一の予定次第で食卓に全員揃ったり揃わなかったりとまちまちだから。今日は久しぶりにひとりで朝食を取った。基本的に小学生のコナンの朝のリズムは一定だ。新一と蘭、二人のペース次第。
 食事を終えて時計を見る。時間に余裕があれば新聞をテレビ欄とは反対側から読むという小学生らしからぬ行動を取るコナンだったが、生憎今日は無理そうだ。やはり寝癖に時間を取られた所為だ。僅かに眉を顰めたものの、直ぐに解して食器を纏めて台所で洗い物をしている蘭の元へ持っていく。ごちそうさまと言うのも忘れずに。それから交換で渡された布巾でテーブルを拭いて再び蘭の元へ戻り自分の部屋にランドセルを取って来て学校へ向かう。新一はこういった手伝いは殆どしない。才能がない。テーブルを拭かせても落ちていたゴミを床に飛ばすし洗い物は袖捲りが緩くて周囲は水浸しだしで驚くほど役立たずだ。それが、新一を赤の他人と眺めて初めて気付いた明白な自分との違いだった。
 玄関で靴を履いて靴紐を結ぶ。コナンの後ろを通った新一にいってらっしゃいと送り出され反射的にいってきますと返してしまう。いけないことではないけれど、ありふれた朝の光景が恒常化してこれではまるで本当の家族みたいだと妙な心地になって落ち着かない。自分たちが抱える歪さなど年齢差だけの小難しさなどないと言いたげで。

「親子には見えなくとも家族には見えるわよ」
「――は?」
「生産元が一緒だもの。あなたと工藤君、良く似てるわ」
「あっそ、」

 通学路を小学生とは思えない沈鬱な表情を浮かべながら歩く。灰原とは家が隣同士ということもあって新一の家に戻ってからほぼ毎日一緒に登校している。それだけで下世話な噂が立つことはあるまいと思っていたが立派な火種としてコナンと灰原は小学生ながらにお似合いカップルの烙印を押されている。押し付けられたかのように表現するのは二人して見当違いも甚だしい周囲への苛立ちを隠そうともしない為。
 ある意味コナンが生まれた原因ともいえる灰原も、コナンと新一の分裂には珍しく開いた口が塞がらないといった風で当時はえらく狼狽したものだ。それでも科学者である彼女は魔法も奇跡も信じない。ただ目の前に起きた事象を受け止め、因果を突き詰め手を加えこねくり回すのが精一杯。理由は不明でも灰原が宮野志保と分裂する可能性もあり得るはずだったのに、今の所その気配はない。それでも同じ境遇だったコナンがあっさりとひとりの子どもとして存在を根付かされることになった時、彼女の決断もまた早く単純だった。結果が子どものやり直し。阿笠博士の自宅地下で行っていた解毒剤の研究もほぼ停止。尤も、彼女の個人的な趣味に基づき怪しい実験そのものが中止したわけではないらしい。犠牲者だけは出してくれるなと願いながら、コナンはノーコメントを貫いている。

「小学生が養母に片恋慕って難儀よね」
「は?」
「気持ちはそのまま引き継がれてるって知ったうえで貴方を引き取った工藤君も相当性格が悪いけれど、貴方精神衛生的な意味で大丈夫なのかしら」
「蘭のこと言ってんの?」
「他にある?それよりまだ蘭って呼ぶのね、気を付けたほうがいいんじゃない」
「あーはいはい」

 新一の名残と言えようか、蘭のことを呼び捨てにしている内はきっとコナンはまだ全てを割り切れてはいないのだろうと灰原は勝手に思っている。自分、家庭、年齢、恋心全て含めて江戸川コナンという人間は生まれてから辿って来た道を歩き続けるだけに落ち着いた訳ではない。寧ろ中途半端な予備知識を持ったまま全く別の世界に落とされたと言っても良い。それは灰原も同じだったけれど、彼女は何も揺るがない。全てを自分で選び覚悟も決めた。だがコナンの場合周囲と無駄に賢い彼の良識がそれを急かした。工藤新一という存在の帰還が消し去るはずだった江戸川コナンは今もこうして隣を歩いている。
 不意に前方を歩いていた人影が立ち止まり振り向いた。距離があってはっきりと顔を認識することは出来ないが三人組が揃って此方に手を振りながらコナンと灰原の名を呼んだ時点で誰かわかる。朝から声がデカいと疲労を滲ませた声で呟きながらも彼等を目指して歩き出すコナンの横をキープしながら、灰原は考える。これからのこと、コナンのこと、自分のこと。取りあえず、秘密を共有できる人間は少ない方がいいけれどいてくれればそれはそれで心強いものだ。寄り掛かるつもりはお互いないけれど、灰原はコナンが色々と吹っ切れるまでは彼の傍にいるだろう。家は隣同士だし、クラスも一緒だし、新婚夫婦のノリが毒となればコナンが率先して避難してくる阿笠邸は灰原の自宅でもあるわけだし。

「工藤君が彼女をお母さんと呼ぶ日が来たらお赤飯ね」
「はあ!?」
「なーんてね」
「笑えねえぞ!」

 テンポよく交わされる会話の内容が実際はシリアスだなんて周囲の誰も思いもしない。精々いつも一緒に登校している二人の痴話喧嘩くらいにしか認識されない。その前方で少し悲しげに瞳を伏せた女の子の存在を灰原はちゃんと気付いている。苛めるつもりはないから、あと数歩進んだらコナンを彼女にけしかけてあげるつもり。たったそれだけで、コナンも灰原も立派に小学生の中に紛れ込めるのだ。そしていつか、そのまま溶けてしまうつもり。ゆっくりと時間をかけることになったとしても構わない。今の二人には、それが許されるし寧ろそれしか出来ないのだから。


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未来の話がしたいぼくと、過去の話ばかりするきみ。
Title by『告別』




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