一緒に暮らそうかと、山田の方を見ないままお客様からの注文の品を淡々と仕上げながら相馬が言った日のことを、今でも鮮明に彼女は記憶している。そして時々、ひとりきりの部屋で相馬の帰りを待つ間、心の奥の一番取り出しやすい引き出しからその記憶を引っ張り出しては思い出し、ぽかぽかと暖かい気持ちになっている。
 あれからもう数年が経つのだと右手の指を折って確認する。片手で足りる程度の年月は、ふたりをどのように流して変えてきたのか、当事者である相馬と山田には分からない。ふと、日常の会話の端々に上る「相変わらずだね」という言葉は褒め言葉なのか、正しいのか、それすらも分からないまま山田は今日もダイニングに置かれたテーブルで、相馬と向かい合うように座るのだ。
 山田は基本的に働かない。ワグナリアにいた時もそうだったが、相馬の家に引き取られてからはなお酷い。とはいえ、山田の持つ能力を知っている相馬からすれば、やる気を出して働かれた方が面倒臭い結果になるのは火を見るより明らかだったので。寧ろ相馬は、自分が留守の際は極力台所に立たないようにと言い聞かせているくらいであった。でもお腹は空くのだと訴えた山田の為に、冷蔵庫はなるべく空にならないように、それでいて熱処理だとかが不要なもので埋まるようにしたし、火が危ないならIHにすればいいかもしれないとも考えた。後者は自分の預金通帳の残高を確認した瞬間に我に返って止めた。
 山田に与えた部屋に在るものは、彼女が稼いだ少しのお金と、相馬が稼いだ大半のお金で購入したものがまばらに並んでいる。部屋をセッティングする上で、存在感のあるものは意外と重要だったのだと知った。小さなテーブルしか置かれていない山田の部屋は、正直部屋としての機能を持っているとは言えなかった。荷物の大半が衣装でクローゼットの中に押し込まれている。本は相馬の部屋の本棚の中、雑誌はリビングのラッグの中。テレビはリビングでソファに座って相馬と一緒に見ると決めているし、寝床も彼の部屋にあるベッドで一緒に眠るのが習慣だった。結果として、山田にとっては衣食住を与えられてさえいれば、プライバシーというものは口賢しく主張するほど大きな意味を持っていなかった。同居人は優しい人だから、何の心配もいらないのだと心の底から信じ込んでいる。そうでなければ、家族や親戚、まして年の近い友人でもない異性と一緒に暮らすことになんの疑問もなく頷いたりはしないだろう。
 山田が相馬から、一緒に暮らす上で最低限求められた条件は少ない。「おはよう」や「いってらっしゃい」と言った挨拶をきっちりとすること。だから山田は朝寝坊が許されない。それからお風呂掃除と、回覧板を隣室に持って行くことと、宅配便等が来たら受け取ること。ちなみに、新聞屋に対しては絶対自分で応対してはいけないと釘を刺されている。日中出掛けてしまう相馬を待つ山田は、一日の大半を思考と睡眠に費やしている。家の外に出ることを制限されている訳ではない。電車にだってバスにだって乗れる。アルバイトだって、近所のコンビニに行って履歴書を買って少し行った所にある本屋の証明写真の機械で一発撮って切って貼って応募すれば出来る。ただ山田は、相馬にこの部屋でべたべたに甘やかされている内に色々と考えて、気付いたことがある。それらが足を引っ張って、どうにも前に進めない。
 ひとつ、自分が如何に甘えたで、周囲に守られて生きて来て、今もなおそれが続いているということ。ふたつ、相馬は自分以上に甘えたで、だけど周囲には守って貰えなくて、とっても寂しがり屋だということ。ひとりぼっちにしてしまったら、相馬がどうなってしまうかと考えるのは、彼に養われている身の山田にとっては、おこがましいことなのかもしれない。だけど、いつしか呟いた「かわいそうまさん」なんて言葉遊びが残酷なくらいぴたりと当て嵌まってしまうから、山田は今日もコンビニまでしか出掛けない。本屋に行っても買うのは雑誌くらいのものだった。
 そうやって、山田が相馬の部屋にだらだらと足止めを食らっている限り、彼女に対する殆どの決定権は彼に在る。世の中で何かを求めれば、必ずお金が要るのだから当然だ。相馬は守銭奴ではないから、欲しい物を告げれば、よほど突飛で高額な要求をしない限りは応えてくれる。昼間、相馬の帰りを待つ時間、冷蔵庫の中身を物色しながら山田は彼の気紛れで始まった同居生活で彼に圧し掛かった負荷について考える。メリットの方がどれだけ見渡したって見つからない。それでも一向に自分を切り捨てようとしない相馬はやはり変人なのだと、山田は若干失礼な認識をしている。失礼だけど、間違っているなんて、そんなまさか。伊達にだらだらと三百六十五日×数年の日々を彼と過ごして来た訳ではないというこれまた変な自負が、山田にはあったりする。

「相馬さんは山田にムラムラしたりはしませんか?」
「今日はどんな番組を見たのかな」
「夕方のドラマの再放送は時々時代を感じますよね」
「へえ、そんなに前のやってるの」

 寝る前の会話なんて食事する時となんら変わらずくだらない内容ばかりだ。似たような毎日を繰り返す山田に提供できる話題なんてこの程度。同じベッドに入っても艶っぽいムードなんて一度だって迎えていない。枕元に置かれたライトを着けて相馬が読書に熱中してしまえば、眠気の訪れない山田はただ退屈なだけだった。
――相馬さんはもっと山田に興味を持つべきですよ。
 言わないけれど、そう思う。興味のない人間を同居させる筈もなしに、それでも、山田なんて分かり切った偽名を未だ問い質さず使用する呑気さは、全てを知って言葉を飲み込んでいるのか。それを問い質さない山田も結局なのだ。ただお互いがそこにいてくれればいいなんて纏められたら、何だか色恋真只中の大人みたいだと笑ってみせるのに。相馬の場合は少し、違うのだろうと思う。どこがとは言えない。自分には確実に理解できない部分をむき出しのまま生きる相馬に、山田は寄り添って生きる。おかしいのかもしれないし、いつか終わりが来るのかもしれない。それでも、「おやすみ」とライトを消して山田を抱き締めるようにして眠る相馬は、どこまでも人間臭い寂しがり屋な大人でしかなかった。
 だから山田は目を閉じて、自分のひとつの義務でもある「おやすみ」を呟いて相馬を抱き締め返す。ただの人間の相馬だけれど、自分の生活の全ては彼が握っていて動かせる。少なくとも、山田にとって相馬は神様だった。たとえ、寂しがり屋の一言は、拭えなかったとしても。


―――――――――――

私の同居人の神様は人間じみた声でおやすみなさいと泣くのです。
Title by『深爪』




「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -