「ふっ…藤君!」

 待ち合わせ時刻、10分前。集合場所の駅前で花巻がある意味いつも通り、どもりながら藤の名前を呼ぶ。あの寝坊と遅刻の常習者である藤が自分より先に待ち合わせ場所に来ているという事は、自分は遅刻をしてしまったのだろうか。慌てて手首の時計を見ても時計の針は10時10分前、9時50分を指していた。花巻らしい、長めのスカートに足を取られかけながら、彼女は必死に藤の元まで駆けて来る。

「おー、早いな花巻」
「うえ!?遅れちゃって…あの、」
「遅れてねーよ」

 続けられるであろう謝罪を、藤の言葉が先手を打って遮る。どうも、彼女は同級生である自分に変な気を回し過ぎていていけない。言葉でいくら促しても改善されないであろう彼女の癖を、藤は何となく諦めていて、受け入れていた。
 一緒に出掛けようと、誘いを掛けたのは藤だった。付き合いだしても、自分に一つの要求もしてこない花巻に、業を煮やすことは確かにあった。だがそれ以上に自分に原因がありやしないかと、冷静に振り返ってみる。元の性格が自分本位な為に、考えてもこれといって何も見つけられない。それでも、先日保健室で真哉から「もうデートくらいしたでしょ?」の言葉を否定した時の、いつもの保健室メンバーのリアクションを見る限り、デートと云うものをしておいた方が良いらしいことくらいは察した。

「今度の日曜出掛けねー?」

 自分ではまっとうな誘い文句のつもりだったのだが、花巻としてはどうだったのだろうか。暫く言葉の意味を咀嚼するためにフリーズした後、一気に顔を真っ赤にしてぶんぶんと顔を縦に振り続けていた。恐らく、これが藤なりのデートの誘い文句なのだと、理解してくれたのだろう。待ち合わせ場所と時間だけを決めて、当日まで何を話し合うでもなく過ごした。これから何処に行こうか、花巻に聞いても何処でも良いよと返されるのは明らかで、無駄な気を使わせないためにもと藤はぼんやりと自分で今日一日のプランを立てようと考える。しかし普段家でだらけていることの多い自分にはなかなか高いハードルだったようだ。

「……花巻、どっか行きてー場所ある?」
「ええっ!?」
「俺、特に行くとことか考えてねーから、花巻決めてくれ」

 丸投げにも程があるが、ある程度追い込まれれば花巻もそれなりの決断力を披露してくれるはず。腹の中で自分自身に言い訳して気長に彼女の返答を待つ。短いのか、長いのか分からない時間を経て出された案は文房具屋だった。数学で使うノートが終わりそうらしい。花巻は始終個人の買い物に藤を付き合せることが申し訳ないのか、でも…だのと躊躇っていたが、中学生の自分達が一緒に買い物に出掛けた時点でどちらもどちらかの個人的な買い物に付き合う事になるのではないだろうか。
 そんな至極まっとうなことを考えながら、藤はぼんやり同棲しているなら話は別なのか、と姿形のない言葉だけの想像を膨らませてみる。何ごとも人任せな自分が、あの家を出て自活している姿がいまいち想像できない。しかし、花巻に寄り掛かっている姿だって想像できない。したくない。藤のちっぽけな男としてのプライドはいつだって花巻を支えたくて、小さな彼女の手を引っ張ってやりたいと思っているのだから。
 恋人らしいことなど何一つ知らなくて、だから当然実践だってしてやれない。手を繋いだことすらないのだ。密着なんてしたら、恐らく花巻は照れて逃げ出してしまうような気もする。大事にするって案外難しいのだと、藤は花巻から教わった。ぞんざいにだって、勿論扱ってはいないのだけれど。

「…花巻は、普段休日とか何処に出掛けんの?」
「え?え…と、本屋さんとか、お父さんのお店とか、…かな」

 成程、彼女らしい生活範囲だと思う。漸く藤に対して敬語を使わない会話が出来るようになった花巻の過ごす日常を、藤は当然ながら彼女の言葉を通してしか知らない。口数がお互い多い方では無くて、積極的でもないから。二人でいる間はぎこちなさもあるけれど穏やかだと思う。藤はそれで満足だった。そして少しの自惚れとして、花巻もそうなのではないかと思っている。
 多少、花巻と交流を持つ人間ならば容易に想像出来そうな彼女の日常すら、藤は知らない。知りたいとも思わなかった。自分の好意と花巻の気持ちが合致していれば彼女は自分の傍にいてくれて、それが日常なのだと疑わない。けれど、保健室で、いつものメンバーの反応を見る度に、何やらしっくりこない感覚が藤を襲う。そう他人の顔色を窺がうような性格ではないけれど。もし自分の態度に、花巻もしっくりこない感覚を抱いていたら、それはイヤだ。一つ一つ、距離を詰めようと暗中模索な付き合い方を藤は選び進んでいる。

「…花巻、手」
「……て?」
「手、繋がね?」
「っ!?」

 ずざざ、と効果音が付きそうな動きで花巻は藤から距離を取った。それが単なる動揺と照れの表れだとは分かるが、少し傷つく。繋がないかという誘い文句と同時に差し出し掛けていた右手が、行き場なく宙に浮いたまま停止する。花巻は誰に助けを求めようとしているのか、はたまた誰に見られることを懸念しているのか周囲を何度も見まわした後、自身の右手を差し出した。

「……花巻、それじゃ握手だ」
「えええ!?ごめんなさいごめんなさい!」

 羞恥心から素早く左手を差し出されたのをいいことに、藤はさっさとその手を握ってしまう。もともとの体温と、緊張と恥ずかしさで高められた体温は、少し低めの温度を保っている藤の右手にも熱い。
 文句も言わせる隙も与えずさっさと歩きだす。初めは藤に引きずられるような形だった花巻も、次第に藤の若干斜め後ろを定位置として落ち着いたペースで歩き続ける。会話は出来そうにない。花巻の手の温度が、彼女の緊張をありありと藤に伝えて来るから、藤も段々自分が凄く恥ずかしいことをしているような気になってしまう。
 いつか、もう少し時間が流れて、自分と花巻が並んでいるのが今よりも当たり前になった時。こうして手を繋ぎ、彼女の手の温度が今よりも少しだけ下がったその時は、それをきっと幸せの温度と呼ぶのだろう。らしくもない思考はきっと、自分も大分熱に浮かされているのだと思う事にして、藤は少しだけ花巻の手を強く握る。一瞬強張った気配を漂わせた彼女が、緩く自分の手を握り返したのを感じて、藤は小さく笑う。
今だって十分幸せだと、そう思った。


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じゃれあいに愛は最低限必要
Title by『自惚れ』





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