宙地渡はあまり笑わない少年として知られていた。
 少なくとも、彩雲中学校に転入して来てから真帆が(もしかしたら)自分と同じように宇宙に興味があるのかもしれないと天体への観測の端っこで眺める限りの宙地は、真帆や同年代の友人たちが語らう中で見せるような、声を上げて笑うようなことは一度もなかった。その姿は文武両道の姿勢と相俟って大人びた雰囲気と好意的に受け止められていたように思う。人懐っこい性格でもなかったのに、宙地は近寄り難い人物ということもなく、特に受験前のクラス内に於いては非常に頼りになる存在として映っていた。もっとも、真帆は勉強なんて宇宙への好奇心に比べたら何の重きも置いていなかった為に他のクラスメイト達のように宙地に勉強を教えて欲しいと頼んだことはない。だからといっては何だが、真帆と宙地の間に交流らしい交流が芽生えることもまたなかった。

「宙地はシロフネの前ではよく笑うのね」

 一緒に宇宙学校を受験してから、最も長い時間を共にしてきた友人といえる宙地のことを、マルカが突然こう評したものだから、真帆は思わず昼食を装う手を止めていた。彼女の言葉の意味を、数回の瞬きの内に咀嚼して、それからもう一人話題の当人である宙地の姿を探す。彼は真帆とは離れた場所で昼食を選んでいる。人影が重なってよく見えないが誰かと話している表情は穏やかで、普段の表情の変化する幅の狭い宙地からすれば充分笑顔といっていいような、相手への親しみが窺える、そんな表情だった。

「――そうかな?」

 現に宙地は、自分以外の人の前で笑っているのに。惚けているのではなく、純粋に疑問だった。止まっていた手を動かして、皿に気になるメニューを手当たり次第乗っけてからトングを置く。マルカはとっくに自分の分は取り終えているのに、席に移動しようとしない。これは真帆を待っているのか、ユリアやめぐるを待っているのか。ただ賑やかな彼女は、誰かと一緒に移動したいのかもしれない。真帆が移動すると隣に並んでついてきたから、できるだけ空いている席が連なっている場所を選んだ。
 さっさとトレイを置いて席に着く真帆に、マルカは彼女にしては珍しい逡巡を見せてからにんまりと含みのある笑みを見せてた。

「隣か正面かは宙地に選ばせてあげるわ!」

 今目の前にいる真帆の意向ではなく、まだ昼食を装っている宙地の為と称してマルカは真帆の斜め前の席に腰を下ろした。随分図々しい席の占有をしてしまっているが、元々この宇宙学校の生徒たちが一斉に食堂に集まっても席は余るように設置されているのだから怒られはしないだろう。真帆はスプーンを手持無沙汰に弄びながら、マルカの言葉と宙地を交互に見遣る。

「宙地くんは、僕以外の人の前でも普通に笑ってると思うけどな」
「ん?」
「ほら、今だって笑いながら会話してるじゃない」
「もう、バカね〜! そんな野暮な話ししちゃって!」
「振って来たのはマルカじゃん!」
「だから私が言いたかったのは宙地はシロフネの前だと――」
「俺が、何だ?」

 初めのマルカの言がどうしても腑に落ちないと詳細を聞き出そうとする真帆に、字面通りの意味ではないのだとマルカが説明しようと口を開きかけた矢先、宙地が口を挟んだ。タイミングが良いのか悪いのか、思わず真帆もマルカも驚いて目を見張り言葉が引っ込んでしまう。
 宙地は特に追及することなく、マルカの正面とは反対の、真帆の隣に座る。こうして自由に席を決める際、宙地は真帆の傍に陣取ることが多い。それはめぐるも同じことで、クラスメイトとして交流を深めたとしてもやはり中学校が同じで一緒に受験時の苦難を乗り越えてきた信頼は別格のものがあるのかもしれない。いちいち理由を分析する方がよっぽど野暮だし真帆はそもそも宙地が自分の傍にいることの理由など深く考えたことはない。出会った時、彼とはきっと親しくなれるなんて運命を感じたわけではない。ただ日に日に彼も自分と同じものを見て、探しているのかもしれないというおぼろげな予感が膨らむにつれ一方的な親しみも募った。それが、真帆の受験説明会への申し込み忘れといううっかりを糸口に一方的なものから相互的なものに変わった。だからこのST&RS宇宙学校にいる。それだけで、真帆には十分だった。
 しかしどうやら、マルカにはそれだけでは納得できないものがあるらしい。

「ねえねえ宙地!」

 流暢な日本語が、真帆の友人の名を呼ぶ。どうしたってマルカはめぐるも宙地も今では立派な日本語の発音で呼びあらわすのに、自分の名字だけ未だにシラフネと間違っている挙げ句に微妙な片言混じりで呼ぶのだろうか。その辺りは、ちょっとだけ不満だったりする。別に、宙地に向かって身を乗り出したマルカに、何を言い出すつもりだろうと警戒してしまった気持ちを誤魔化す為のものではないはず。

「宙地はシロフネの前ではよく笑うわよね!」
「え?」
「もー! だからマルカ、宙地くんは別に誰の前でも――」
「……っ!!」
「宙地くん?」
「宙地はシロフネと違って察しがいいわ〜!」

 マルカの言葉に、同じ抗議しか出来ない真帆とは全く違った。宙地は彼女の主張に対し(マルカ曰く)野暮ではない、正しい意味を汲み取ったらしい。そして同時にガタッと椅子を後ろに引いて、手で口元を隠して二人に対してそっぽを向く。珍しい反応だ。類似例を探すなら、これは宇宙学校の受験の面接で一発芸として変顔を披露したあとの反応に似ている。つまり宙地は今、恥ずかしがっているのか。

「あ、宙地くん?」
「……何だ?」
「気にすることないよ、マルカの考え過ぎでしょ」
「いや、たぶん、そういうことじゃないんだ」
「そうよ!」
「そういうことって?」

 さっきから、その核心に触れない場所を説明して欲しいのだ。してくれないのなら、勘違いということにしておいてほしい。自分の理解できない場所で話が進んで、置いて行かれて、マルカはしたり顔で、宙地は顔を背けて、自分はただ頭上にはてなマークを浮かべるしかできないなんて、理不尽でしかないだろう。
 何度もマルカと宙地に「ねえねえどういうこと?」と詳細の説明を要求しているのに、マルカは笑うばかりだし、宙地は「ちょっと、ちょっと待ってくれ……!」と恥じらいから今度は焦り始めている。あっさりと屁を曲げた真帆はずっと手つかずだった昼食をがつがつとスプーンで口に放って行く。マルカは普段、騒がしくしたり目の前のことに突進したりしてたしなめられる妹ポジションのはずが真帆に対して――特に今回の件に関しては――物知り顔でお姉さんぶった上から目線だった。「拗ねっちゃったわよ」と肩を竦めて宙地に声を掛ける。それが、たったそれだけのことが、真帆には自分を無視して行われた二人だけに通じる暗号のやりとりのように思えて、眉間が不機嫌に皺を作っているのが自分でもわかる。

「あのねシロフネ、宙地は――」
「マルカ!」
「? 隠さなくたっていいじゃない、だってこれは素敵なことだわ。宙地にとっても、シロフネにとっても!」
「……僕にとっても?」
「そうよ! 恋をするとね、その人と話していると、自然と幸せな顔つきになるのよ! それが素敵じゃなかったらなんなの?」
「――マルカ!!」
「もう、宙地は野暮じゃないけど初心なのね! 仕方ないわ、邪魔者は退散してあげるわ。あ、めぐる〜!」

 嵐のような彼女は、あっさりと席を立って後から来ためぐるたちの方へ向かって駆けて行ってしまう。
 真帆はといえば、やはり彼女の言葉を理解する為に、何度も瞬いて耳に残っている彼女の声を繰り返し再生して、それから「ん!?」と口に残っている食材を吐き出さないよう両手で口を押えたまま驚きの声を上げる。宙地はとうとう耐えられなくなったのかテーブルに突っ伏してしまった。見えている耳は、茹蛸のように赤い。

「あ、あま、宙地くん……?」
「ああ、もう――!」
「あ――」

 心配と動揺と、掌で顔を覆ったままテーブルからは身を起こした宙地はそれでも真帆の顔を見ようとはしなかった。見る必要もなかった。
 何だこの恥ずかしい空間は。宙地の恥じらいが伝線したかのように、真帆の身体もじわじわと熱くなってくる。マルカの言葉がぐるぐると頭の中をループする。

「こういうのって、」
「……」
「なんか照れちゃうね」

 こういう、あからさまな言葉に乗せてしまうのが憚られる心の揺らぎが触れ合ってしまうのは、とても。そう、真帆はへらりと笑って見せた。それを隣で、指の隙間から窺うように見ていた宙地が、ほっと安堵の息を吐いてから「そうだな」と同意の言葉と共に微笑んだ。それは、一瞬のことで、彼が笑ったとはすぐ傍で見ていなければわからない程度の表情の変化だった。
 そして、その隙間を瞬間的に駆け抜けるような宙地の笑顔を、マルカは総じて真帆の前だけで頻繁に見せるものだと二人の前で冷やかしてみせたのだ。
 その、如何にも、愛しくて堪らないのだと言いたげな笑顔を無自覚に、一瞬であっても晒し続けている迂闊さを、彼等に指摘した。だって気付かなければ、想いは恋とも呼べない。それはとても勿体ないことだから。
 そんな厚意など露とも知らず、当人たちは食堂の一角ではにかみあっているのだから目の毒だ。それでも宙地と真帆は笑っていた。お互いが愛しい存在と憚らないような、そんな空気で。


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4周年&70周年記念企画/翡翠瑠璃様リクエスト

どうか笑って、君は愛すべき人だから
Title by『にやり』



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