※捏造注意



 澤村大地と付き合っていたことがあると周囲に打ち明けたら、きっと誰もが一様に驚くことだろう。バレー部の周辺はとくに。清水潔子は、しかしその想像はあまり愉快ではないと緩く首を振って一瞬でも浮かんだその考えを打ち消す。
 異性からの告白は頻繁にではないけれど(彼女のこれまでの告白への一貫した返答の成果である)受ける。話したことがある人もいれば、話したことがない人もいる。中には同じ烏野高校に通っている以外どこに自分と接点があるのだという人間、学年すら違う相手からの告白も。そして清水はこの手の申し出に一度も頷いたことはなかった。好きな人がいるからとかそれっぽい理由を挙げて断るのは何の権利を振りかざしてか相手を探ろうとする動きが面倒くさいから止めた。今は部活に集中したいからというと、しかしそれほどの強豪というわけではないのにと大切な居場所を侮辱されることもままあったので止めた。清水が告白を受けない理由は細々と分別することは出来ても結局は一つに括ってしまえる。

「悪いけど、興味ないから」

 冷めた声が、意思を以て紡いだ言葉が、けれど他人事のように清水から向かいに立つ相手に向かって放たれる。何度も、何度も。告白してきた相手にも、その人が訴える恋というものにも、今の清水は本当に興味がなかった。だからさようならだ、出会ったとすら思っていないけれど。
 どうしていいかわからない戸惑いも、未だ消え失せたわけではなかった。それでもまず覆らない決定的な答えが清水にはあったから、如何にも貴方の告白は煩わしいという体を装った言葉を選ぶ。そして相手も自分への興味を一切失ってくれたら、とても助かる。
 恋に対して無理解だというわけではない。熟知していると張る胸はなく、拙い想いは継続させるための努力が出来なくて思い出としか呼べないものだとしても。清水潔子は思い出す。自分が澤村大地という男子に恋をしていたということを。


 二人が付き合っていたのは高校一年の終わり頃からの数カ月で、同じバレー部の菅原や旭にすら打ち明けなかったのはどうしてだったかと首を傾げるもよく思い出せない。恥ずかしかったか、タイミングを逸したかどっちかだ。同級生の人数が少なかったせいか、関係のポジションは入部して初めての夏を迎えるころには固まっていたように思う。清水たちの学年から代表者を選ぶよう言われたら、間違いなく澤村が選ばれるような、そんな自分たちの土台となる場所に彼はもう地盤を作り始めていた。
 澤村の立ち位置が問題だったとは思わない。原因究明をすることは今更無意味だ。未練と呼べるほどの熱など、きっと清水が澤村と接する態度のどこにも浮かんでいないはずだった。別れた理由自体は、恋という想いが冷めて消えたからというわけではない。恋人という関係を終わらせる為に区切りとして告げた「さよなら」を象った唇は、確かに寂しさに震えていたことを覚えているのだから。そして二人の関係を終わらせたことに尤もらしい理由をつけて納得するのなら、やはり一番に成り得なかったということが最たる原因だったのだ。澤村大地を好いている清水潔子と清水潔子を好いている澤村大地。どうしてか、墜ちた強豪と呼ばれる世代の自分立ちで再び全国のコートを目指すと決めた自分たち以上に成り得なかった。部活と勉強の両立は出来たのに、部活と恋愛の両立は相手が直ぐ傍にいるのに(もしくは同じ場所にいたからこそなのか)出来なかった。清水に言わせればそれだけのことだった。恋よりも強い熱があった。それは悪いことでも悲しいことでもないように思われた。三年になって、目標を夢と呼ばなくてもよくなって、それは確信ともいえるものだ。

「お、清水丁度いいところにいた」
「?」
「悪いんだけど今日部室の鍵開けといてくんない? 時間割変更で最後に体育が回って来てさ、HR終わるのたぶん遅くなる」
「東峰は?」
「あー別にそっちでもいいけど」
「……いい、私が開ける」

 呼び出されて、告白されて断って、教室まで帰る道の脚は重い。運がいいとか悪いとかではなく、本当に偶然出くわした澤村が差し出す鍵を受け取る。触れもしない肌が、ひどく冷えていく錯覚に陥る。
 こうして二人きりでなんてことない会話をしていると、どうして別れてしまったのだろうという原因よりも、どうして別れることができたのだろうという過去の自分の気持ちへの懐疑が湧き上がってくる。恋しかったのに、愛しかったのに、でも別れてしまえたし挙げ句に恋心なんて死んだのか本当に同じ部活の部長とマネージャーに違和感なく収まっている。そしてここはとても居心地がいい。本当に好きだったのかと疑うことほど無意味なことはないだろうに。過去を掘り漁ることと同様に。けれど清水は問いかけることをやめられないでいる。
 ――私はどうしたかったんだろう。
 好きなどと、恋人などという形で繋がってしまって。それをあっさりと解いてしまって。そんなことをしないでも辿りつけた今がどうしたって掛け替えのないもので。
 清水は真っ直ぐに澤村を見上げている。多くの男子が、何を考えているのかわからない(これを多くの人はミステリアスだと彼女の魅力としてプラスにカウントしてくれる)眼鏡の奥の両眼に、澤村は怯むことなく「どうした?」と尋ね返してくる。親しければ口数も自然と増えていくことを澤村は知っているから(あまりにも迷惑なことで騒いでいると後輩たちのようにガン無視される)、彼は最低限の疑問を投げた後はじっと彼女が答えるのを待てる。それは経験と信頼であって、やはり澤村ももう清水に対して恋愛感情で働きかけているのではないのだと知れる。出会ってから、もしかしたらそんな動機で働きかけられたのは想いを伝えあった一瞬だけかもしれないけれど。
 澤村から渡された鍵が、掌の上でずっしりと重たい。彼から渡されたものという細やかな事実が痛い。三年間、澱みなく流れていくはずだった関係が一時の恋の所為で小さなほつれを作っているような。歩みを止めるほどの障害にもならないのに、だが確かに存在していることだけははっきりと感ぜられる恋だった。失くしても、消えたわけではなかった。

「じゃあ、悪いけど頼むな」
「別に悪くない」
「そうか?」
「でも似たようなこと東峰にも頼むことがあったら、そう言ってあげて」
「へ?」

 私でなければだめな頼みごとなんて、きっと澤村の口から聞かされることはないのだろう。ただせめて自分は彼に詫びられるようなこともされていないのだとわからせておきたくなった。菅原とも、東峰とも違う、礼儀として感謝を含んだ謝罪もいらないと。
 そうでなければ、二年も時間が過ぎてから急に悲しくなってしまうからと清水は微笑む。人目を引く美しさを持つ彼女のこの表情は、きっとそれだけで異性の頬を赤く染めることが出来るだろう。ただ今は澤村のがっしりとした体に遮られて誰の目にも――澤村の目以外に触れることはなかった。
 ――私は何が欲しかったのだろう。
 また考える。かつて澤村と付き合っていたとき、そもそもどうして付き合ったのだと、好きだからと、それでは駄目だったではないかと、疑問と答えが次から次へと彼女の脳裏を過ぎていく。
 ――私はきっと、澤村が……。
 そうであるはずだと、最後は思い込みにも近かった。でなければ、間違いだったということになるではないか。続けることはできなかった恋が、ただ結果であればいいと清水は思う。間違いや傷といった、苦々しいものではなくて。甘くなくていいから、そこに在る事だけはいつまでも判然としていて欲しかった。それは、何と言う名前の感情から来る欲求だったか、清水にはもうよくわからない。

「じゃあまた部活でな」
「――うん」

 終始他愛ない会話でまとめられた今の一区切りに、清水はほっと息を吐く。自分の教室へと踵を返し歩きはじめた澤村の背は拙く仲間以外の関係で繋がってそれを断ち切ったときよりもずっと逞しく大きい。
 その背中に、さよならという残酷で虚しい響きを投げつけないで済むこの関係を、清水は気に入っているのであった。


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結局のところ、私はいったい何が欲しかったのだろう。君ではないと、そう答えたらいけないと、それはわかるのだけど。
Title by『わたしのしるかぎりでは』



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