※カル茅→渚


 すぐ傍でめそめそとすすり泣く声が聞こえる。悲しいのだろうかと自問して、まあ悲しいのだろうなと口端を釣り上げた。慰めてやればいいのだろう。それが優しさというものだろう。頭では分かっているのだ。掛ける言葉も、肩に置く手も頭の中で映像としてありありと再生することができる。けれどもその足は、地に縫い付けられたように一歩も動くことをよしとしない。その事実に、カルマはひどく落胆した。正確には、自分は落胆しているはずだと分析した。立ち尽くすカルマのすぐそば、眼下に蹲り肩を縮こませて泣いている茅野を見て抱く感情が、動揺や同情に似たものでなければ何だというのだろう。そう、冷静に探ってしまう時点で親身ではないのだということを、カルマは知っているけれど。

「茅野ちゃん、また泣いてるの」
「――――泣いてないよ」
「あは、鼻声」
「……うるさい」
「うん、ごめんね?」

 相手の顔を覗き込んで話すことが多かった。性格と環境上、物騒なやりとりに発展することが多かったので、つい相手を怯ませるに有効な手段だと学習してからは特に。だから今回も、蹲っている茅野の隣に腰を下ろした。生憎、膝を抱き込んで顔を押し付けているその表情を覗き見ることはできない。もっとも、優しい言葉なんて掛けるつもりもないので、泣いていると決めつけたくせに都合よく彼女の泣いていないという主張に則り大人しく視線を送る。慰めるという選択肢を除外した途端、いつも通り身軽さを取り戻した身体を本当に正直だと思う。茅野はきっと、この場に留まり続ける自分を鬱陶しく感じていることだろう。それはひとりで泣いている姿を目撃された気まずさ故か、口振りからしてその理由を察しているであろう人間に弱っている姿を見せたくないという意地か、沈んでいる空気の中飄々と寄り添われている居た堪れなさか。そのどれであったとしても至極真っ当な反応だとカルマは笑う。茅野の、こういう常識から逸しない平凡な少女たる姿がカルマにはとても好ましく映っていた。
 午後、太陽の傾きに合わせて陽当たりが悪くなる校舎裏の一角は、こんな風に少年少女たちのささやかな秘密をいくつも飲み込んで来たのだろう。吹き抜ける風がやけに湿っぽく感ぜられるのは、果たして気の所為だろうか。点在する雲を見上げながら、しかしはっきりと見えている太陽に降雨の気配を感じることはなく。カルマはただ、悲しみに涙を零す少女の傷をどの程度までならつついても良いものかと加虐的な自己本位で身勝手な算段を始めるのだった。

「茅野ちゃん、渚くんに何かされたの」
「………違うもん」
「だよねえ、渚くんはどっちかっていうと茅野ちゃんに何もしないよね!」
「うるさい」

 本当に場違いだ。強弱を付けて抉るのではなく、思いついたままの一点突破。カルマはいつだって知っている。感情の起伏に正直な茅野が、人目を気にして泣く理由なんていくつもないことを。理不尽への憤りを抱えたまま、それでも諦観に覆われることに慣れていたE組にあってそれでもプライドは人間である以上誰にだって存在している。高かろうと低かろうと、それは問題ではないのだ。構わず踏みつけるカルマの認識はただ、在るか無いかの事実だけを凝視する。茅野には在る。本当にちっぽけな、少女の意地だった。
 茅野カエデが彼女の隣の席に静かに座っている潮田渚に抱く感情の名前は、カルマに命名権を与えて貰えるのならば恋と読む。気性が似ているというわけではないが、席が隣という理由だけでは、渚と茅野の距離はやけに近かった。とはいえ、エンドのE組に大親友と一緒に在籍しているなんてあるはずもない。加えていかに性別不詳の疑いを持たれていたとはいえれっきとした男である渚とまごうことなき女である茅野が頻繁に並び立っていれば一摘まみの邪推は当然のように湧いて出る。あの担任教師ほどゲスで下世話なつもりはないし、蚊帳の外である自覚もあれば指さして問うこともしなかったが、少なくとも茅野の方は渚のことを好いているのだろうと、カルマは思っていた。
 一方でいて渚の方はどうかというと、恋愛感情と断言できるだけの強烈な感情を持っているようには見えなかった。このクラスで一番仲の良い女子生徒の名前を挙げろと言われれば茅野の名前を挙げるかもしれないが、好きな女子を聞かれれば顔を赤くしながらそんなものはいないと答えるのだろう。
 何より彼は、時々クラス中の誰よりも担任の暗殺に徹底的な面がある。書き留められている弱点の数が知らぬ前に増え、そうしてついには暗殺スキルまで着々と向上している。日常生活の中ではその気配をおくびにも出さない姿が却って得体が知れなくて不気味だろうに、教室での渚は今まで通り気弱で身体能力の高くない少年のままだ。
 けれどきっと。
 今カルマの隣で泣いている茅野には、そうは映っていないのだ。思えば彼女もどちらかといえば目立つ方ではなく、暗殺方面で自身の長所を生かして仕掛けるという場面をカルマは今の所見ていない。そして彼女からすれば、渚も同じだったのだ。同じように、殺さなければという感情はあるもののそれに見合う技量がなかった。しかし今の渚は変わってしまった。あるいは目覚めてしまった。変化を緩やかに始まって、けれども自覚するのはいつだって突然だ。

「――寂しい?」
「…………」
「そうやって泣いても、渚くんは気付かないよ」
「……渚は、何やったって…私に気付かないよ」
「―――かもね」
「カルマくんは意地悪」
「だって茅野ちゃんが泣いてるとつい楽しくなっちゃって、ごめん」
「謝ってないよ、そんなの」
「うん。謝りたかったんじゃないからね」

 涙で潤んだ瞳がじとりとカルマの顔を睨みつけていた。凄みなんてあったものではないけれど、本気の瞳であることは伝わった。この涙はお飾りではないのだと、全身で訴えていた。劣悪な環境であっても、当たり前のように傍にいてくれた渚が遠くなってしまった。そのことがこんなにも悲しいと、それほどに彼を想っていたのだと。だからつついてしまうのだと、彼女には全く非のないことでカルマは肩を竦めた。ぐるりと周囲を見渡して、腰を上げる。尻に付いてしまった汚れを払いながら、雑木林の手前にて目当てのものを発見し、躊躇なくむしり取った。

「――これ、あげるよ」

 秋に咲く花だった。ひっそりと群れることなく咲く花。ひとりぼっちで、それでいて陽光に照らされなければ咲かない、たったひとつあればそれでいいと主張するような強かさを持った紫色の花だ。それを、カルマは茅野に差し出した。花なんて、生まれてこの方贈ったこともないのだが、自分たちの間にそういったムードはないのだから野生の花を目の前でむしって差し出したって構いはしないだろう。
 カルマの突然の行動に、茅野は呆然として差し出されている花と彼の顔とを交互に見つめる。慰めてもくれない、謝罪に誠意もない彼が一体どんな意図を持ってこんな優しい行動に出たのか。声に出しては失礼かつ報復が怖くて言えないがはっきりって気味が悪かった。

「俺は茅野ちゃんが好きだよ」
「――え」
「勿論、渚くんを好きな茅野ちゃんを見てるのが楽しくって好きって意味だけど」
「…そう」
「だからこれ、あげるよ」

 文脈が正しく繋がっているか激しく怪しかった。けれども、茅野は基本的に純粋な部類の人間だ。表面上悪意なく差し出されたものを根拠のない警戒心だけで無碍に扱ったりはしない。案の定、おずおずと伸ばされた手がカルマの差し出した花を受け取る。見届けて、満足げに笑みを深めるカルマに彼女の顔は訝しげだ。

「…ありがとう」

 律儀なことだ。「なんていう花?」と尋ねてくる茅野に、カルマは笑いながら「さあ?」と首を傾げた。彼女は不満げに唇を尖らせる。勿論、実際はその花の名前を知っていて贈ったのだがそこまでカルマは親切じゃない。気になるならば自力で調べるのがいいだろう。中学生の学問には不要な知識だろうが、ついでに理科の勉強でもすれば身にもなる。
 ――ああ、だけど。
 深追いして、花言葉までは辿り着かないでいてくれるとありがたい。意図した想いは花言葉に乗せたものではあるけれど、いざ本人に伝わってしまうとカルマの性癖が危ぶまれる。他の男を想って泣いている女の子に意地悪なことを言って楽しんでいる時点で、まともでないことは明らかだけれど。
 ――次はいつ積み重ねた寂しさが決壊してめそめそ泣きに来るかな?
 カルマの酷い楽しみを察する術のない茅野の手に握られた花は、陽の光を遮られてしまったからかいつの間にかその花弁を閉じている。
 茅野の目尻に溜まっていた最後の涙が、ぽつり握りしめる花に落ちた。



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竜胆:花言葉『悲しんでいるときのあなたが好き』
企画提出作品


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