※転生パロ
※死ネタ含


 鏡音レンの記憶の一番最初に揺らめくのは、どこで見れるかもわからない立派な桜の大木と穏やかな春風に舞う無数の花弁だった。幼いレンが両の手を目一杯広げても余りある幅の大木の周囲を笑いながらぐるぐると駆け回っている。追い駆けていたのは誰だったか。きっと、いつも夢に見る自分に良く似た少女だったのだろう。途切れ途切れの記憶だから、追い駆けた少女の腕を掴めたのかは覚えていない。ただ、はっきりと心に浮かぶ掴んだ少女の腕は病的なまでに痩せ細っていて、ああこの子はきっと死んでしまうのだと他人事のように何度も思った。
 思い通りに動くことも喋ることも出来ない。だってこれは記憶をなぞっているだけだから。現在点を維持する思考と過去を巻き戻すだけの環境はいつだってレンを不可思議な夢に突き落とす。ほぼ毎晩のように過去にスリップしていれば初めは混乱と寝不足を引き起こしていた身体も順応するのだとこの十数年でいやというほど身に染みた。
 他人からすれば夢で終わる回想は、いつも自分に似た少女の死でもって終わりを迎える。古びた日本家屋の一室。陽の光が暖かく差し込んでいるのに、繋いだ手は夢とはいえぞっとするほど冷たい。布団に横たわる少女と、その枕元に座るレン。手を繋ぐ為に持ち上げて覗く白い腕はどれだけ少女が大丈夫だと微笑んでもそれを裏付ける為だけの血色を有してはいないのだ。

 ――いつかもっと生きやすい世界で巡り会えたら、その時はずっと傍にいて。老いて朽ち果てるまで共に生きよう。

 どちらから口にしたのか解らない約束。だけど、二人して頷いて泣きながらきっとね、なんて指切りを交わしたその瞬間。ゆっくりと床に落ちた少女の腕を絶望以外の何物でもない感情で見つめながら、夢の中のレンは確かに世界を憎み、呪いにも似た約束に縋ろうとしていた。それが、前世にしろ他人の空似にしろ長年レンの中に積み重なった確かな事実だった。
 ――生きやすい世界などあるのかは知らない。だけど俺がこうして生きているのだから、君だってどこかで生きているのだろう。巡り会うその為に、なんてあんな約束を覚えているかは知らないけどさ。
 毎晩夢で誓い合う少女にこそ打ち明けるべき現在のレンの決意は毎日悲しく打ち砕かれる。覚えているかは知らないけれど、前置きとなる保険は全くといっていいほど無意味だ。だって少女は実際何も覚えていなくて、それに少なからず裏切られたなんてショックを受けている自分がいるのだから。
 高校に入学してから出会った鏡音リンは、レンが毎晩夢で戯れる少女の生き写しだった。それと同時にレン自身とも非常に似通っており、入学当初はよく双子かと尋ねられたものだ。鏡音という生まれてから同姓の人間にすら出会ったことがなかったのに、挙げ句性別は違えど容姿まで似通っているのだから仕方ない。二人が出会ったのも、そんな周囲の声に刺激された好奇心を満たそうとリンがレンのクラスに彼を探してやってきたのがきっかけだ。その時の衝撃を、レンは未だに言葉にすることが出来ない。生き別れの兄妹かなんて茶化すこともなく、言葉なんて発せられずに瞬きすら忘れていた。その時のレンは、ただ内側から湧き上がる衝動に抗って溢れそうになる涙を堪えることに必死だったから。
 夢の中の自分に全てを乗っ取られるかと思った。やっと会えたねなんて初対面の人間に言ってしまう所だった。だけどその衝動が鏡音リンが毎晩のように契り続けた約束の相手だという何よりの証拠だった。
 それなのに。

「わあ、本当にそっくりだね!初めまして、鏡音リンって言います!鏡音レン君だよね?」

 殴られたのかと思った。詰まった呼吸と見開いた瞳に物騒な気配が宿らなかったか。レンは自信がない。何も覚えていない白紙のリンに書き記されたレンの情報は同じ高校の同級生というたったの一行。何年も少女との記憶を積み上げて約束すら引き受けて共に生きようと決意していたレンには、リンの無邪気な笑顔は残酷で不誠実の象徴だった。
 それでも一緒にいればいつか思い出してくれるのではないかと僅かばかりの希望に縋って、レンはリンの宜しくと差し出された手を震えながらも握り返した。それが、もう一年も前のこと。


 高校生活二年目となり三階建て校舎二階な教室に場所を移動して変わったことといえば校舎とグラウンドとの間に植えられた桜の花々を丁度良い目線で見られることと、今やレンにとって苦痛と安らぎの種であるリンと同じクラスになったことくらいだ。あれから随分と仲良くなってしまって、相変わらずレンの夢を覗いてはくれないリンはお弁当を一緒に食べようと彼の前の椅子を拝借して振り返る。窓際のレンの席を心底羨ましいと愚痴る彼女の席は生憎廊下側だった。
 リンが窓を開ければふわりと舞い込んだ春風が白いカーテンと彼女の短い髪を揺らす。飛び込んで来た無数の桜の花弁を指で摘まんで春だねと呑気に微笑むリンを素直に可愛いと思う。つきん、と痛む心臓は今となっては誰の物なのか。あんな夢になど堕ちなければ、きっと自分はリンに自然に恋をしていたのだろう。恋より先に執着を見せた心は、今更だろうとレンに前進することを許さない。いつ思い出してくれるとも知れない誓いを果たそうと手を伸ばしてくるのを待つばかり。
 夢の中でいつも桜のように儚くなった少女の妄執は、ひとり生き残らされた少年のほど強くなかったのかと、時折レンは失望する。少女にか、リンにか。交わらない感情をお互いに向き合って差し出せばリンはいつだって鏡音レンという現在の彼を真っ直ぐに見つめてくれる。それで十分じゃないかと思うのに。心のどこかが叫ぶのだ。
 ――そんなんじゃ足りない!
 共に生きると誓ったのだ。彼女も願ったのだ。だからそれを果たす義務があるのだと。傲慢だとは解っている。だがどうにもならないこともレンは知っている。
 開け放しにされた窓からはちらちらと桜の花弁が舞い込んではレンの机の上に落ちる。それを見つめながら、もう眠らずとも夢の光景を思い出せる。

「――たなあ、」
「え?なあに?」
「昔、世界で一番好きだった子とよく桜の木の下で遊んでたなあって言った」
「へえ、」
「子ども二人じゃ手を繋いだって囲えないくらい立派な木だったんだ」
「そんな大きな桜どこにあったの?」
「さあ、何処だろうなあ、寺っぽいとこ」
「何それ、朧気なの?」
「うん、一緒に遊んだ楽しい記憶よりも、離れ離れになった悲しく記憶の方が鮮明だから」
「………」
「でも約束したんだ。次会えたらその時はずっと一緒にいて、一緒に生きようって」
「プロポーズみたいね」
「…うん、そうだね。きっとそうだ」

 ならば指輪でも何でも、少女を自分に縛り付ける証を残しておけば良かった。そう思うのは歪だろうか。
 此処まで鎌を掛けてもリンは何も感じない。ただ思ったよりもロマンティックな過去を持っている物だと驚いて、切なそうに目を細めているレンの顔が一年という付き合いの中では知れなかった一面を見せつけている気がした。その気まずさに視線を窓の外に向ければ今が盛りと咲き誇る桜が映る。
 レンの言うような桜の巨木などリンは生まれてこのかた見たことがない。眼前のソメイヨシノにそんな成長を望めば途中病気や害虫に生命すら脅かされてしまうだろう。
 ――そうだよ、あの桜はソメイヨシノじゃなかった。
 リンが心の内に唱えた言葉の違和感を、レンの回想を受けた後では彼女すら気付くことが出来なかった。いつのまにか脳裏によぎる壮大な桜は、記憶ではなく彼の言葉によるイメージに過ぎないと思い込んでいる。何より、自分と知らない誰かを世界で一番好きだったと言ったレンへの苛立ちが彼女には説明出来なかった。好きなんてとんでもない。好きだったなんて過去形にするなんてとんでもない。
 ――だって私が今此処にいるのに貴方は!
 糾弾されるような非はレンにはないだろう。彼を擁護しながら、リンはまるで自分の心が二つに分かれてしまったようだと困惑するしか出来ない。
 レンは相変わらず遠い過去の回想に耽り瞳の焦点を飛ばしている。リンはそれを意識しながらも桜から視線を外すことが出来ない。沈黙が二人の間を支配する。だがお互いが自らの心に亀裂が刻まれる音を聴いた。訪れぬ少女の夢を望みながら、レンは目の前の少女が迎えた転機など知らないまま、夢で握った死した少女の腕の細さを思い出していた。


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それから一度も会ってない
Title by『告別』




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