コンプレックスは何ですかと問われれば己の全てと迷わず答えられてしまう時期がアイチにはあった。それから再会と新たな出会いとを経て内面の卑屈さは割と上向きに修正された。だけど外面的な方はいくら頑張ってもなかなか目に見えて変化を迎えてはくれない。中三の四月に測定した己の背丈。測定し直した訳ではないが全くの停滞とは言えないが、余ったままの制服の袖、変らない目線、襲われない痛みはやはり大して変化がないと言って差し支えない。男子の成長期は長いからと母親辺りはにこにこ笑って悠長に構えているがアイチ本人は今すぐにでも頭一個分くらいにょきっと成長してしまいたいくらいだ。
 先日CCにて春から中学生になることをはしゃいでいたカムイに「これからどんどん成長してお兄さんなんてあっという間に抜かしちゃいますよ!」と声高に宣言された記憶が鮮明に浮かぶ。彼が中学に進学するならば当然自分も高校に進学するというのに背丈を越すなどと宣言されてしまう辺り、目標と思われてしまう程度の身長差しかないということなのだろうか。わずか一つ年上なだけの櫂や三和との身長差を思い出しても悲しくなって来る。何より、年上とはいえ憧れの女性よりも大分低い身長を憎まずにはいられない。きっとそのミサキからすればアイチの身長などどうでもいいことなのだろうけれど。


 高校入学を控えた春休み、いつも通りCCに出向けば店内に客の気配はなく、どうやらアイチが一番乗りの様だった。そして客がいないということもあって、店にやって来たアイチにいらっしゃいと決まり文句で出迎えてくれた店長と店員であるミサキはカウンター内で珍しく営業には関係ない会話に興じていた。アイチの耳は自然とその会話の内容を拾うように集中してしまう。盗み聞きなんて良くないと思いつつも、二人の会話声以外の音が存在しない店内ではやけにその会話が響いているような錯覚すら覚えた。座ったパイプ椅子をずらせば鳴るであろう不愉快な音を出さないようにと縮こまって座り直す。そんなアイチの窮屈さには気付かない様子で、店長とミサキの会話は終わる気配を見せなかった。

「いいよ別に、着れない訳じゃないんだし。どうせ普段も袖捲ってるしね」
「でもサイズが合わないなら早めに買い直した方が良いですよ。時期も時期で丁度良いんじゃないですか?」
「新入生でごったがえしてるのが?」

 会話の内容を察するに、どうやら近頃のアイチの悩みを悪い方に刺激する内容のように思えて、ついがくりと肩を落としてしまう。ミサキの成長期はまだ終了していなかったのかと絶望手前まで追いやられ、ちらりと横目に彼女を見る。出会った頃から目に見えて変化がある訳ではない。それもそのはず、毎日のように顔を突き合わせていれば髪をばっさり切ったりしない限りそうそう違和感を覚えたりはしないものだ。そしてそんな、想い人と当たり前のように顔を合わせられる幸せが自分の元にあることを、アイチは時々過ぎたことなのではと卑屈な不安に襲われることもある。傍から見たら店員と客、チームメイト。大して多くない関係の呼び名は自惚れるには自然かつ弱い繋がりだった。
 最初は、櫂に向けるのと同じように純粋な憧れでしかなかった。凛と立ち、真っすぐと相手を見つめて口を開ける強さに憧れた。もし櫂への気持ちとの差異を見つけるならば、そこにはヴァンガードを挟まずとも抱けた気持ちだということだろうか。勿論、ヴァンガードを始めなければ彼女の縄張りに頻繁に顔を出すこともないし、細い繋がりすら築けなかっただろうけれども。だからこそ、小さな偶然と決意の結果歩いている現在を臆病風に吹かれて逃げ出すことだけはしたくなかった。

「ミ…ミサキさん!」
「ん?どうかした?」
「制服…買い替えるんですか?」
「あー、上着は良いんだけど中のシャツがね…。袖周りがボタンで留めようとするときつくって」
「二、三枚だけなんで買い直せばいいと思うんですけどね」
「今の時期の制服扱ってる店ってどこも新入生で混んでるでしょ?面倒だからもう暫くこのままで良いかなって話してたんだよ」

 耳を欹てていたので知っていますとは流石に言えないけれど。やはりミサキの身体は一年で成長したということなのだろう。中学三年間一度も捲られた袖を伸ばしきることのなかった自分の制服を思い返すと、アイチは高校の制服では高望みはするまいと悲しい決意を固めている。主にアイチの成長に希望を抱いているのは母親の方なのだが。
 しかしサイズの合わない制服を着るというのはどうなのだろう。アイチは自分とは真逆のパターンに首を傾げる。確かにミサキは普段からシャツの袖口を捲っている為滅多にボタンを留めたりはしないのだろうが、袖口だけがきつくて後は余裕なんてはずがないのだ。だってミサキの手首を見ればその細さにどんなにたくましくとも彼女は女性なのだとアイチは認識するのだから。変な目で見なくともスタイルだって良い。上着は問題ないのだからきっちり前のボタンを留めればシャツの晒される部分は減るだろうが普段の彼女の着こなしを思うと怪しい。

「あ…あの!」
「どうかした?」
「僕…今度高校の制服買いに行くんですけど…良かったらミサキさんも一緒に行きませんか?」
「へ?」
「混んでることには変わりないですけど…」
「丁度良いじゃないですか。ねえミサキ、行ってきたらどうです?」
「うーん、まあ別に良いけど」
「本当ですか!?」
「うん。じゃあ詳しい日取り教えてくれる?」
「はい!」

 思っても見なかった快諾に、がたんとパイプ椅子が派手な音を立てるのも構わずにカウンターへと駆け寄る。口頭なのだから、別に距離を詰める必要はなかったけれど、思わぬ接近につい身体が勝手に動いてしまった。そんなアイチの心情を知ってか知らずか、店長は少し車に積んだままの商品を卸してくると外に出て行ってしまった。それを目線で追ってしまい、自ずと言葉を途切れさせてしまう。つまり、沈黙。
――何て喋ろう…。
 伝えきってしまった情報以外でこの場に相応しい話題など混乱をきたし始めた思考ではなかなか思い浮かばない。それが尚アイチの思考を纏まらなくさせる。
 そんなパニック寸前の状態が顔にもありありと浮かんでいたのか、真正面でその様子を見ていたミサキは呆れたようにアイチの頬を細い指先でつついた。途端、きょとんと停止したアイチに、素直なことだと苦笑する。

「そんな慌てなくても私は逃げない」
「え!?いや、あの…」
「さっきのも、頑張って声張り上げなくてもちゃんと聞こえてるよ」
「ミサキさん…?」
「気長に待ってるから、あんたのペースで頑張れば良いよ」

 見透かされたような言葉に、今度は動揺の声を漏らすこともできない。あやすように頭に移動して撫でられた手はどう感じたって優しい。その優しさにつんと鼻の奥が痛むけれど、涙だけは流さないように必死に耐える。だってそこに見出すべきは母性などではないのだから。ひとりの少年が、ひとりの少女に追いつこうと躍起になっていることをしっかりと受け止めて、受け入れてくれた証なのだ。
 はっきりとした言葉で伝えることすら出来ていない。しかしこの憎らしい身長差が僅かでも埋まる日が来たらその時は、彼女の様に凛と真っ直ぐ見据えて募る想いの丈を届けられるだろうか。訪れる春に飛び込む世界は、まだその予兆すらアイチに感じさせてはくれないけれど。
 数日後、アイチが購入する制服は、やはり少しだけ大きめのサイズの物が選ばれるのだろう。


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あたし行かないわ、どこにもだよ
Title by『ダボスへ』




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