※ナギサ→カムイ→エミ


 あの頃、少女はとても幼かったから。己の持てる総ての力を以て臨みさえすれば望むとおりの結果が得られるのだと信じて疑わなかった。たとえそれが、他人の気持ちであったとしても。
 あの頃、とある少女もまた同じ様に幼かったから。己に向けられる熱の意味など探ることもなく。表面の優しい言動を友情の交流としてなぞり続けた。たとえそれが、誰かの大切な心を踏みつける行為だったとしても。


 エミは割と早い時期からナギサという少女の顔と名前を一致させ認識していた。もし人の記憶内にある人物欄が履歴書のようにファイリングされていたら、備考欄には葛城カムイ君のお嫁さんなんて言葉が添えられていたことだろう。好意を包み隠さないナギサの在り様は強烈で、恋を知らないエミには尊敬すら出来てしまうほど真っ直ぐだった。
 だから、カムイがエミに目一杯勇気を振り絞って好きだと告白して来た時、彼女は驚くやら喜ぶよりも先に何故だと理由を探るという幾分無粋な働きをしてしまった。
 カムイと会話する時、やたらとしどろもどろしていることに気付かなかった訳ではない。年上にも勝ち気に、悪く言えば生意気に振る舞うカムイが同い年の自分に敬語を使っていることも不思議ではあった。だけど、それはエミの兄であるアイチに対して敬意を払う延長に自分がいるだけだと思っていた。実際は逆だったことを、彼女本人以外が気付いていたのだが。

「私は…、」
「良いんです!」
「え、」
「エミさんがオレのこと、そういう対象として見てないのは知ってますから!」

 ただこれから中学に進学して、CCにも顔を見せる機会が減って想いを伝えることもなく褪せるのが嫌だったのだと、カムイは力無く笑って見せた。その笑顔が、ヴァンガードをしている時の勝ち気な自信に満ちたそれとはあまりにかけ離れていたが故、エミは自分が彼を現在進行形で傷つけていることをなんとなく察した。だが悪いことをしている訳でもないと信じたい。何故ならエミには解らないのだから。愛だの恋だの、家族の枠を飛び出して向かう情はいつだって友情でしかなかった。兄を追って出会った人達は幾分年上で、そこに友情ははまらなくとも尊敬で全て事足りた。
 好き嫌いで簡潔にカムイを述べるならば好きだ。しかしそれでは駄目で、相手は構わないと言ってくれている。それが譲歩なのかは知らない。だが目の前にいる自分を好きだと言っているカムイの向こうに、一途に彼を慕う女の子の影を見てしまう自分はやはり彼に恋をしてはいないのだと、エミは一言も発することが出来ずにいた。
 陥った沈黙を気まずいと思ったのは、エミよりもカムイの方だったらしい。何の非もないだろうに時間を取らせたことを詫びてCCへ行こうと歩き出してしまった彼を、エミは引き留められなかった。その後アイチ達の前で何事もなかったかのように普段通り振る舞うカムイに、エミはどうしようもなくやるせなさを募らせたが、やはりそれらを言葉にしてカムイ本人に伝えることはしなかったし出来なかった。



「どうしてカムイちゃんの気持ちに応えてあげないの!?」

 そう、エミがナギサに詰め寄られたのはカムイに好意を伝えられてから僅か数日。ひとりでCCに向かっている道すがらでのこと。今にも泣き出しそうな瞳で睨んでくる彼女にハンカチを差し出してもきっと受け取って貰えないだろう。だがもしこのまま感情が高ぶるままにナギサが泣き出した時、自分は加害者になるのだろうか。たった一度、理解の及ばない恋心を受け止め損なっただけで。
 何より、カムイを想っているナギサが何故彼の恋を擁護するような言葉を用いて自分を責めるのかが理解出来ない。カムイの恋が実らなければ、貴女が彼と付き合うことになるかもしれない。今すぐは無理でも想っていればきっと。カムイに結婚を迫った時の二人を、エミは確かにお似合いだと称せたのだから。
 しかし不意に、エミは自分の意見に潜む穴を見つけてしまう。想っていればきっと。それはナギサだけに相応しい言葉ではないことに。
 ――彼もそう思ってるのかな。
 返事はいらないと言いながら、想うことは止まず自分へとそのベクトルを向けているのだろうか。

「カムイちゃんは貴女のことが好きなのよ!」
「…知ってます」
「ナギサがカムイちゃんのこと好きなのと同じくらい好きなのよ!」
「………」
「なんでカムイちゃんのこと好きにならないのよ!」

 声を荒げたと同時にナギサの涙腺は決壊した。元々感情的な気がある子だったから一度溢れてしまえば引っ込めることなど出来はしない。それでも幼いながらに働く理性はあるのか、支離滅裂にエミを責めながら、それでも彼女を貶すことだけはしない。どうしてか結ばれないいくつかの想いの先をただ何で何でと喚き納得できる答えが欲しいだけ。

「ごめんなさい…」
「あっ…謝って欲しくなんか、ない!」
「悲しませてばかりだから」

 カムイもナギサも、とても優しい人だから。そんな二人を過程はどうあれ悲しませてしまった現在に、エミは謝るなと言われても込み上げる申し訳なさに気付かぬふりは出来ない。
 恋を知っていたならば、もっと上手にかわすなり受け止めるなり出来たのか。それとも、こんな風に恋を誰かと対する手段のように捉えている時点で自分には初恋すら未だ遠いのか。それはエミにも正確に述べることは出来ない。
 目の前に立つ二つばかり年下の少女の背丈は小さく幼いと形容されて相違ない。それでも今その頬を伝って落ちる涙の雫は間違いなく美しい輝きを持っていた。
 ――誰かを想って泣けるのね。
 家族でもない、ただ一方的な矢印を向けるだけの振り返ってはくれない人を想って、そんな綺麗になるのか。この時、エミは少しだけナギサを羨ましいと思った。想われるより、想えるその強さと美しさに純粋に頭を垂れても構わない。だが段々と泣きすぎてナギサの目が腫れてしまうのは嫌だから、エミはたとえ叩き落とされてもその涙を拭おうとポケットから取り出したハンカチをそっと彼女の目尻に当てる。意外なことに抵抗はなかった。

「ありがとうなんて言わないんだから…」
「…うん」

 鼻を啜りながら、もはや只の意地だと呟かれた言葉にエミはただ頷く。
 ――私も恋がしてみたいな。
 抱き始めた感情は、今はまだほんのりと淡く。数日前のカムイからの告白を反芻すれば少し痛む胸の奥にある恋心が落ちる先を知る者などいるはずもなく。今はまだ、ハンカチに染みた涙の跡を見つめながら立ち尽くすしかなかった。


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生きることは愛を欲すること
Title by『にやり』




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