一緒に帰ろうと約束していた訳でもないし、悠太を待つ為に下駄箱前に腰を下ろしてぼんやりと時間を潰していた訳でもない。だけど、部活を終えて帰ろうとやって来た彼に「一緒に帰りませんか」と声を掛けられてあっさりと立ち上がってしまう辺り、こうなったら良いのになあレベルの淡い妄想と期待を抱いていたのかもしれない。
 普段なら部活の後一緒に帰っている松岡君は、今日は何か用事があるらしく部活をお休みしたらしい。弟さんや後二人のお友達は、彼等の部活がある日は遠慮なくさっさと先に帰ってしまうそうだ。こういう所が、男の子の付き合いだなあと思う。幼稚園来からの付き合いだと聞くが、それでここまで後腐れなくさっぱりとした付き合いが続くのだから、もしかしたら男の子云々の前に彼等だからというのが大前提なのだろうか。
 高橋はあまり、悠太の周囲の人間について彼に尋ねるということをしない。知ってどうなることもなく、きっと、他のクラスメイト達が知っているような浅い概要だけ押さえておけば、悠太の付き合いの邪魔になることもないだろうと勝手に思っている。彼女は元来社交的ではないし、悠太の交友関係を把握したところでそこに自分が何らかの働きかけをすることはないだろうし、出来ないと知っている。例え悠太と高橋が、恋人として近しい関係にあったとしてもだ。
 付き合うという関係の距離感を、高橋は未だに正確には測れない。友人間の距離であっても如何せん、自分が人付き合いに於いて消極的な部類に属していることを自覚している分、稀に積極的になろうに合っていないし周囲から煙たがられたらどうしようという感情が真っ先に顔を出すから、高橋は大抵足踏みをして今のままでも良いかな、とそこで止まってしまう。

「高橋さん、」
「……な、何!?」
「いつも帰るの、こんな時間なの?」
「いえ…今日は偶々で…、あ、でも図書室とか寄ってると大体これくらいかな…?」
「そうですか」

 高橋の言葉を聞いて、悠太は暫く片手を口元に添えて考え込む仕草を見せた。隣を歩きながら、身長差故に彼の顔を見上げる形になっている高橋は、どこか真剣な顔で熟考している悠太を、カッコいいなあと思いながら見つめ続ける。そうすると、思考することよりも珍しく熱心に注がれてくる視線の方に意識が傾いた悠太が「何か?」と僅かに上体を屈めて覗きこんできたので、彼女は慌てて何でもないと彼から顔を背けた。
 いつまで経ってもじっと見つめ合うことの出来ない自分が情けない。きっとこのことを誰かに相談すれば、ただの惚気だろうとか相手が悠太だから仕方ないだとか本当に付き合っているのかだとか。きっと返って来る言葉を予測するのは難しいことなんかじゃない。高橋自身、もし誰かからそんな内容の相談を受けたら同じようなことを思うに違いない。きっと、偉そうには言えないので、思うだけだろうけど。ただ一つ言い訳させて頂くのなら、惚気などでは決してなく、相手が悠太だからというのはまあその通り、付き合っているからこそ好きが溢れて一瞬で紅潮してしまう頬が恥ずかしくて顔を背けてしまうだけなのだ。
 悠太から顔を背けてからの数秒で、高橋の中では様々な回想が渦巻いては通り過ぎていく。自分が今何を考えるべきなのか、どういう言動をすれば良かったのかなんてことは全く最善も最悪も浮かばない。高橋はいつだって自分のことでいっぱいいっぱいで、悠太がこうして顔を背けた彼女の後頭部をどんな想いや表情で見つめているのかなんて考える余地などありはしないのだ。
 自分のことだけで手一杯な高橋だから、いつまで経っても悠太と付き合っている現実はどこか覚束ない夢心地なのだ。居心地は、時折悪くて。それでも好きという気持ちを誤魔化して奥にひっこめているだけはもうやめようと思ったから、こうして恋人同士になった。上手く出来ないことは沢山で、だけど二人の仲が上手くいっていないということもない。自分一人では駄目なことが、二人のこととして総合すると結構満足出来る結果になっていたりする。こういうとき、高橋は基本的に悠太のおかげだと思い込む。

「高橋さん」
「……悠太君?」

 呼びかけられて、反射的に顔を見る。妙に神妙な面持ちの彼は、珍しく次の言葉を言い淀む様に目線を下に向けた。もしかして、何か後ろ向きな発言が後に続くことで自分を落ち込ませてしまうかもと気に病んでいるのだろうか。悠太は割と、そういう気遣いを無意識レベルでやってのける節がある。高橋が、相手の顔色を窺うということを少し過剰に、無意識に行ってしまうように。
 仮に、この予想が正しかったとして。別れ話ではないんだろうなと思ってしまうのは、高橋が悠太と付き合いだしてから徐々に生まれた微かな自信。悠太は大事な話をする際に、他の会話の間に挟むような真似はしないのだ。ちゃんと話があると前置きをして、真剣な話ならそれを察せられる表情をして、一対一で向かい合ってくれる。そういう人なのだと、高橋はしっかりと理解した。誠実や真面目というほど硬くはない。きっと、これは悠太なりの優しさなのだと思う。そんな淡いささやかな温度をわざわざ自分に向けてくれているということが、彼女は嬉しくて仕方なかったのだ。

「…毎日は、すいません、無理なんですけど」
「うん?」
「でも、部活のある日とか、あと曜日決めたりとかしてなら大丈夫だと思うんで」
「ええっと、はい」
「偶には一緒に帰りませんか」
「え、」
「付き合っているんだし、俺達」

 最後の一言は、若干声のトーンが抑えられていた。照れてる。そう思うと、普段はカッコいいとしか言えない彼が、高橋には途端に可愛らしく思えてくる。
 付き合っているにも関わらず、二人があまり一緒に帰らないのは、悠太には毎日一緒に帰宅していても不自然ではないほど仲の良い友人と、朝も夕方も同じ道を通って同じ場所まで帰る弟がいるからだ。好きだけれど、彼等よりも自分を優先して欲しいとは、高橋は言わなかった。寧ろ、多数の人間の日常を自分が介入することで変えてしまうことの方が彼女には断然恐ろしいことだった。クラスで話し掛けたり、稀に移動教室を一緒に移動したり、休日にデートしたり、毎日短いメールを交わしたり。それだけでいいのだと、高橋は悠太に繰り返し言い聞かせた。悠太が、彼女でもない女の子としないと分かりきっている行為を自分とだけしてくれているのなら、それは十分恋人らしいことだと高橋は本気で思っていたから。

「……いいの?」
「いいって?」
「だって、弟さんとか松岡君とか他にも、一緒に帰るんじゃないの?」
「いつもじゃないよ」
「うん、そうかもだけど」
「俺は、高橋さんと一緒に帰りたいと思ったんだけど。……嫌ですか?」
「う……嫌じゃ、ないです」
「そうですか」

 何だか上手く纏められてしまったような気がする。まだ混乱していて、だけどこの一連の会話から自分たちがこれからどうしようとしているのかはしっかり理解出来ていて、また恥ずかしくなって顔が熱くなって来る。そうして顔を逸らそうとした直前、ちらりと見上げた悠太の口元が緩く笑みを形作っているように見えて、高橋の内側のぐちゃぐちゃとした思考が停止する。先程の、一緒に帰りたいという言葉に嘘はなくて、そして彼なりに強く思っていてくれたのかもしれない。そう思うと、高橋の口元も緩む。俯いているから、悠太は気付かないだろうけれど。学校がつまらない訳じゃない。二人が共有できる大半の時間は学校に在るのだから。だけど、明日から高橋は自分が早く放課後にならないかなと思いながら過す日が圧倒的に増えることを予感する。そしてそれは、内心悠太も同じだったりするのだけれど、彼女はまだそこまでは気付けない。それでも。実はまだ、手すら繋いだことのない二人の関係が、一歩前に進んだ瞬間だった。


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単四の恋
Title by『ダボスへ』




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