※捏造



 タクミの手にある一輪の花が、彼自身も知らない女性からの贈り物だと聞いて恵は大層感心した。異性から好意の印を贈られるタクミの素晴らしさと、好きな人に花を贈るという見ず知らずの女性の大胆さに。遠月に在籍している人間は、料理人としての大成を第一に考えるものであり気持ちとして誰かを好きになったとしてもそれを伝えて、公然と恋人として付き合っているような男女を恵はこれまで見たことがない。油断すれば即退学の危険性がある学園だから、それをおかしいとは思ってこなかった。けれど顔立ちの整っているタクミにはファンクラブまで存在しているらしいので、彼の周囲では珍しいことではないのかもしれない。特に恵は、最近まで遠月の成績最下層を彷徨い日々を生き抜くのに必死であったから周囲のことをよく知らないのだ。極星寮は男女問わず仲のいい生活の場だけれどその関係性は家族に近いものだし、所属している郷土料理研究会も心休まる雰囲気ではあるもののそれはやはり恋愛感情とは程遠い場所である。そんな、温かな人々とばかり暮らしてきた恵には恋のように激しい感情のせめぎ合う世界に接しているタクミを、素晴らしいのは料理の腕前だけではないのだなと繰り返した感嘆の眼差しで見つめていた。
 そんな恵の視線を、タクミはどこか居心地の悪い思いで受け止めていた。彼女は何かを勘違いしている。そんな気がしてならなかった。確かにタクミは異性にモテる。自覚したつもりはないが、イタリアでも彼を誘う女性たちの声は絶えなかったし、父親やイサミからもそんな女性たちのことを本心と冗談半分ずつでからかわれていたものだ。今日花を渡してきた女子生徒も知り合いではなかったが、遠月に来てからも何度か愛の言葉を贈られたことがある。けれどイタリアから日本へと場所を移しても変わらないことがある。彼女たち愛の言葉や仕草は、決してタクミの心に響かないということ。それは料理人として生涯を終えていくことを漠然と予感し、毅然と邁進するタクミの誇りだった。いつか誰かを愛するかもしれない。弟以外の誰かに寄り添って欲しいと願うのかもしれない。そんなもしもを軽蔑も警戒もしない。ただ緩やかに待つだけだ。笑顔と謝辞はお愛想で、揺れない心のまま受け取った花はタクミに何も訴えてはこない。重苦しい愛を匂わせれば、きっと一番初めにすれ違った他人にでも押し付けている。
 秋の選抜の打ち上げで招かれて以来、何度か訪れている極星寮への道すがらの贈り物は、相手には悪いが断るべきだった。そう思いながらタクミは恵が自分の持つ花にじっと向けている視線の上から彼女の顔をまじまじと見つめる。僻みも焦燥もなく、純粋に好意という塊の花を見つめる彼女には見たところ色恋の艶っぽさはなくてタクミはそれを美しいと感じた。個人的にタクミが恵に向ける感情は、きっと名付けようもないほど微量なもので顔を付き合わさなければ浮上もしない。料理人として侮るつもりはなく、料理の中に自分を持つ素晴らしさをきちんと認めている。ただそこに到るまで、タクミが料理人として肩を並べる相手に巡り会えた喜びを敵愾心にも似た競争心を向けた相手――幸平創真という人間の光が如何せん眩し過ぎた。出会いは朧気に過ぎ去り、今更顔見知りから付き合いの長さで彼女が暮らす寮の中、接する態度をタクミは測り倦ねている。
 それに引き換え恵ときたらタクミのことを心底創真のお客と決めてかかっているから、物怖じしない笑顔で偶々転がる話題があればどこまでも穏やかなのだ。沈黙がくれば「それじゃあ」と踵を返せる気楽さ! 取り残されるタクミの寂しさを恵は知らないだろう。そこまで考えて、何故寂しさなど覚える必要があるのだとタクミは頭を振って浮かんできた考えを振り払う。「どうしたの?」と首を傾げる恵には、やはりタクミに対する怖気はなくて何度か見かけた創真に振り回されているときのような焦りも戸惑いもない。友人ですらないのだから当然のことで、だからだろうか。段々と、タクミは恵の視線を集めて仕方なかった花をどこかへ放り棄てたくて堪らなくなってきた。しかし見渡したところゴミ箱は見当たらないし、花を受け取った経緯を打ち明けてしまった以上恵にそれとなく頼むことも憚られた。貰い物を無碍に捨て置くことが感心できないことくらいは、色恋に興味がないタクミにでも人情として理解できる。だからやはり受け取る時点で断るべきだったのだと思考がループに陥りかけたところで、恵が何の他意もないと言いたげな呑気な笑顔で口を開いた。

「お花、萎れちゃうよね。お水に活けとこうか?」
「――え」
「あの、だってこれから創真くんと用事があるんだよね? それなら、その間何もしないでおくのは良くないんじゃないかなって思うんだけど……」
「ああ、うん、ありがとう。でも――」
「?」
「でもいいんだ」

 枯れてしまっても、ボクは全然構わないんだ。そう告げれば、恵は漸く困ったように眉を八の字に下げてくれた。困らせたかったのだろうかと、自分の気持ちを疑う。外行きの一人称の柔らかさが、発した言葉の残酷さを軽減してくれることを期待したけれど、恵はその言葉の意味をしっかりと察したらしい。花はただ花のまま、けれど想いを託している以上、その扱いがタクミの返答になる。枯れてしまっても構わない。拒まれてしまった他人の想いは、眺めているだけでどうしようもないからこそ痛々しく映る。

「それは――残念だね」

 落胆した声音に、タクミは驚いた。別に恵が傷つく理由は一つもなくて、けれど女の子の連帯意識というものは時々面倒くさいものがあるから、それの一種かなと次の言葉を待てども恵はそれ以上何も言わなかった。


「女の子って、よくわからないな」

 掠れる声でタクミが場繋ぎに呟いた言葉に、恵は「私も」と小さく返す。恵とて女の子であるのだが、彼女がわからないと同意を示したのは恋をする女の子に関してであるとタクミは朧気に察し、目の前に立つ彼女の目に映る自分がその恋をする女の子に素気無く接する男の子であることに気が滅入ってきた。
  ――残念だね。
 この恵の一言は、思いの外タクミを驚かせ、怯ませ、妙な胸騒ぎを起こして過ぎて行く。いつか恵が女の子についてよくわかるようになったとき、自分のことを酷い人間だと思うのかもしれない。想像して、妄想が行き過ぎているとストップをかける。創真の知り合いとしてタクミを括っている恵のことを、同じように創真と同じ寮で授業ではペアを組んでいた人間として括っているタクミが気にする理由はない。無関心のお愛想の会話が長引くだけ気まずさに直面する可能性が増えるだろうにと予感しながら、けれどまだ恵は踵を返さない。タクミの手にある花の茎は、手を離せばきっと折れてしまっているだろう。
 顔も名前も知らない女性からの贈り物が、二人きりの場を経て友だちになれるかもしれないタクミと恵の道を塞いでいた。その重たすぎる一輪の花に、タクミはやはり早く枯れてくれと願いをかけずにはいられなかった。恵はそんな願いは残酷だと思うかもしれないけれど。それでもタクミには、花という目に見える恋の呪いを手中に置いておく勇気はなかった。


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きみの胸が痛めばいい
Title by『さよならの惑星』




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