自分の性格が若干他人に疎まれる類に属しているものだと、相馬はほんのりと自覚し、黙認している。他人の精神的な快適さよりも自分の精神的な快楽を優先させた結果であることをもし非難されたとして、自分を優先することの何がいけないのと一言で片づけられることも、相馬はまた黙認している。
 そうやって、他人が少し困ったり人間関係で甘酸っぱい方向に悶々としているのを嬉々とした表情で全く無関係な場所からにやにやと眺めまわすのが、バイト先での相馬の分かりやすいポジショニングである。要するに、眺めまわされている連中からすれば、相馬はすっごく嫌な奴で、豆腐の角に頭をぶつけて死ねばいいのに程度には罵倒されても文句は言えないことをしているのだ。
 だからなのか。最近扱いに困る女の子が一人、自分の周りをちょこまかとしていることに、相馬ははてどうしたものかと首を傾げながら調理に勤しんでいる。遠くに聞こえるガラスの砕ける音は、既に日常的なものとなりつつあり、それにいつしか「またやったみたいだね」と隣で働いている佐藤に声を掛けることすらしなくなったのは、確か数日前辺りからのことだったと思う。だって、佐藤のリアクションがあまりに淡泊かつ同じ言葉の繰り返しなので、つまらなくなってしまったのだ。

「相馬さん、相馬さん」
「あれ、山田さん、もう後片付け終わったの?」
「なっ…!なんのことでしょう…?」
「とぼけたって駄目だよー?ガラスの割れる音って結構響くからね」
「う…。大丈夫です。今日はまだ一つしか割っていません!」
「…同じ雇われの身が言うのもなんだけどさ、備品は大事にしなよ?」

 厨房までガラスの砕ける音が響いた直後、その原因と断定されている山田は懐っこい笑顔を浮かべながら厨房を小走りに突っ切り炒め物をしている相馬の腰へと抱きついた。危ないと注意することも出来るのだけれど、この厨房内でこうした戯れを起こすときだけ、山田はよほど興奮状態でなければそれなりの加減をした上で相馬に密着してくることを、確信はないものの察してしまっている為、相馬は結局何も言わなかった。ただ、それを見ていた佐藤だけが一瞬眉を顰めはしたのだが。
 山田が奏でる鼻歌は、相馬が使用しているガス台の炎の音でとぎれとぎれにしか聞こえない。それでも構わず自分に話しかけてくる山田に、相馬は適当な相槌を打ってやる。ちょっと考えれば、自分がぞんざいに扱われているということに気付きそうなものを、彼女は一向にその気配を見せない。浅はかで、愚かしいのか。それとも単純に幼いだけなのか。相馬個人としては、前者であって欲しい。そうすれば、構いようも扱いようも弄りようもあるのだ。後者だと、手をこまねくだけで彼自身何も楽しくないように思えた。それが一番退屈だ。
 ひとしきり相馬に喋りかけた後、山田は満足したのかまた小走りで厨房を出て行った。まだ休憩時間ではないというのに、フロアとは逆方向に走って行ったのが気になる。このままいくと、またいつものように小鳥遊に説教を食らうことになるだろうに、彼女はやはり学習能力が少し欠如しているように思える。それを愛敬だと言って受け止めてられる人間がいてくれればいいのだろうが、少なくともこのワグナリアにはいない。否定的ではなくとも、積極的に肯定してくれる人間などいる筈もない。優しい人間は多いけれど、それだけだ。
 炒めていた品物を皿に盛り付けて一段落。後はお客様の席まで運んでもらうだけ。フロア担当の誰かに声を掛けようと顔を覗かせてみても生憎それぞれ接客中の様で手が空いている人間はいないようだった。手が空いてからでなければどうにもならないことでも、早めに済ますに越したことのない作業だから、相馬は先ほど仕事を放って奥へと引っ込んで行った山田を呼び戻すか否かを一瞬だけ迷って、声だけでも掛けておこうと彼女を探す為に自身も事務室や休憩室のある奥へと向かう。怪訝な顔をする佐藤に、「ちょっと山田さん連れ戻してくるよ」と言い残すことも忘れずに。あまり良い顔はされないけれど、言外に誰か厨房に顔を出したらその料理届けるように言っといてよというアピールでもあるので、佐藤のリアクションにはさほど相馬は興味を持っていない。
 今日が平日で、今が昼間で良かったと思う。ちょっとくらいのサボりならば何の問題もないのだから。上に立つ人間が人間なので、そう目くじらを立てられることもない。そもそも、その上に立つ人間があと少し常識とか、働くということについて具体的な概念を抱いているような人間だったならばこのワグナリアに集まる人間ももっとまともな人間が集まっていたのだと思う。相馬も、俺が言えた義理じゃないけどとは思っているが、山田なんて特に。年齢が法的な規定を満たしているかも怪しかったし、住所も名前も何もかもが怪しいし。警察に保護させるという名目の元、突き放すという選択肢が最も一般的かつ的確であっただろうにそれをしなかったこの店の面子は、揃いも揃って少しずれている。最悪、ずれていることにすら気付いていないのだろうけれど。

「あれ、相馬さん休憩ですか?」
「違うよ。でも山田さんもまだ休憩には早過ぎるよね?サボりは小鳥遊君に怒られるよ」
「や、山田はサボりじゃありません!は…破損報告書に色々書かなきゃと思って…」
「うん、破損報告書があるのは休憩室じゃないけどね」

 言葉の応酬では勝てる筈もないのにめげずに口を開こうとする山田には一種の尊敬すら覚えるが、相馬としては、結局彼女は仕事をサボっていただけだと既に結論が出ている為にこれ以上の言い合いをする気はなかった。仕方ないなあと伝わるように溜息を吐いて見せてやれば山田はびくりと大袈裟なまでに肩を揺らして「怒りましたか?」と相馬の顔色を窺うように覗きこんでくる。怒ってはいないけれど、呆れてはいるんだよと言葉にしてしまえば、きっと目の前の少女は委縮して失望して泣きだすんだろう。まるで、相馬が山田を苛めたとでもいうように。

「…まあ、フロアの方も手は足りてるみたいだし。良いんじゃない?」
「山田はサボっている訳じゃありません!」
「はいはい、じゃあフロアに戻ろうか」
「相馬さん、山田の話を聞いて下さい!」
「俺もそろそろ厨房戻らないとだしさ。佐藤君怖いんだよね」

 踵を返して厨房に足を向ければ、その隣にぴったりと添うように山田が並んでまたなんやかんやと口を動かしている。相馬はまた、うんうんと適当に相槌を打って流す。
 自分の性格が宜しくないことなどとうの昔から知っている。他人よりも当たり前のように自分を優先していることも認めている。だから、直ぐ傍にいる只の愛されたがりの構ってちゃんである山田の意に添うように動いてやらない自分を悪い人間だとは微塵も思わない。
 「嫌いじゃないんだけどねえ」と独りごちた言葉は山田の耳には届かない。今はまだ、これが相馬の山田に向ける最大級の好意だ。


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ぺんぎんは北極に愛想をつかす
Title by『ダボスへ』




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