※スミオ←しげる


 スミオに女の子として見られたいが為に伸ばした髪を優しく撫でてくれたのは、悲しい哉、意中の彼ではなく人当たりの良い同じ学校の優しい先輩だった。男の子みたいな名前も、栗須さんが「しげるちゃん」と呼んでくれると、まるで可愛らしい女の子の名前のように響くのだから不思議なものだ。
 誕生日でもない、特別な記念でもなんでもない日に、栗須さんから贈られたヘアピンを手にしてまじまじと眺める。ヘアピンとは基本的に女の子の為のアイテムだから、何らかの装飾品が付随していればそのデザインは可愛らしかったりするのが当たり前だ。今この手にある物も同様に、花を模した飾りが可愛らしくその存在を主張していた。これを着ける人間は、きっとまごうことなき女の子だ。
 私がこのヘアピンを装着することを躊躇うのは、別に物の可愛さに怖じたからではない。女の子らしくなりたくて髪を伸ばし続けてきた。髪だけのお陰ではないけれど、私はもう私服のパンツ姿で街中を出歩いたって男の子に間違えられたりはしない程度には、ちゃんと女の子らしい外見をしている。こんな女の子っぽい物、私には似合わないと卑下する程インパクトのあるヘアピンでもない。
 人好きのする笑みを浮かべながらじっと此方を見ている栗須さんに、どんな反応をして、どんな言葉を紡げばいいのか。思考して、候補を挙げて、結局口を噤む。なんでヘアピンなんですかとか、なんで私にくれるんですかとか、なんでそんな優しく名前を呼んでくれるんですかとか。なんでの大量生産なら、きっと簡単に出来る。でもそのどれもをちゃんと言葉にして栗須さんに問うたとして、彼は表情を一切崩さずに全てに明確な答をくれそうで、それは逆に私がまるで解りきったことを尋ねている気がして、口を開くことに躊躇する。頭の良い栗須さんには、こうしてひとりぐらぐらと考え込む私が導き出す答すら既に知っているのではないかとすら思ってしまう。
 明確な言葉が欲しい。頭の良くない私にも分かる、単純な言葉で、彼の私に対する根底から上辺まで、私の前でつまびらかにして欲しい。こう言うと、私が栗須さんに「好き」と言わせたいみたいに聞こえるけれど、たぶん、その通りなのだ。好きでもないのに、思わせぶりに女の子に触れたり、贈り物をしたり、微笑んだりしてはいけないの。栗須さんはきっと、そういう質の悪いことをする人ではないと思うけれど、真っ直ぐで優しい人間は、時として無意識に質の悪い行いをしたりするものだ。例えば、スミオのように。
 栗須さんと同じように真っ直ぐで優しいスミオは、いつだって幼馴染みの私を甘やかして守ってくれた。お姉さんぶって彼の女性に対する軟派な態度を諫めて見たって、それは自分の為だという根っこを、私はきっと最初から気付いていた。スミオにとっての私はいつまで経っても幼馴染みのままだった。そこに男の子だとか女の子なんて性差は全く問題じゃない。女の子らしい子が好きだと言ったのはスミオの方なのに、その理想に見合う為の努力を続けてきた私の現在を、スミオは全然気付いてはくれなかった。
 スミオはきっと、私に危険が迫れば、走って助けに来てくれる。それは仮に、スミオが私以外の女の子と付き合っていたって変わらない。傲慢な確信。それは私たちの関係がこのまま変わらず、ただ幼馴染みとしての平行線を保つことが大前提。虚しくて、だけど高確率で訪れてしまう未来。そういえば、私はスミオからヘアピンだとか女の子らしい贈り物をされたことはなかったかもしれない。曖昧に濁すのも、やっぱり自分の為でしかなかった。

「…気に入らなかったかな?」
「いえ、可愛いですね」
「しげるちゃんに似合いそうだと思ってね」
「そうですか?」

 ヘアピンを受け取ってから、じっとそれを眺めるだけの私を訝しんだ栗須さんに、とっさに笑顔で応じなければという焦りが働いた。急拵えの笑みは、きっと下手くそな出来映えだったのだろう。申し訳なさそうに眉を下げる栗須さんに、胸よりも腹の辺りがずくんと押さえつけられたかのように痛む。
 沈黙は気まずいとお互いが感じている筈なのに、栗須さんはいつものように陽気に喋り掛けてはくれない。私は私で、考えることが多すぎて何を言って良いのか分からない。下手な墓穴を掘るよりは黙っていた方が得。だらだらとふたりきりの時間を延長させること自体が墓穴だとは思うが、私には事態を明るく切り開く策などありはしないのだ。安全で愚鈍な方法でじりじり一歩ずつ進むことしか出来ない。
 今直ぐにでも、彼から受け取ったこのヘアピンを着ければ、こんな気まずい沈黙など一瞬で霧散して行く。お世辞でもなく褒めてくれるであろう栗須さんと、心のどこかでお世辞と決めつけて気恥ずかしさを紛らわしたい私との薄っぺらい会話の攻防戦。浅い関係の引き延ばし。だけど沈黙よりは良いじゃない。頭の片隅では、何度もそう落ち着いてヘアピンを着けてしまおうと思うのに私はその動作をいつまで経っても開始しない。
 だって私は知らない。栗須さんが私に抱いている感情の、正しい名前を聞くまでは、これはまだ身に着けてはいけない物のような気がする。相手に何か贈り物をする時、人は何らかの感情を抱いてその相手に向き合っている。栗須さんだって、きっとそう。
 もし、栗須さんが私に向ける感情が、ただの後輩を可愛がるだけの親切なら、私はこのピンを着けることは出来るけど、しないだろう。好きな人がいる。その人に、他の男性からの贈り物を身に着けることで妙な勘違いをされたくないと思うのは、きっと真っ当な意見だと思う。もし、栗須さんの気持ちが恋だったとするならば、私はこのヘアピンを受け取ることから拒まなければならないのだろう。贈り物を受け取ることは、相手の気持ちの一部を引き取ることと相違ない。
 私、スミオが好きなんです。知っているでしょうになんでこんなことするんですか。栗須さんは私のこと好きなんですか。このヘアピンはとっても可愛いけれど、私には着けられそうにないです。ごめんなさい。ありがとうございます。嫌いになりますか。言いたいことも聞きたいことも沢山あるのに、また私は自分から言葉を発することが出来ず終い。栗須さんも、何も言おうとはしない。埒が開かない。
 こんなとき、スミオがいれば、笑顔に隠された栗須さんの内の声を聞き取ってくれるかしらと思い、直ぐに否定する。一番近くにいる私の気持ちを受信出来ないスミオには、ひた隠しにされた底辺の気持ちを見抜くことは難しいだろう。私の予知も、この場では役に立たない上に発動すらしないのだ。
 役立たずで意気地なしな自分を甘やかしながら、私は掌のヘアピンをぎゅっと握り締める。一瞬でも、スミオからの贈り物だったら直ぐにでも着けたに違いないと思ってしまったことが申し訳なくて、私は栗須さんから目を逸らす為にただ地面を睨みつけるしか出来なかった。


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どうしてもあの星が離れない
Title by『にやり』






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