昼休み。中庭で遭遇した国見に飲み物奢ってあげようかと言えば、全く表情を変えないまま結構ですと断られた。無償ではない行為を見抜き、その対価を警戒する姿勢は生き物として非常に優秀かもしれないけれど先輩として及川は非常に悲しい。きっと、これが及川ではなく岩泉の言だったら、国見は素直に施しを受けていたかもしれないから。岩泉のように真っ直ぐなタイプからの申し出は、下手に断るより素直に受け取った方が案外後腐れがないものだ。奢ってやったことすら忘れてしまう。及川と違って。

「別に無理難題吹っかけようって言うんじゃないんだよ!」
「――はあ、でも別に喉乾いてないんで」

 及川の周辺に於いて一番生意気な後輩といえば今は烏野に進学した影山が独走状態だが、この国見もなかなかの素質を持っていると思う。それでもチームプレイに徹するべきスポーツであるバレーボールを、その強豪である青葉城西で一年にしてレギュラーを勝ち取りプレイしているのだから協調性がないわけではない。マイペースに自分に見合ったスタイルを持っているのはいいことだと思うし、その活かし方もわかっている及川には国見の気だるげな態度も全く問題点を見出さない。にこやかで爽やかな及川さん、チームメイトにはどうにも手厳しい切り返しばかりされる男に、二学年年下の国見が取る態度は冷たいというよりひどく淡々としていて、時々及川を凹ませる。詰まるところ、彼には自分に対する愛というものがないのだなという結論に行き着いたものだから。

「愛されたいんだよ!」

 両手を天高く掲げて、宣言する。

「それ、練習ですら打ち抜かれてますよ」
「ブロックしてるんじゃないよ国見ちゃん!!」
「――はあ?」
「何言ってんだこいつって顔するのもやめて!!」
「はあ」

 せめて会話する意思を示そう。それだけで、及川さんは簡単に元気になるかもしれないよ? ウィンクとピースで求めても、上がる歓声は距離を挟んで通りすがった女子生徒たちを射抜いたようだ。遠目に見てもわかるほど顔を赤くしながらはしゃいでいる女の子たちへ、及川の手を振るサービス! 効果は抜群だ! 女の子たちは「きゃあ!」と再度歓声を上げると手を振っているんだか頭を下げているんだが中途半端な動きで小走りにその場を去って行った。そんな彼女たちをにこやかな表情のまま見送る及川を、国見はぼんやりとした、眠たそうな瞳で見ていた。
 女の子たちに囲まれて、握手やら写真やらせがまれてそれに応じるアイドルのような及川を、国見は随分遠く感じている。セッターとしても、キャプテンとしても絶大な信頼を置いているけれども、そうでなければたぶん、決して口を利くことのない人種だ。飄々とした雰囲気と裏腹にバレーに打ち込む青春を送っているくせに、彼の顔面をきっかけに近付いてきて告白してきた可愛い女の子たちと時々付き合って、それでもバレー以上に成り得るはずもなくてあっさりフラれて仲間に泣きつく姿を何度か見てきた。それだって、部室の軽口の材料にして空気が和気藹々とすればそれで及川の彼女の消費期限は終わる。バレーだけで事足りている人生に、不必要なものを纏わりつかせているなんて効率が悪いようにしか思えなかった。
 それでも、今及川に手を振られた女の子たちが近付いてこなかったのは彼の隣に国見がいたからだ。本人がモテなくても、及川を見にやってくるファンたちに、時として顔と名前を覚えられてしまうことはある。先輩と後輩、部活の相談でもしているのかと勝手に勘繰ってくれたのかもしれない。感謝なんてしないけれど。

「それ、必要なんですか」
「? ――それって?」
「女子へのサービス」
「お! 国見ちゃんの嫉妬とか珍しいねどうしちゃったの!」
「それって――」

 それってどっちの意味で言ってます?
 そう尋ねかけてやめた。どう考えたって、自分よりずっと異性にモテている及川への嫉妬という意味の――例えるなら、及川がよく幼馴染である岩泉を茶化すのに選択する話題の――文脈だ。間違っても及川に――何の役にも立たないくせに――微笑みを向けられている女の子たちに対してではない。それは、国見が羨む立場にはない。
 ――羨むって?
 国見が及川に望むことなんて多くない。中学時代に望めなかったプレイを。チームとしての勝利を。及川が優れたセッターだと知っている。けれど、自分たちよりずっと先に去っていく背中だとも理解している。この人とでなければ最高のバレーができないなんて情熱を注ぎ込むほど、傾倒はしていない――はずだ。

「必要はないけど」
「…………」
「女の子って良いもんじゃない?」
「はあ、」
「優しくしてくれるからさ」
「――ああ、なるほど」
「何を思い当たったのかな?」
「別に、何も」

 思い当たるもなにも、チームメイトからの扱いとの違いだと明らかではないか。遠くを見つめる国見に、及川は先輩として言いたいことがあるようだ。威厳は、コートの中にしか生まれないから無駄だろう。どれだけ本人が渇望している望みに手が届かない悔しさを抱えていても、それでも大抵の凡人を踏みつける人間への親しみやすさは、多少のとっつきやすさが肝なのかもしれない。とっつきやすくてもとっつかないのが国見の信条だけれど。とっつかれないのならば、自分からとっつかれに来てくれなくも別に構わないのに。

「及川さん、顔、良いっすもんね」
「――――!」
「及川さん?」
「いや、いや、えへへ」
「……気持ち悪いっす」
「あれ!?」

 どうやら国見の褒め言葉に照れているらしい及川の態度は、言葉の通り気持ち悪かった。散々もてはやされて、誇ってきた外見だろうに。何を今さら照れているのだろう。
 ――国見ちゃん折角デレたのにそんな一瞬で切り替えるなんて……!
 及川は国見に背を向けて、何やらぶつぶつと呟き続けている。何と言っているのか、耳をそばだてるのは止めておいた。要するに「愛されたいんだよ!」ということに決まっているから。愛なんて大仰なもの、部活の先輩に向けたりしたくない。冷静に考えて、おかしいじゃないか。でもちょっとくらい、優しくしてあげてもいいんじゃないかなんて可愛い後輩の発想が顔を出すから、結局及川は充分愛されているんじゃないかなどと国見は思ってしまったりする。施しへの対価なら、自分にだって妥協できるはずだから。

「そういえば、何か頼みがあったんですよね?」
「――え?」
「飲み物買ってやる代わりに、何か頼もうとしてたんじゃないんですか」
「ああ! ああ! そうだった! うん、あのね、俺今日部活に――、いや部活には間に合うんだけど準備にはちょっと遅れるかもしれないからね、国見ちゃんこれ部室の鍵開けといてくれない?」
「は?」
「理由が理由だからね、岩ちゃんとかに頼むと怒られちゃうんだよね。金田一はこういうの、先輩の軽い頼みごとを命令みたいに真面目に捉えちゃって可哀想じゃない?」
「ん?」
「ちょっと部活前に呼び出されてるんだよね。三人ばかし、女の子に!」
「……転べばいいのに」
「何で!?」

 優しくしてやろうと思って、まだ何もしていないのに損をした気分になる。右手に見慣れた鍵を取り出した及川も見遣るも、きっとわかりやすい不機嫌の色は浮かんでいないことだろう。
 どうやら及川の、女の子を三人一緒くたにカウントしているところを見る限り、今回は誰かと付き合おうとは考えていないのかもしれない。それにしたって、部室の鍵を預けるくらいで昼休みにひとり中庭でぼんやり休んでいた後輩を探し当てるとは相当の暇人だ。岩泉に一発殴ってもらってさっさと預かってもらった方が手っ取り早いだろう。まあ、国見だって殴られるか、無難な後輩を掘り当てるかを選択肢に出されたら圧倒的後者に心惹かれるだろうけれども。

「あー、愛されたいわー」

 国見の、心の籠もっていない棒読みの台詞は、終了間際の昼休みの中庭に散っていく。
 すぐ隣で聞いていた及川が、「この及川先輩が愛してるってば」だとか、「だから飲み物買ってあげるよ」だとか色々話しかけてきてくれているが殆ど聞いていなかった。馴れ馴れしく背中を叩いて来る手を払うことも今はただただ面倒くさい。
 やっぱり及川との付き合いはコートの中であるべきだ。あそこなら、及川に対してこんな落胆した気持ちを味わうこともないのだから。
 こんなやり取りは燃費が悪い。
 もう面倒くさくなって、及川の手から部室の鍵をひったくった。びっくりした顔の先輩を置き去りにして、教室へと戻る道を歩きはじめる。

「国見ちゃん飲み物は――?」
「いらないです。喉乾いてないし」
「でもお駄賃だし――」
「いいです、後輩は、使うもんですよ」

 吐き捨てて、肩越しに及川を見遣った。何故か呆然と口を開けて立ち尽くしていたけれど、国見の知ったことではなかった。
 部活に来る先輩たちを待たせないように、HRで眠りこけないようにしなければならない。午後の授業のどれを犠牲にして眠気を飛ばすか。国見が考えることはそれだけだった。



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ぼくだけ泣いてる
Title by『さよならの惑星』



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