※捏造


「じゃあよろしくね」

 ぼんやりと聞き流していた会話が締め括られた瞬間、リュウははっとして話し主であるガラクの方を見たが彼女は既に扉へと向かい歩き出しており、リュウの何が、という疑問は届くことはなかった。
 最初は確かに聞いていた。仕事の話だと思ったから。だが彼女の口を開いて真っ先に出た話題が今日から七日間、タンバルンの双子の王女と王子がこの国に滞在することになったという、リュウにはさほど関連も関心もない内容だったので、ついそれから後の話を聞き流してしまった。
 実際、隣国の王族がこの国に訪問していたとして、リュウの日常に変化など起こりはしない。以前そのタンバルンの第一王子が滞在した時だって、リュウは何一つ普段と変わらない時間を過ごしていた。仮に体調を崩されても相手が人間である以上特別な薬など必要ないし、身分の高い人間であればあるだけ自分ではなく室長であるガラクが応対するべきだと思っている。この城の中には大分馴染んだけれど、それでも自分が幼さ故に異色と見なされても仕方ないのだと、リュウはもう納得してしまっている。
 やはりよろしくの意味をガラクに問い直すべきかと思うが、一度床に腰を落ち着けてペンを走らせていると、どうにもまた立ち上がるという動作が億劫で仕方ない。何より自分から彼女に接触を持ちに行くということが想像しただけで疲れる。大人の彼女と子どもの自分とでは歩くペースが違うように生活のペースも違う。自分が一歩踏み出す間に彼女は散歩ほど進んでいるような印象を受ける。お互いマイペースなところはよく似ているが、根本が似ていないからそう実感も湧かない。
 ぐるりと室内を見渡して、部下である白雪がいないことに気付く。彼女がいればガラクの話を聞いていたのではと淡く期待をしたのだが、無駄だったようだ。そして、そういえば彼女は以前タンバルンに招待されたことがあって、今回滞在するという二人とも面識があるのかもしれないと思い当たる。となれば、相手方の要望によっては彼女が接待に駆り出される可能性も十分にあり得る。だから暫く仕事の方に顔を出せないとか、だから自分の仕事量が増えるとか、そういうことの了承を求める話しだったのかもしれない。そうだったら、このまま座っていられるので良いと思う。白雪に会えないのは寂しくなるけれど、根が真面目な彼女だから、そうなってもきっと仕事場である此処に顔を出すだろう。
 そんな風にして、リュウは自分の周辺のことばかりを考えていて、肝心の王女と王子のことなど全く気に留めなかった。顔も知らないし、自分とは一生関わりもない存在だと思っていたし、大まかそれは正しい認識だった。

「まあ、貴方この城の人?」
「―――は、」

 真夜中、いつもの癖で机の下で眠ってしまったものの途中で目が覚め、なんとなく自室に戻ってちゃんと寝ようと廊下を歩いていると、自分とそう背丈の変わらない少女に遭遇した。直感で、何か不吉なことを感じ取ったのか、つう、と背中に一筋嫌な汗が流れた。
 目の前の少女は全く見覚えのない顔で、だが幽霊と呼ぶには大分血色の良い肌と意志の強そうな瞳をしていて、何よりしっかりとした足取りでリュウに向かって歩み寄って来た。夜だというのに薄着で、だが夜なので見るからに寝巻きという格好だった。新しい女中か何かかと思ったが、寝巻きの質がそういったことに無頓着なリュウが見ても分かるレベルには上等な印象を受けた。
 ずいずいと顔を寄せて自分を観察してくる少女に、思わず上体を仰け反らせて顔を逸らす。至近距離で見る顔は、お世辞抜きに可愛いと思えた。月明かりしか届かない薄暗い廊下でも、彼女はきっと明るい性質をしているのだろうと予想がついた。自分とは、纏う空気がありありと違っていた。

「……誰?」
「あら、私を知らないの?」
「知らないよ。初めて見る顔だ」
「ああ、それもそうね。タンバルン王女のロナよ。貴方は?」
「…リュウ」

 少女が名乗った瞬間、リュウは驚きよりもやはりという納得を覚え、自らも名乗ると同時に右足を一歩後ろに引いた。関わらないと思っていた、関わる必要のない存在が今目の前にいて自分に微笑みかけている。しかも彼女の身分は王女と来た。関わらない方が良かったという本音がどうにも隠せない。

「ねえ、貴方この城の人よね?何してるの?子どもなのにどうしてこんなところにいるの?それからここはどこかしら?」
「……迷子、ですか」
「違うわよ!ちょっと探検してたら見たことのない場所に出ただけよ!」
「はあ……」

 何となく、苦手なタイプだと思った。口喧しい、しかも女の子で王女なんて扱い方が分からない。それに、彼女に与えられた部屋がどこにあるのかも自分には分からない。申し訳ないが、力にはなってやれないだろう。そもそも、今日この城に初めてやって来た人間がひとりで探検をして挙句見知らぬ場所に出たなどと、この王女は少し頭が弱いのではないかとすら思えてくる。リュウ自身が好奇心に付き従って動く人間ではないからかもしれないが。

「おれは、この城で薬剤師をしています。今から部屋に帰る所で、子どもだけど仕事は出来るから此処に、います。それから此処は下仕えの人間が使う道だから、貴女の、客人の部屋からはとても遠い場所だと、思います。だからその…貴女の部屋までの道までは、ちょっと…分からないです」

 指を折りながら、答え漏れはしていないかと確認しながら言葉を紡ぐ。年の近い人と話すなんて久しぶりだけれど自分が取るべき態度は対等ではないのだと自覚している。失礼があってはいけないのだ。用件だけ応えて、彼女の興味が自分から薄れて此処から去ってくれることを願った。
 だが、リュウの願望に反してロナはまだ納得いかないことがあるのか彼の顔をじっと見つめたまま動かない。その瞳の色は、思わずリュウがたじろく程に真剣だった。だが子どもは、他愛ないことに真剣になる生き物だ。

「…貴方、自分が住んでいる城のことを知らないの!?」
「え…」
「ダメよそんなの。兄様みたいになるわよ!」
「はあ…」

 何故この城の人間でもないのにここまで自分の閉鎖的な暮らしを咎められているのだろう。言葉にするだけきっと無駄で、リュウはただ適当に相槌を打って流す。そういえば、今日もガラクの話の途中で同じことをして自分の首を絞めたのだが、もしかして今回もそうなのだろうか。
 気付いたと同時に、リュウの右手がロナに寄って掴まれた。そして勢いよく引っ張られ、彼女はずんずんと先を歩いて行く。現在地も分からないはずの彼女は、取り敢えず来た道を戻ろうとしているらしく、それは当然、リュウが普段なら歩いたことのない道だ。瞬間、ここで自己主張をしないと流されると悟ったリュウは慌てて両足を踏ん張った。後方に引っ張られたことに驚きと不満を浮かべて、何よと声を上げながらロナが勢いよく振り返る。

「おれの、部屋はそっちじゃないです」
「そう、私の部屋はきっとこっちよ!」
「……。おれ、そろそろ眠くて、帰りたいです」
「そう、だったら私の部屋にいってお話をしてそれから寝ましょう。弟のユジナもいるわよ!」
「いや、本当、今日はもう遅いので…」

 控え目な全力の拒絶を、ロナは不満そうに受け止めていたが、リュウの表情に浮かぶ疲労と眠気の色は見逃しようがなく、彼女は渋々と握っていた彼の手を放した。ここで別れようとすることは、もしかしたら凄く礼を欠いた対応かもしれないが、仕方ない。この城にリュウが自分から話しかけられる人間なんて白雪をはじめ応じであるゼン周辺の人間ばかりなのだ。探し回って気安くロナへの対応を頼める相手なんていなかった。

「それではまた明日にしましょう。おやすみなさいませ、リュウ」
「あ、はい。…おやすみなさい」

 世間体なのか、自分の身の振り方なのか区別しにくいリュウの思考をよそに、ロナはあっさり手を振りながら暗い廊下の奥へ消えて行った。反射的に手を振ろうとして上げた手が、行き場をなくして停止する。また明日なんて不吉な言葉が聞こえた気がしたが社交辞令かこれまた反射的に出た場を纏める言葉だったのだろう。
 疲れた、正直に漏れた本音を残して、リュウはふらふらと自室に戻り、死んだように眠った。今日も仕事だと、眠い瞼をこすって自室の扉を開ければ、そこには申し訳なさそうに、それ以上に面白そうに廊下の壁に背を預けたオビが立っていた。リュウは彼のことが比較的好きだけれど、今は彼の顔を見ただけで扉を閉めたくなるくらい嫌な予感がひしひしと湧きあがってくる。そのままあれよあれよとオビに担ぎあげられ入ったこともないような部屋に連れて行かれ、予想通り客人である双子の相手をさせられた。弟は割と大人しめでリュウを観察はすれど振り回しはしないタイプだと直ぐに分かった。それだけが、せめてもの救いだった。

「さあリュウ、約束通り一緒に探検をしましょう!」
「…いや、おれは…仕事があるので…」
「遠慮せずに行ってくると良い」
「!?」

 迫りくるロナから逃げるように正当な言い訳を紡げば、背後から逃げ道を断つように呑気な声が降って来る。振り向けば、ガラクがにこにことリュウを見降ろしていた。

「言ったでしょ?よろしくねって」
「え…あれって…」
「そう、このお客様のお相手」

 目を見開いて、信じたくない現実を見るようにロナを凝視する。失礼だが、ユジナの姿は視界に入れる余裕すらない。
 言い訳を、ここから逃れる言い訳を。滅多に乱されることのない感情がごちゃごちゃにかき混ぜられて、リュウは上手く思考を行えない。そうしている内に、リュウの景色はぐるぐると目まぐるしく変化する。連れ回されているのだろう。両手に感じる他人の温度はこの双子のもの。
 一体全体どうしてこうして。流されるままに初めて見る景色にはしゃぎまわる双子をよそにリュウの思考は停止した。自分はただの薬剤師なのに。前提からして土台が違う。
 乱さないでくれと、逃げ出したくて仕方ない。だが無邪気に楽しそうに歩きまわるロナに元凶としての責任をなすりつけるのは気が引けた。女の子を責めてたるなんて男の子であるリュウにはまだ出来ない。

「大人って…、大人って!」

 結果、リュウが渾身の決意で吐き出した言葉は職場の上司への分かりづらい抗議だった。あの人も性別は女だが、性別では割り切れない沸々としたものが今のリュウを支配していた。だってガラクは大人だし、楽しそうだし、絶対自分で面白がっているに違いないのだ。

「楽しいわねリュウ!」

 不意を突くように振り向いて満面の笑みで同意を求めるロナに、リュウは唖然と首を縦に振った。リュウの瞼の裏で、生温い眼差しを向けてくるガラクを始め、白雪やゼン、オビの姿までもが次々と浮かんでくる。込み上げる羞恥心を隠すように俯いて、リュウは自分の両手を握っている双子に応えるようにそっと握り返した。


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さらされて流されて
Title by『ダボスへ』




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