もう死んでしまうかもしれない。影山は近頃、己の一寸先の生来に関してこんな物騒なことを考えている。せめてもの幸いは、部活中、ボールを弄っているとき、コートに入ってしまえば全てのバレー以外に対する不要な思考を遮断できていることだろう。だがそれ以外の時間、教室で、授業中、休み時間に飲み物を買いに出た道すがら、影山の胸も腹もずんと重たく、時に痛みだし、頭は熱に浮かされたようにぼうっとなってしまう。おかげで授業などろくに手に付かない(これはいつものことだと影山は本心で気付いていないのである)。影山は今まで健康優良児として生きてきた。馬鹿は風邪を引かないなどと失礼な言葉を放られたこともあったが、一日一時間一秒でも長くバレーをしていたかった影山からすれば風邪を引いて布団に縛り付けられ、やりたいこともできなくなってしまう方がよっぽど馬鹿馬鹿しいことだと信じて疑わなかった。それが、小さな風邪をすっ飛ばして生きてきた矢先に謎の大病を患うことになるなんて。 「影山――!」 教室で机に突っ伏す影山の頭上から、彼の深刻な病状など知る由もない能天気な声が降ってくる。聞き馴染んだ自分を呼ぶ声。顔を見るよりも先に、胸が痛くなる。ぎゅうっと縮こまって、大きく息を吐くとゆっくりその委縮が溶けて行く心地良さ。けれど心臓に悪い。そんな感覚が、この声が耳に届く度に繰り返されている。 「……んだよ日向ぼげぇ……!」 「何でいきなりそんな喧嘩腰なの!? 眠いの!?」 「眠くねーよ何の用だよ」 「えーっとお、部活の伝言でー、今日は午後に3年が学年集会で体育館を使うんだけどその片付けとかで部活の最初の方まで食いこんじゃうから、部活は先に外で走り込みだって。集合はグラウンド。 ……覚えた?」 「――おう」 「じゃあそれだけだから、またなー」 部活の連絡事項を伝え終えると、本当に用件はそれだけだからと日向は手を振りながら名残惜しむ素振りもなく教室を出て行く。余所のクラスが居心地良いはずもないのだから当然だった。それでも、どうしてか落胆してしまう気持ちを抑えきれずに手を伸ばしそうになるのは何故だろう。ここにいればいいのに。そんなことを考えてしまう理由が、影山にはわからなかった。 患った大病は、こんな風に日向と直接話してしまうとその症状が途端に悪化する。部活の休憩中、他の先輩たちとじゃれている姿を見て苛ついて、部長の休憩終了の合図と同時にまた自分の元へ駆け寄ってくる姿にぎゅっと胸が締まる。おはようとまた明日の声と一緒に遭遇と別れを繰り返す度にほっとするし緊張する。正反対がごちゃごちゃと休みなく押し寄せてきて、影山はいつだって苦しい。そして苦しいのに、もっとその苦しさを享受したいとも思う。意味が分からない、馬鹿げた考え。痛いのは嫌だ、逃げたい、けれど痛がりたい、飛び込みたい。そんなせめぎ合いの渦にいいように弄ばれながら、影山の視線は無意識に、意固地なまでに日向を捕まえようとしている。そのわかりやすい理由に気付けないまま、影山は本気で悩んでいるのだ。 ――もう、死んでしまうかもしれない。 けれど本当に死んでしまいたいわけでは勿論ない。医者に掛かればいいのかもしれないが、学校で行われる診察以外でかかずらったことのない場所へ真っ先に向かうのは気が重い。だからまずは、相談することにした。頼りになる先輩、それくらいしか影山の深刻な悩みを打ち明けられる存在は思いつかなかったが――頼りになる先輩がいることだけでも中学時代の影山からすれば大した変化なのである――、その中でも「頼る」という行動に走っても打ち解けやすい存在に真っ先に菅原を選んだことに他意はない。ボールを繋ぐことへの信頼は平等なのにこうした差が生まれるのは、決して学力を加味してのことではないと、影山は己の取捨選択を肯定した。 部活が始まる前、部室でタイミングよく二人きりになれたときを見計らって、影山は菅原に打ち明けた。 「んー、それはさ、呪いじゃね?」 影山の、頭の中で言葉を順序良く並べて説明するに適していない、諸々の現象に対する言葉を、菅原はふむふむと頷きながら根気強く聞き届け、それから事も無さ気に人差し指を立てて、言った。 「の、呪い!?」 「そ、拗らせると死ぬ類の呪いだなー、怖いなー」 「誰がそんな悪質な!!」 「うーん、それは難しいなあ、相手が悪いのか、鈍いお前が悪いのか」 「――俺!?」 病気だと思っていた症状が呪いだなんて、逆に現実味がなくなって怪しいだろうに影山は全く疑う気配を見せない。その単純さに感心しながら、単純であるくせにどうして真実に直線で辿りつけないのだろうと、菅原は不思議に思う。予想もつかない答えだからか、動物並の直感で、これ以上進むことへの警戒心が働かせているのかもしれない。どうであるにせよ、バレーをしているときにはその全てを雑念として払って仕舞える集中力は見事だとしても、勉学にまで支障が出る(あくまで本人曰く)というのならば放っておくわけにはいかないだろう。 「あのな影山、この呪い、ちゃんと解けるから問題ない」 「そ、そうですか――」 「まあ唯一にして最難関の方法しか道は残ってないんだけどな!」 「え」 「お前のこと苦しめてる張本人に、お前が心から好きだと思って貰えたら、どうってことなくなるだろうよ」 「それは――」 「まあ見込みないわけじゃないし、頑張れよ」 「はあ、」 にかっ。いつもの見ている相手を安心させる笑みを残し、鼓舞するように影山の肩を叩いて、菅原はそれじゃあと部室を出て行く。呆然とその背中を見送って、何度も教えてもらった答えを反芻する。 ――呪い。 ――唯一で最難関。 ――お前を苦しめてる張本人に、お前が心から好きだと思って貰えたら。 ぞわり、背筋を悪寒が這い上がる。嫌悪ではなく、けれど武者震いのように前向きな感情でもない。恐らくは、ただ見えていなかった真実へと向かう道が照らされたことによる衝撃と一抹の恐怖。引き返す道は、菅原に打ち明けた時点で消えてしまった。錯覚だと、思い込むことはもう出来ない。 ばたばたと喧しい足音が近付いて来る。「あー!」とか、「もー!」とかいう叫び声と一緒に。その声は、やはり発している人物の顔を見なくてもわかってしまう、影山を苦しめている人物の声なのだ。 「掃除長引いた――! ってあれ、影山まだいたの?」 「……おう」 「オレ掃除当番長引いちゃってさー! 集合間に合うかなー!」 「さあな」 「てかお前だけ? 他の皆もう出てっちゃった?」 「たぶん」 慌てて荷物を放り出す日向に、素っ気ない返答をしている自覚が影山にはある。それをいつも通りだと流している日向に不躾過ぎる視線を送っているのに、彼は影山の方を振り向きもしない。部活の準備に必死だ。 ――こっち、向かねえかな。 そうしてまた、いつもの痛みがやってくる。この痛みが呪いだと、影山はもう知ってしまった。解除する方法があること、たった一つ、最難関で、けれど見込みがないわけでもないという頼りになる先輩の言葉。 「――日向」 「ん――?」 「お前さ――」 「何だって――?」 ――俺のこと、好きになんねえの? 運動着に着替えている途中の日向が、学ランの下に着こんでいたパーカーを脱ごうとまごついている背中に投げた言葉は、寸前で確信に触れることを留まった。反射的に口を手で押さえて、ばくばくと脈打つ心臓に脳内も激しく混乱する。 何を伝えようとしたのか。何を強請ろうとしたのか。きょとんと瞬きながら、「何だよ?」と尋ね返してくる日向の前で立ち尽くす影山だけが知っている。 ――お前のこと苦しめてる張本人に、お前が心から好きだと思って貰えたら、どうってことなくなるだろうよ。 成程その通りに違いない。日向と向き合う度、見つめる度、話す度、ぼやける思考と痛む胸の苦しみの先で、自分は彼に好かれたくて、愛されたくて、そんな風にして救われたい。 「影山?」 「……何でもねえ、着替え終わったんならグラウンド行くぞ」 日向に背を向けて部室の扉を開ける。開かれたのは、影山の行く道も同様だった。見えているのなら、迷わない。 影山の葛藤も混乱も衝撃も決意も知らない日向は、やはり能天気にその背後から「なあなあ影山―」などと着いて来ている。 ――その内呪ってやるから覚悟しとけよ! 物騒な宣誓を心に捧げ、影山はグラウンドへと急いだ。 ――――――――――― 4周年&70万打企画/花織様リクエスト 呪いだよ、ほんとうにきみを愛したひとにしかこれは解けない Title by『にやり』 |